行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年8月21日(火)の日記

2012年08月21日 | 日記

宴会のあとでも最初のうちは、頭もはっきりしていてこの日記を書いて投稿したが、そのあとデスクに突っ伏して眠ってしまったようで、気が付いたら午前2時。最初は身体もだるくてなかなか動けなかったが、なんとかシャワーを浴び、布団を敷いて午前3時前には就寝。

今日はいつもと同じようにちゃんと起きて出社したが、さすがに午後は少し眠気に襲われた。

晩飯はなか卯牛丼ミニ胡麻だれざるうどん小盛

昨日の日記はちゃんと書いたつもりでも、やはり酔っていたから、どうも舌足らずな感じ。歓送迎会の主賓は自分ではないが、そう勘違いされそうな文面になっていたり、二次会のカラオケに行ったように受け取れる書き方になっていたりする。それで、帰ってきてから加筆訂正。


2012年8月20日(月)の日記

2012年08月20日 | 日記

今日は会社の歓送迎会。

自分の勤務先はお盆に一斉に休むということはないので、夏休みは交代でということになる。なので、1ヶ月以上前に異動した人の歓送迎会を、ようやく今になって休みの人が少ないタイミングを選んで、しかも週初の月曜日にやることになった。

しかも、その宴会は盛り上がって、家に帰ってきたのが午後10時半過ぎ。若い連中は二次会でカラオケとか言っていたが、明日はちゃんと出社できるだろうか。

いや、若いうちはそういうこともけっこう平気でやってしまう。むしろ自分ぐらいの歳の人間のほうが、カラオケには行かずに帰ったけど、明日、ちゃんと出社できるか心配だ。


2012年8月19日(日)の日記

2012年08月19日 | 日記

今日は折りたたみ自転車のサイクリングに行く。暑い最中だから走るのは午前中だけにする。

市川塩浜駅まで自走し、千葉みなとまで輪行してスタート。
まずポートタワーのほうへ行ってみる。このタワーはまだ登ったこともないし、近くに来たこともなかった。今回はサイクリングの途中なので、どんなところか来てみただけで、登るのはまた別の機会に。

千葉市中心部から大網街道に入り、土気まで走る。写真は鎌取と誉田の間。この写真だけ見ると、車の少ないのどかな旧街道のように思えるが、たまたまそういうタイミングだっただけ。決して車が少ない道ではなかった。

土気の昭和の森まで行く。ここはまだ千葉市で緑区になる。なお、今日、走った範囲はみんな千葉市内。公園内の展望台から九十九里平野と太平洋が見渡せる。公園の先が大網白里町になる。

この地点から海まではまだ10キロ以上はある。無理はせず、今回は昼飯を食べて土気駅から帰る。最初からそういうプランだが。

土気駅の南に広がるのがあすみが丘という、高級な感じのニュータウン。

そこのショッピングセンターのケンタッキーフライドチキンで昼飯。

今回からGPSを使い始めた。メーカー(ユピテル)のサイトから事前プランニングとログ管理のソフトをダウンロードできる。

今回、走る区間のプランは昨日、作成してGPSに転送しておいた。そして、今日、帰ってきてからログをパソコンに取り込む。
走った軌跡を表示し、スクリーンキャプチャしたのがこれ。全走行距離は自宅→市川塩浜駅と、帰りの行徳駅→自宅もあわせて35kmだった。

こうしたソフトがあると確かに便利だ。自転車ページのレポートにも使えるし。

今回買ったGPSはナビゲーション機能はない。なので、自動ルート作成や曲がるところでアラームを出すようなことはしてくれない。もっとも、これまで自分が出かけるときはポタリングのときなども、あらかじめルートを決めて、ほぼその通りに走るようなやり方をしてきた。現地で状況により、多少は変更することもあるが、だいたいがプランどおりに走る。なので、機能的には別に問題ない。現在位置が予定からずれていないか分かるのが第一だ。

もっとも、曲がる場所でアラームは上がらないので、やはりコースはちゃんと把握しておいて、それらしき場所に接近したらチェックする必要がある。今日も昭和の森へ行くため、土気の手前で外房線北側への道に曲がるところが、運良く赤信号だったので止まってチェックしたら、そこが曲がるところだと分かった。青信号だったら直進してしまい、少し先から引き返すことになっただろう。

 

