行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年4月29日(木)の日記

2010年04月29日 | 日記

朝飯は南行徳駅前のマクドナルドへ行って、サラダマリネマフィンセット

帰ってきてから昨日の日記を付ける。それと祝日はふつう、洗濯はしないが今日はやる。ゴールデンウィークなのでいつものパターンとはちょっと変えて、昨日までのアンダーウェア類は洗っておく。

午後1時過ぎにカメラを持って歩きで出かける。ゴールデンウィーク第1日目の街の風景を写してトップページレポートにするつもり。

昨日、浦安の番屋へ行ったが、店長の耕ちゃんが以前、やっていた湊新田の耕が入っていた建物はどうなったかというのを思い出した。長屋形式で1階が店舗用の建物だったが、家主が取り壊すことを決めていたということだった。湊新田でバイパスのほうへ出て見ると、もう建物は取り壊されていて、次の建物(多分マンション)の工事が始まっていた。

今日の昼飯は何にしようかと思ったが、行徳駅の駅前通り東側(妙典側)のメトロセンターにある大衆割烹きよみずへ行って見る。前にも通って気になったことがあった店。ランチメニューもあるようだ。

店内はこんな感じ。テーブル席、お座敷、それに4席が5席だがカウンター席もあった。

ランチメニューの海鮮丼(800円)を食べる。割烹のお品書きにも魚介類が多いので、海鮮丼も内容が充実していた。

そのあと末広、宝、幸と歩く。

4月末というとツツジが咲き始める頃だが、今はまだちらほらというところが多かった。やっぱり、強烈な寒の戻りがあったりして4月が寒かったせいだろうか。

市川水路のそばまで来た。このあたりへ来ることがあっても、自転車で堤防上を走ることがほとんどなので、堤防下から眺める風景は新鮮。右のほう、堤防の向こうに見える建物が中江川排水機場。

強い風が吹いていたので、今日は釣り糸を垂れる人の姿もなかった。

行徳駅南の商店街を抜けて行徳駅前公園へ寄って帰る。線路沿いを歩いて、ジャズライブのHot Houseの前を通る。この前来たとき、ママさんが店が閉まっているときもシャッターは下ろさないようにしていると言っていた。考えて見ると、自分がこの店にはじめて来てから今年の秋でもう丸10年だが、夕方からやっている店だから昼間の明るい時間にシャッターが上がっているのを見たことがなかった。改めて、こんな感じの店だったのかと思った。

ママさんがブログで、店内の様子が分かりにくく、入りづらいと感じる人が多いとか、店のWebサイトやブログを見てもらえば、別におっかない店ではないと分かるのにとかいったことを何度か書いていた。それで、Webサイトを持っている会社や店でよくあるように、ひさしやシャッター、看板などに店名と並べてWebサイトのURLを載せておくのがいいよと話したことがあった。

結局、ひさしやシャッターには書かなかったが、シャッターを開けておき、壁にメニューやライブの登場プレイヤー紹介、そしてこのURLを大きく書いたWebサイト紹介のポスターを貼るようにしたようだ。

帰って、写してきた画像でトップページレポートを更新。ゴールデンウィークになったといっても、別に観光地などではないのだからふだんの休日と変わらない。それで、南風が強いゴールデンウィーク初日という内容にした。

晩飯は南行徳駅前までまた行ってなか卯牛丼・小うどんセット唐あげを食べる。

唐あげは今回もお得クーポンの無料券で。

 

時代劇専門チャンネルで2月中順から月~金に放映されてきた1979年のNHK大河「草燃える」も今日の分で最終回となった。

午前中に昨日録画しておいた第50回を見る。放映は毎日正午から。なので今日は正午から第51回(最終回)「承久の乱」を見る。

「草燃える」は1979年当時、1月~3月に放映された分は見ていた。高校3年で大学受験の年だったが勉強ははかどらず、あきらめ気味だったこともある。だけど、4月から予備校通いになって、日曜日も夜8時からは月曜の予習をやっていたのでほとんど見なくなった。親は見ていたので、ちょっとテレビのある部屋に出てきたりしたときは目に入るから、断片的に見た記憶があるぐらい。

そんなだったが、12月になってからのラスト3回は最初から最後まで見ていた。
第49回「実朝暗殺」
第50回「三浦義村の策謀」
第51回(最終回)「承久の乱」

そして最終回の最後の数分間が自分が見た大河の最終回の中でも一番、強く印象に残るラストになった。

北条義時(松平健)の若い頃からの友人だが、義時の怒りを買って両目を潰された伊東祐之(滝田栄)が琵琶法師となって鎌倉に現れる。顔を見て驚いた義時が
「伊東十郎祐之か?」
と問うが、
「名も無き琵琶法師でございます。」
と否定する。その場面では周りに家臣や女房衆がいるのだが、祐之が平家物語の弾き語りをする場面では義時と祐之の2人だけになった。

