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萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

列島攻略!第2回 『東北』 その2  ~自転車の旅編~

2009年06月03日 | 列島攻略!

<橙色でぼかした部分が自転車の旅予定、楕円で囲った山が登山予定の山>

【自転車の旅】

①下北半島
 ここは本州最北の地であり、その斧のような地形は子供の時から魅せられていた。普通の人よりは日本列島を出張や旅行でくまなく歩いていると自負しているが、この地には一度も足を踏み入れたことがない。せいぜいが斧の柄の手元にあたる三沢市に仕事で行ったぐらいである。

ここは青森か野辺地あたりから北上し、斧の刃の部分を走って本マグロで有名な大間崎を回って斧と柄の結合部分の尻屋崎まで行って南下。小川原湖の脇を通って、三沢、八戸あたりまで走ってみる予定。恐山にはぜひ寄ってみたい。また、明治維新後、朝敵の会津藩の移転先だった斗南藩跡も見てみたい。となると二泊三日は欲しい。


②北上川 源流~河口
 三分の二まで達成。残り三分の一は牡鹿半島一周と組合せで走ってみたい。石巻で一泊して海の恵みで一杯やれたら最高だ。

③阿武隈川 源流~河口
 那須岳の白河側の山麓に甲子温泉というのがあり、その辺りが源流。まずはその温泉で一泊してから、川に沿って、福島県を縦断し、宮城県の荒浜が終点だ。荒浜では9月以降なら名物「はらこ飯」が食える。実施時期としてはその辺りを狙うか。

④最上川 源流~河口
 岩手県「北上川」、福島県「阿武隈川」の川下りをしたならば、山形代表のこの川をやらない手は無い。ということで、この源流から河口まで他県をまたがらない一県だけを流れる川としては日本一長い最上川も予定にいれておく。磐梯山の北側山麓の白布温泉あたりが源流なので、そこから発し、米沢、天童、村山、尾花沢、新庄あたりまで行く予定。

⑤日本海
 秋田、山形、新潟までの日本海沿いを自転車では走っていない。「列島轍靴図」を眺めていたら、どうしても、この長い海岸線に緑の線を書き入れたくなった。それだけの理由で、自転車の旅として走り出すのも、“また、楽しからずや”である。「海の幸街道」とでも名付けて走りたし。

⑥新潟~福島間列島横断
 これも地図を見ているうちに走って見たくなったコース。新潟市からいわき市までの山岳コースを走る旅だ。自転車は山岳地帯なので氷川丸になるだろう。この旅は「一泊二日×数回」を必要とするかもしれない。

この東北地区は仙台に“止まり木”があるうちに成し遂げねばならない。また、この地区は“おくのほそ道”の大部分を占める。それは別途単独で攻略方法を紹介しようと思っている。
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列島攻略!第1回 『東北』 その1~特徴と“轍・靴跡”~

2009年05月26日 | 列島攻略!


「日本列島轍靴ノ図」の東北地方部分>


【特徴】

東北地方は関東以北に長々と伸び、その面積はざっとみて本州島の三分の一は占めている。しかしながら、江戸時代まではその広大な地域を、たったの二ヶ国でしか呼んでいなかった。すなわち、奥羽山脈を境に左半分が「出羽」(現、秋田、山形県)右半分が「陸奥」(青森、岩手、宮城、福島県)である。当時日本には蝦夷地と琉球を除いて六十八ヶ国あり、本州島に限ってみても五十一ヶ国もあったのにだ。

これだけ広大な地域に二国名しか割り当てなかったことで、時の中央政府の“東北”に対する関心の薄さが推し量れる。だがしかし、江戸人の“大雑把”さを我々は笑えるだろうか。今でも、関西以西に住む人たち、いや首都圏に住む人たちでさえも、親戚でもいない限り、“東北”という地に対する認識は希薄なのではないか。

かく言う小生も仙台に住むまでは、これほど豊かな国で、しかも、六県ともどもに特徴があり、それぞれに文化も、祭りも、方言も、気質も違っていようとは思ってもいなかった。“東北”ということでひとくくりにしていた感はいなめない。江戸人を笑うどころではない。彼等は、まだしも、二カ国で呼んでいたのだから。


【轍】

東北地方に親戚や友人、知人はいなかったが、過去に馴染みがないわけではなかった。大学1年の夏に初めて自転車でロングランを経験したコースは“東北”であった。小生の“自転車の旅”の原点とも言える土地だったのだ。

まずは、先輩に連れられてクラブの合宿の集合地青森まで走った。東京~仙台までは野宿をしながらのランである。仙台から秋田までは輪行して、秋田~青森間を無人駅などに泊まりながら走った。

青森からはクラブ合宿で、皆で手分けして鍋やテントをキャリアにくくりつけて走り、泊まりはキャンプ場である。青森からは八甲田山中腹の発荷峠を越え、十和田湖経由で八戸へ行く。八戸からは三陸海岸を南下し気仙沼へ。アップダウンの繰り返しがきつかった。内陸に戻って平泉見学をした後、一関から奥羽山脈の峠を越え山形に行き、また、登り返して仙台まで来て解散した。これが1977年夏の20日間ほどのロングランのコースである。(赤いライン)

この20日間の経験がその後の小生の「自転車乗り」としての運命を決定付けた。「自転車は長く走るに限る」と思ったのだった。


社会人になってからは男鹿半島を御免丸で走ったぐらいが“轍”であった(紫のライン)。昨年7月、仙台に“止り木”を持つようになってからは「津軽」「最上川」「白河~仙台」「貞山掘」「北上川」と走りまわっている。(緑のライン)