今日は、晴れてはいてもところどころ黒っぽい雲が見えた。昨日ほどではないものの、大気の状態は不安定なようだった。幸いに自分が走っている間は通り雨などには遭わなかったが、帰りに外房線の電車から外を見ると、誉田や鎌取のあたりは昼過ぎぐらいに降ったようで、道路が濡れていた。家のあたりはなんともないと思っていたが、午後6時前後に降ったようだ。でも、強い雨ではなかったし、パソコンに向かっていたら全然、気付かなかった。

今月初めの花火の頃より、暗くなる時間がずいぶんと早くなった。暗くなった午後7時前に南行徳駅前の福満溢に行って晩飯。暑い中、サイクリングをしてきたあとは冷たいビールを1杯だけは飲みたい。それにこの店の生ビールはアサヒの樽生でうまい。

そして、ごう油牛肉炒め(”ごう”は虫偏に豪)を食べる。


2012年8月18日(土)の日記

2012年08月18日 | 日記

朝飯はホームベーカリーのホシナで買ってきたくりあんぱんロースカツサンド

朝は晴れていたから予報サイトの雨マークは外れるのかと思っていたら、午前10時ぐらいから空がどんどん暗くなってきた。急いでクリーニング屋へ出すものを持っていく。帰ってしばらくすると土砂降りになった。夕方までこの調子かと思ったが、昼ごろにはすっかり上がった。

2週間前に買った自転車用GPS-ユピテルのASG-CM13は、先週の土日に母親の入院騒動で大阪へ行っていたりして、まだ箱に入ったままで開けていなかった。今日、ようやく開封して説明書を読み、BD-1Wのハンドルバーに取り付ける。

つい3ヶ月ぐらい前にサイクルコンピュータの取り付け位置を変えたばかりだったが、

この状態で走ったのは、その当日に行徳地域内を走った1回だけとなった。

サイクルコンピュータのマウントを取り外し、鐘の位置もGPSに当たらないように少しだけずらして確度を変え、GPSのマウントを付け、そしてGPSを取り付けたのがこの状態。

これまでのサイクルコンピュータ(無線式)も併用できないかと思って、GPSとライトの間に一旦、取り付けてみたが、GPSの電源が入るとその干渉のためか車輪側に取り付けたセンサーからの電波が受信できず、併用はあきらめた。

GPS関係をいろいろやっている間に、昼飯はちょっとコンビニに行って買ってきたスパゲティですます。

晩飯はラーメンのえじそん

1ヶ月ぐらい前に夏限定メニューの、トマトソースとチーズの冷しつけ麺を食べたが、同じお品書きに書いてあったもう一つのメニュー、ボローニャソースとチーズの冷しつけ麺を今回は食べてみる。

トマトソースのと同様、マスターが言うにはつけでもかけでもいけるというので、最初の一口はつけて食べる。こちらもぶっ掛けて麺に絡ませて食べたほうがおいしそうと思えたのでそうした。


2012年8月17日(金)の日記

2012年08月17日 | 日記

先週中頃に入院した母親も今日、退院した。家事もゆるゆるとできるようだから、この週末は自分は特に大阪には行かない。そのかわり、妹が数日、行くということだ。 

先週末に散髪するつもりだったのが、大阪へ行ったため延期になった。今日の帰りに葛西で降りて、いつもの床屋へ寄って行く。

そのあと行徳まで乗って、酔い処紗らさらへ行く。昨日まで夏休みで今日からオープンということだ。

最初は生ビール。それとお通し。

2種類の刺身をそれぞれハーフで盛り合わせにできるということで、天然鯛刺地蛸刺の二品盛り合わせ。

ビールの次は地酒で最初は美和桜。この店は1杯90ccなので、3種類か4種類かは楽しめる。

次はコハダ甘酢〆。2杯目の酒は明鏡止水

明鏡止水は産地の水が硬水のためか、硬い味だったというが、マスターによると今年のはまろやかな味になったということだ。たしかに、これまで飲むことはあっても、また飲みたいという気にはならない酒だった。今日のはなんとなく味が変わったような気がした。

次はメバルの焼。お酒は三連星

酒瓶のラベルを見せてもらうとこんな感じ。

「三連星」と聞くと、自分の年代は「機動戦士ガンダム」の出てきたトリプルドム=黒い三連星が頭に浮かぶ。自分より10歳程度若いマスターにもちゃんと通じる話。

酒造会社の人-社長とかの地位の高い人がガンダム好きでこういう名前にしたのかと思った。でも、それは考えすぎで、小さな酒造会社の主要な立場の3人の人が協力して作ったので、そのような名前にしたということだ。

