行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年8月12日(日)の日記

2012年08月12日 | 日記

3日間、大阪の親の家に行っていたが、今日の午後6時ごろに東京駅に着く新幹線で帰ってくる。

母親が急に入院したと水曜日の夜に電話が来たので、ようすを見に行ってきた。命に関わるようなものではないということだったが、急だと驚く。年寄りだし、予告して具合が悪くなったりするわけでないから急なのは仕方がない。

どんなようすかと思ったが、父親とは携帯電話で話をしているというし(病室やその周りは使用可能区域になっていた)、実際に行ってみると、キャスター付きの点滴の器具はそばに置いていたが、それを押して同じフロアのソファが置いてあるところへも行くし、エレベータでロビーのフロアへ降りて売店でドリンクを買ってきたりもしている。最初は2週間ぐらい入院しなくてはいけないようなことを言っていたが、それが10日になり、今日は1週間と1日か2日で退院できるということになった。そして退院したら、ゆるゆるとだが家事もできるようだ。

なので、最初の知らせでは一瞬、肝を冷やしたが、今日ぐらいになると拍子抜けしたような気持ちになった。

むしろ、問題は家に1人でいる父親のほう。食べることや、病院の母親が着ていたものを持って帰って洗濯したりしなくてはならない。妹のところに2人目の子供が生まれたときは、上の子の世話もあるから実家で出産というわけにはいかず、母親が1ヶ月ぐらい手伝いに行っていた。父親は1人で残って生活していた。そのときに生まれた子が今は高校生だから15年余り前。その分、年を取っている。そして、当時と洗濯機が変わって使い方が分からないなどと言っている。だから、教えてやらせないといけなかった。

自分のところのもそうだけど、いまどきの全自動洗濯機は最初に洗濯槽が少し動いてセンサーで洗濯ものの量を検知し、水・洗剤の量を決める仕組みになっている。そして、パネルにはコンパクト洗剤のスプーンに全部とか半分とか洗剤を入れたイラストが並べて描かれていて、入れるべき量のイラストのとなりにあるランプが点灯する。15年ぐらい前に使っていた洗濯機(買ったのはさらにその前)には、こんな仕組みはまだなかった。

パネルには標準コース以外で洗うときのボタンがいろいろと付いているが、父親のような機械に弱い年代はそれで恐れをなしてしまうようだ。電源入/切とスタートのボタンだけ押して、あとは洗剤を入れる量のランプを見て洗剤を放り込み、蓋をするということを、実際にやらせつつ教える。

ごはんは自分で焚けるようだ。炊飯器の仕組みは昔からそう変わっていないし、それに今は無洗米があるから準備も簡単になっている。あとは、スーパーやコンビニに一緒に行って、惣菜コーナーで小さいパッケージのもの(いわゆる「個食パック」)を買って食べるように教えてくる。

これだけ教えておけば、母親が戻ってくるまであと数日、なんとかしのげるだろう。妹も都合を付けて行くつもりと言っているし。

 

こういう状況なので、もう自分の生活も通常に戻る。

このブログは日記なので、書くことは個人的なことだが、何でも書くわけではなく、公開しても問題ないと思った範囲で書いている。しかし、今回のような状況だと書くべきか判断が難しい。なので、途切れざるを得なかった。別に深刻な状況ではなかったので、通常に戻せる。これまで、インフルエンザにかかったとか、急に熱を出して寝込んだとかで途切れたことはあったが、今回2日間、途切れさせてみると、大して書くことがないときは別に途切れてもいいように思えてきた。でも、すぐ実行に移そうと思っているわけでもない。

 

さて、今日は南行徳に着いてまず晩飯。松屋豚生姜焼定食を食べる。スーパーで買い物をして家に帰ったらもう午後7時。父親にちゃんと晩飯を食べたか電話したりして、そのあとは行徳雑学館に関する活動も再開。

南行徳公園で毎年、この時期に行なわれている野外ライブin南行へ行く。ライブを聞くというよりは、地域のイベントの一つとして写真を写しに行く。

午後8時前後の時間に、しばらくイベントの様子を撮影。今回は午後4時から午後9時までの開催ということだった。自分のほうが、ふだんの土日にやっていることをこの週末にはやっておらず、今日も一部、やっておかないといけないし、あまり長い時間、見ることはできなかった。

明日からは仕事も通常どおり。