【靴跡】

山スキーに初めて連れて行ってもらったのは1997の5月連休の鳥海山だった。師匠はドラゴン氏。スキーの裏にシールを張って雪の斜面を登っていく感動。登り終えて、ゲレンデとは全然違う自然の雪の上を滑る難しさと楽しさ。子供の頃の“雪遊び”の興奮が四十男にまざまざと蘇ったのを思い出す。

登頂済み百名山は北から言うと、岩木山、八甲田山、八幡平、早池峰山、鳥海山、朝日岳、蔵王山、吾妻山。東北エリアの登頂率はかなり高い。


◆総じて、自転車にしても山にしても、そして、仕事にしても、“東北”は小生にとって縁が深いエリアである。もちろん、住み心地もいい。だから、「列島攻略シリーズ」の第一回は“東北”から始めねばならないと思ったのである。
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『日本列島轍靴ノ図』

2009年05月19日 | 列島攻略!


以前に紹介した自転車の旅と登山の足跡を記(しる)した白地図ボードに名前をつけた。自転車の旅の足跡を“轍(わだち)”、山登りの方を山靴から“靴”とし、“轍靴(てっか)”という勝手な言葉を作った。また、“日本”とそのまま呼ぶより、その長さを強調するため“日本列島”とし、合せて、

  日本列島轍靴ノ図  (にほんれっとうてっかのず)

と命名。まだ、自転車や山登りに行っていない所を「手付かず」(“轍靴図”とかけている)とし、どこを、いつ、どうやって攻略するかの作戦を立てるのに役立てようと思っている。北海道、東北、関東、甲信、近畿、中国、四国、九州のパートに分けて、作戦立案をする所存。これらの、計画から実行までを、

  列島攻略

と称し、以後、新シリーズとして綴っていこうかと思っている。

まずは予告まで。
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自転車と登山の足跡マップを作ってみた

2009年03月27日 | 列島攻略!

<白地図に、今まで自転車で走った道を書き入れ、登った百名山をプロットした>


<近畿地方をクローズアップしてみると、こんな感じ>


<中部山岳地帯は百名山の宝庫なので、地図を別にしてプロット。>

白紙の日本地図(60cm×85cm)を厚さ5mmの発砲パネルに貼り付けて、今まで小生が自転車で走った道に線を引いた。赤のラインは大学4年間で走ったところ。言わずもがな圧倒的に多い。紫のラインは入社当時に走ったところ。緑のラインが氷川丸購入(2005年6月)以降走ったところである。

ところどころに緑の△印があるのは、深田久弥の日本百名山だ。緑で塗りつぶしてある▲印は登頂した山。△は未踏の山である。頂上を極めた百名山は今のところ65座。残り35。中部山岳地帯は百名山が多く、自転車で走った道と輻輳してしまうので、別枠(北海道の地図の下)にしてプロットした。

それぞれに時間的すみわけがある。
 ・赤い線は1977年~81年の学生時代。
 ・紫の線は1981年~90年頃まで。
 ・緑の線は2005年~現在で自転車の旅復活以降の足跡。
 ・▲印のほとんどは1990年代に登ったもの。

会社に入ってからは、自転車にはあまり乗らず、趣味としては野球を中心にやっていた。90年代に友人に誘われて山登りを始めてからは、しばしの間のめり込む。90年代後半には山スキーも初めた。一緒に遊ぶ友人が一人減り、二人減りしていく内に旅仲間がいなくなり、原点回帰で自転車の旅を思い立つ。2005年にランドナー(氷川丸)をオーダー。以降は機会あるごとに走るようになった。

この地図作成の目的は四つ。

一.これを眺めているだけで、いろいろな思い出が蘇る。道にしろ、峠にしろ、海にしろ、川にしろ、そして山にしろ、である。小生の四半世紀の日本列島との付き合い、ふれあいが蘇るのだ。たった一枚の地図ではあるが、詰め込まれている思い出は多い。過去へと誘(いざな)うタイムスリップボードとも言える。

二.まだ、登っていない山、自転車では行っていない場所が一目瞭然なので、次は何所へ行くか。何時、どうやって、何をやろうか、とわくわくしながら作戦を立てられる。これが“また、楽しからずや”である。この目的で眺める時は未来へと誘うタイムスリップボードとなる。

三.友人や知人に小生の自転車と山の自慢話をする時に役立つ。が、これは使い方を間違うと、嫌われる可能性が高いので扱いに注意しなければならない。

四.ブログに利用できる。この記事自体もそうだが、今後、旅行記や山行記録を載せる時にこのボードを活用して大まかな計画や過去の記録などをお伝えできる。

作ってしまえばなんてことはないが、実は構想から完成まで二年はかかっている。構想を思い立ってから、ボードに白地図を貼るのに約半年。学生時代に走った道に赤いラインを入れたのがほぼ一年前。後はしばらくほったらかし。百名山を書き入れるアイデアを思いついた時はひとり悦にいって喜んだのだが、いざ、実行しようと思うと億劫でついつい先送りとなる。

それが、だ。断酒の日々を過ごす内に、そうだこいつを完成させてしまえ、と思い立った。書斎にぶん投げてあったボードの埃を払って、入社当時走ったところに紫のラインを入れ、2005年以降、氷川丸や御免丸で走ったところに緑の線をいれた。一番、面倒と思われた百名山の書き入れも、やりだしてしまえば、せっせと書き入れ、あっという間に完成してしまった。

“酒を呑まない”と、呑んでる時間と酔ってる時間という物理的な時間の節約に加え、明晰な思考と粘り強い精神力が蘇るようだ。時間をもてあましたから、着手したのではなく、呑んでいないので着手できた、と思っている。このボードも“断酒の賜物”と言えるかもしれない。
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