マスターやお母さんによると、前はラベルも違ったらしい。世に出してみたら、ガンダムの黒い三連星を連想できて受けたので、上の写真のようなラベルにした可能性もあるようだ。そういえば、作(ざく)という銘柄の日本酒を、この店ではないが前に飲んだことがある。別にガンダムに出てくるザクを意識して作ったわけではないが、世に出たら名前で受けたというものだ。

締めの食べ物は手羽先と冬瓜の冷し煮物

お酒は大倉

日本酒なのにウィスキーのような感じの酒。度数も少し高い。なので、マスターによると飲むなら最後の1杯に勧めているということだった。


2012年8月16日(木)の日記

2012年08月16日 | 日記

今日は晴れて猛暑になるという予報だったが、朝、南行徳駅へ向かう途中に空を見ると秋みたいな雲が出ていた。

でも、会社最寄り駅を降りて歩いていくと日差しはすっかり強烈になっていて、やはりまだまだ夏だ。

晩飯は南行徳を降りて、やよい軒で値引きキャンペーン期間のステーキミックス定食

7月に録画してまだ見ていない映画から今日も1本みる。1991年作品の「ゼイラム」。DVDは持っているが、HD版での放映らしいので録画したのも見る。

ヒロイン イリア役の森山祐子。

20年余り前は、戦うヒロイン映画はまだまだマイナーだった。森山祐子の美貌はもちろん、強烈な意志を感じさせる顔立ちが、戦うヒロインの魅力をより際立たせていた。

森山祐子は2000年を過ぎた頃に芸名を森山ゆうこに変え、事務所も移籍したということだったが、しばらくするとさっぱり情報がなくなった。今はどうしているのだろう。芸能界から引退したということか。放映したチャンネルNECOの予告CMでは、「伝説の特撮女優」と言っていた。ついこの間の作品だと思っていたら、もう20年以上になってしまった。伝説になるのも、むべなるかなと思える。

日曜日に新幹線での座り方がよくなかったためか、翌月曜日に特に痛かった腰も、かなりマシになってきた。それで先週はさぼったダンベルエクササイズをやる。今回は上半身メニュー。腰の部分に悪影響がないよう、腰を固定するよう姿勢を取り、力を加えて刺激する筋肉だけを意識してやる。


2012年8月15日(水)の日記

2012年08月15日 | 日記

晩飯はなか卯

今日は初めての組み合わせを注文してみる。牛丼ミニ冷し小うどん唐あげ3個

これまでは丼もののミニとフルサイズのうどんか、丼ものの並と小うどんかどちらだったが、どちらも小さいのにして、それに唐揚げの一番数が少ないのを加えた。年齢が上がるほど、こういう食べ方でちょうどよい分量だと思える。

 

7月にケーブルテレビで録画した映画でまだ見ていないものがけっこう残っている。「伝説巨神イデオン」の劇場版「接触編」と「発動編」が公開30周年ということで放映されたので録っておいた。昨日、「接触編」を見て、今日、「発動編」をみる。

「機動戦士ガンダム」と同じ富野喜幸(現.富野由悠季)監督の作品で、「ガンダム」の翌年の1980年にテレビシリーズが放映されたが、低視聴率のため予定の残り4話を残して打ち切り。そして1982年に劇場映画版が作られ、テレビ版のダイジェストが「接触編」。テレビ版の最終回+残りの4話で構成されるのが映画の「発動編」。

1982年というと大学3年のときで、劇場公開時には見に行った。見るのはそれ以来30年ぶり。テレビ版のほうは20年以上前にビデオソフトで見ているし、また、ケーブルテレビで放映されたのも見ている。

イデオンの戦いの場面で印象に残っているのは、全身から四方八方に針が飛んでいくようなミサイル一斉発射。

敵役メカの武器乱射ならあったかも知れないが、主役ロボットがこんな戦い方をするのは、それまで見たことがなかった。

印象に残るキャラクターというと、主人公たちの地球人側でなく、異星人バッフクラン側の2人の女性、カララ・アジバとハルル・アジバの姉妹。どちらもバッフクラン軍総司令の娘で、ハルルのほうが姉。

物語の中心と言っていい妹のカララ。

声は戸田恵子。戸田恵子の名前を初めて目にし、初めて声を聞いたのは「ガンダム」のマチルダだが、ゲストキャラのマチルダに対し、カララはレギュラーだったためか、戸田恵子が演じた役で最も印象が強い。

姉のハルル。

軍の指揮官で、並の男以上の武術の能力を持つ女傑。軽はずみな行動で異星人との戦いの発端と作ったばかりか、異星人と行動をともにした妹カララを、部下に命じて服を引き裂かせて辱しめるという厳しい人物。