第1回から物語の中心にいた二人の人物を際立たせるための演出でそうなったのだろう。

平家物語は高校の古典の教科書に最初の部分が載っていたが、実際に琵琶法師が弾き語るとどんなふうになるのかは文字だけでは分からない。

滝田栄の弾き語りが実際の琵琶法師の弾き語りにどの程度近いのかは分からないが、この場面を見て「きっとこんな感じなのだろう。」と思ったのだった。それだけ、滝田栄の弾き語りが見事だった。

そして、もう一つ強く印象に残っているのが岩下志麻演じる北条政子。平家物語の弾き語りをバックに義時、祐之、政子がかわるがわるアップになって現れる。ラストは北条政子で、義時のアップの脇にフェードインする。義時がフェードアウトして政子1人になり、ズームアップして顔がはっきり分かるようになってから、

政子の脇に「完」の文字が出て、そして政子がフェードアウトして「完」だけになるまで、岩下志麻が全然、まばたきをしなかった。

鎌倉幕府を支えるために頑張ってきたが、夫も子供も孫もみんな先に死んでしまって自身には何も残らなかったと、1人生涯を振り返りむなしさを噛締める場面。自分が18歳から19歳ぐらいの多感な時期だったこともあるが、大河ドラマで最も印象に残ったラストシーンだった。もし、こうした場面で登場人物がまばたきなどしたら、見ているほうも興ざめになってしまっただろう。

岩下志麻がどの程度の時間、まばたきをしなかったのか今回、録画したもので計って見た。顔がはっきり分かるようになってから、フェードアウトして消えるまでほぼ40秒。記憶では1分近くあったような気もするが、多少、大げさに覚えていたようだ。半分の20秒でも、まばたきを止めるのはなかなかできないが。

当時、家族で見ていたがこのラストシーンを見て、
「女優さんて凄いねぇ。」
と話したりしていた。

別に女優でなくても男優でも数十秒まばたきを止められる人はいるだろうけど、岩下志麻がその当時でもすでにベテランの大女優だったわけで、それが知識としてあるから自分も家族もそんなふうに思ったのだと思う。

最終回だけでなく、その2回前の「実朝暗殺」でも覚えていることがある。

源実朝(篠田三郎)が公暁(堀光昭)に殺される場面では、

篠田三郎に対して
「変身して戦え!」
と思った。

篠田三郎がウルトラマンタロウをやっていたからといっても、ウルトラシリーズ以外の作品で変身したりするわけはない。でも、子供の頃にヒーロー役をやっているのを見ていた俳優がやられそうになると、そんなふうに思ったりする。

10代後半の年になって、しかも家族も一緒に見ている前で、そんなことを思ったからといって口に出したりしはしない。だいたい、男の子は小学校の高学年になるぐらいから徐々に無口になって、特に母親には何を考えているのか分からなくなっていく。子供の頃にヒーローものや、スポ根もので見た俳優を他の作品で見たときは、その作品はそれとしてちゃんと見ているが、頭の一部分では「何というヒーロー番組で見た誰それだ。」と思い、口の隅でニヤリとしたりするのだ。「草燃える」だと例えば、三浦義村役の藤岡弘を見て、
「仮面ライダー本郷猛だ!」
と頭の一部分で思っても、口に出したりはせず、小さくニヤリとする。自分もそのころはそうだった。いや、いまでもそうだけど。

「草燃える」は1979年当時に見ていなかった回を見ると、口の隅で小さくニヤリとしてしまうような、特撮もので見た俳優がけっこう出ていた。

それから去年の夏にこの日記にも書いたが、去年の大河ドラマアーカイブスで放映された分のうち第48回に侍女という端役で小山茉美が出ていたのを見つけた。同じ年に放映された「機動戦士ガンダム」でキシリア・ザビ役をやっていた小山茉美だ。今回、完全版ということで「草燃える」は全話が放映されたが、第50回「三浦義村の策謀」のオープンニングでまたしてもガンダムに関係する人物を発見。

藤原忠綱役の池田鴻。

池田鴻といえば、ガンダムのオープニングとエンディングのテーマ曲を歌った人。だから歌手として記憶していたが、俳優でもあり歌手でもあったということだ。

暗殺された実朝の追悼に朝廷からの遣いとして鎌倉にやってきた人物の役だった。手前側で背を向けているのは北条義時の松平健。

雑誌のガンダム特集か何かのインタビュー記事で写真を見たことはあったが、紳士然とした感じだった。その印象とはずいぶん違うと思ったが、役者なのだから役で印象が変わるのは当然だ。記事の写真はおそらくプロフィール写真ではなかったかと思う。

この池田鴻氏はガンダムの主題歌歌手でありながら全然メディアに登場しないと思ったいたが、検索して見るとすでに20年余り前の1988年(昭和63年)に48歳の若さで亡くなっていた。(→Wikipedeiaの記事

そんなことは全然知らなかった。改めて合掌。