気ままな思いを

何気ない日々のこと 感想 思いなどを
綴る雑日記です 

「ヤンキー先生のたからもの」  義家 弘介著

2007-05-12 | 読書


          ヤンキー先生として、義家 弘介(よしいえ ひろゆき)の名を、
                  知られた方が、書かれた本です。

          中学生のころより、「不良」と呼ばれるようになり、高交退学処分を
         受け、家からも絶縁される。
         北海道余市町の、私立北星学園高校は、キリスト教主義の私立学校
         である。人は時に、この場所に集う生徒達を、「おちこぼれ」といい、
         著者自身も同校の門をたたき、明治学院大学法学部法律学科を卒
         業し、母校余市高校に、教師として赴任する。
         教師集団と生徒達が、まさに、泥だらけになりながらの、6人の生徒
         たちの歩んできた軌跡が、書き刻まれている本です。

            私は産みの母を知らない。
           北星余市高校・この学校はそんな私の「母」である。
                          と書かれています。


       * あとがきより *

         「生きていても意味がない」
           違うだろう!
           この世に意味のない営みなどない。
           意味のない人などいない。
           意味とは、与えられるものじゃない。
           探すものです!

         「死んだら、苦しみも憎しみも、何もかも消えて無になる」
           なんで、そんなことが断言できますか?
           そんなものわからないでしょう?
           もし、そうじゃなかったら、どうするんですか?
           不確かなものに、自分の存在の全てを賭けるくらいなら、
           その手で掴める温もりのために、全てを賭けませんか?

         
「信じていた人に裏切られた。もう、生きていく気力もわかない」
           そういうあなたは、だれの心も裏切っていないと、本当にいえる
           でしょうか?
           自分にとっては何気ないことでも、だれかにとっては、とても傷つ
           くことだったりしますよね。
           「信じる」という気持ちは、たとえ、自分の思い通りにならなくても、
           傷ついても、それでもこの人と関わりたいと思う、切なる気持ちだ
           と、私は思います。
           そして、一番の裏切りとは、死んでしまうことによって、あなたを
           思う人々に、一生消えない悲しみを、背負わせることだと思いま
           す。
                「自分が死んでも誰も悲しまない」。
            ユウヤがよくいってた。本当にそうだったでしょうか?
            少なくとも彼の両親は、そして私は、彼が消えてしまったことの
            悲しみを生涯、忘れることはできないでしょう。


            
(これは、ユウヤという生徒が、ビルから飛び降りて
                 死んでしまったことを、指しています。)

           
                           *** 文中より ***


       

              JAの店頭にありました
                   始めて見ましたが、側の人にこの植物の名前を
                   訪ねてみましたら、「アンテーチョーク」・・・。
                   検索してみましたら、「アーティチョーク」。
                   ハーブ?・・食べられるようです。
                   これから、花開くのでしょうか??

 

     XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
 
                        ウオーキング~30分=3,800歩