そうした人物が、まれに女性的な部分を見せると、それがまた魅力的だったりする。

声は麻上洋子。麻上洋子というと「イデオン」以前は「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)の森雪のイメージしかなかった。森雪は可憐でけなげ、だけどそれ以上でない昔風のヒロインキャラだったから、同じ声優がハルルのような女傑の役をやることに驚いた。同時にプロの役者の技量というのも感じたのだった。それで、麻上洋子の役というとまず思い出すのは、このハルル様となった。


2012年8月14日(火)の日記

2012年08月14日 | 日記

天気が不安定なようなので、鞄に折り畳み傘を入れていく。会社最寄り駅を降りると、かすかに降っているようだったが、会社に着くまで傘を差さずになんとかいけた。そのあと、強めに降った時間もあったようだから、うまく雨の時間にあたらずにすんだ。

晩飯は南行徳を降りてから一心亭盛岡味噌冷麺とスタミナ餃子のセットにする。

まず、盛岡味噌冷麺が来る。夜の時間の無料トッピングはもやしにする。

次いで、スタミナ餃子が焼き上がってきた。

7月初め頃に盛岡味噌冷麺を食べたときは、少し辛味を増そうとカウンター上の豆板醤を入れたら、味噌スープの味を殺してしまった。今回はそのリベンジ。豆板醤などいれず、スープの味を確かめつつ食べる。味噌スープは、熱いスープの味噌ラーメンのような濃い味ではなく、薄っすらとした味噌味。濃いと冷めた味噌汁みたいだから薄めのほうがよいのかもしれない。具として入っているキムチはスープに混ぜず、箸でちょっとずつつまむ。でも、最後のほうになると、キムチの唐辛子が徐々にスープに混じって、味噌味がほとんど感じられなくなってしまった。


2012年8月13日(月)の日記

2012年08月13日 | 日記

昨日の新幹線で座り方の姿勢があまりよくなかったのか、今日は腰が痛い。ずっと座っていて立ち上がってしばらくが特に痛い。ずっと立っていて歩くときは特に何も感じない。でも、大阪への往きも同じ時間座っていたが、着いてから特に痛くなったわけではない。入院した母親が別に深刻な状態ではないことが分かってホッとして油断し、ダラッとした座り方になったのかも知れない。

今日の帰りは新井の盆踊り大会へ寄って行く。夏の行事の一つとしてその模様を写し、トップページレポートにする。昨日の夜に撮影した野外ライブin南行と一緒に、今日にはUPできるよう、昨日のうちに準備を進めておいた。画像をはめ込んでコメントを入れてUPすればOKとなるようにしておいた。

新井は毎年、お盆の時期に盆踊り大会をやっているようだ。盆踊りは本来は、お盆にやる踊りだから盆踊りという名前。起源をたどれば死者を弔うための踊りで宗教行事の一つだったそうだ。今は宗教色もなくなり、時期も7月、8月の週末というところが多いが、新井ではお盆の踊りとして行なわれている。なので、平日でも行なわれる。

今年は暗所撮影に強いコンパクトデジカメを買ったので、通勤用の鞄にカメラを入れ、平日夜に行なわれる盆踊り大会のようすを気軽に写しに行けるようになった。なので、新井の盆踊り大会を取り上げて、平日にトップページレポートにしてUPするというのは、最初から考えていたことだ。土日が急につぶれたから、その代わりにというわけではない。もし、大阪の親の家にもうちょっといなければならなくなったら、新井の盆踊りを取り上げるのは来年になっただろう。

さて、晩飯は浦安駅前の日高屋肉野菜炒め定食

そのあと新井の熊野神社へ向かう。
バイパスを歩いて、東京ベイ医療センター入口の交差点を曲がって旧道のほうへ入る。その交差点は四つ角のうち3つがコンビニという珍しい場所。行徳雑学館を作った初期に「コンビニ銀座」と名付けてコンテンツにしている。

夜の「コンビニ銀座」はこんな感じ。左手前がローソン、その向こうがセブンイレブン、道の反対側がファミリーマート。

ここにコンビニが3軒もあるのを見つけたのは13年ぐらい前。深夜帰宅になってしまいタクシーに乗って信号待ちで止まったときに、目の前にコンビニが3軒もあるのを見てびっくりした。夜の光景を見ると、そのときのことを思い出す。

旧道を歩いて新井の熊野神社へ。盆踊り大会のようすを撮影する。
トップページレポートに使わなかったものから何枚か。








夏イベントはもう数ヶ所を取り上げたから、今回分で今年のは終了のつもり。


2012年8月12日(日)の日記

2012年08月12日 | 日記

3日間、大阪の親の家に行っていたが、今日の午後6時ごろに東京駅に着く新幹線で帰ってくる。

母親が急に入院したと水曜日の夜に電話が来たので、ようすを見に行ってきた。命に関わるようなものではないということだったが、急だと驚く。年寄りだし、予告して具合が悪くなったりするわけでないから急なのは仕方がない。

どんなようすかと思ったが、父親とは携帯電話で話をしているというし(病室やその周りは使用可能区域になっていた)、実際に行ってみると、キャスター付きの点滴の器具はそばに置いていたが、それを押して同じフロアのソファが置いてあるところへも行くし、エレベータでロビーのフロアへ降りて売店でドリンクを買ってきたりもしている。最初は2週間ぐらい入院しなくてはいけないようなことを言っていたが、それが10日になり、今日は1週間と1日か2日で退院できるということになった。そして退院したら、ゆるゆるとだが家事もできるようだ。

なので、最初の知らせでは一瞬、肝を冷やしたが、今日ぐらいになると拍子抜けしたような気持ちになった。

むしろ、問題は家に1人でいる父親のほう。食べることや、病院の母親が着ていたものを持って帰って洗濯したりしなくてはならない。妹のところに2人目の子供が生まれたときは、上の子の世話もあるから実家で出産というわけにはいかず、母親が1ヶ月ぐらい手伝いに行っていた。父親は1人で残って生活していた。そのときに生まれた子が今は高校生だから15年余り前。その分、年を取っている。そして、当時と洗濯機が変わって使い方が分からないなどと言っている。だから、教えてやらせないといけなかった。

自分のところのもそうだけど、いまどきの全自動洗濯機は最初に洗濯槽が少し動いてセンサーで洗濯ものの量を検知し、水・洗剤の量を決める仕組みになっている。そして、パネルにはコンパクト洗剤のスプーンに全部とか半分とか洗剤を入れたイラストが並べて描かれていて、入れるべき量のイラストのとなりにあるランプが点灯する。15年ぐらい前に使っていた洗濯機(買ったのはさらにその前)には、こんな仕組みはまだなかった。

パネルには標準コース以外で洗うときのボタンがいろいろと付いているが、父親のような機械に弱い年代はそれで恐れをなしてしまうようだ。電源入/切とスタートのボタンだけ押して、あとは洗剤を入れる量のランプを見て洗剤を放り込み、蓋をするということを、実際にやらせつつ教える。

ごはんは自分で焚けるようだ。炊飯器の仕組みは昔からそう変わっていないし、それに今は無洗米があるから準備も簡単になっている。あとは、スーパーやコンビニに一緒に行って、惣菜コーナーで小さいパッケージのもの(いわゆる「個食パック」)を買って食べるように教えてくる。

これだけ教えておけば、母親が戻ってくるまであと数日、なんとかしのげるだろう。妹も都合を付けて行くつもりと言っているし。

 

こういう状況なので、もう自分の生活も通常に戻る。

このブログは日記なので、書くことは個人的なことだが、何でも書くわけではなく、公開しても問題ないと思った範囲で書いている。しかし、今回のような状況だと書くべきか判断が難しい。なので、途切れざるを得なかった。別に深刻な状況ではなかったので、通常に戻せる。これまで、インフルエンザにかかったとか、急に熱を出して寝込んだとかで途切れたことはあったが、今回2日間、途切れさせてみると、大して書くことがないときは別に途切れてもいいように思えてきた。でも、すぐ実行に移そうと思っているわけでもない。

 

さて、今日は南行徳に着いてまず晩飯。松屋豚生姜焼定食を食べる。スーパーで買い物をして家に帰ったらもう午後7時。父親にちゃんと晩飯を食べたか電話したりして、そのあとは行徳雑学館に関する活動も再開。

南行徳公園で毎年、この時期に行なわれている野外ライブin南行へ行く。ライブを聞くというよりは、地域のイベントの一つとして写真を写しに行く。

午後8時前後の時間に、しばらくイベントの様子を撮影。今回は午後4時から午後9時までの開催ということだった。自分のほうが、ふだんの土日にやっていることをこの週末にはやっておらず、今日も一部、やっておかないといけないし、あまり長い時間、見ることはできなかった。

明日からは仕事も通常どおり。