
映画「レッドクリフ」を観てきた。partⅠと言うとおり、完結ではなかった。迫力あるシーンも多々あり、まあまあ楽しめた。個人的に配役を評すると、関羽、超雲あたりははまっていたが、張飛は毛むくじゃらすぎ、劉備はさえないオヤジ過ぎの気がした。孫権、周瑜はまあまあ。小喬は色っぽ過ぎ。金城武の諸葛孔明はチャーミング過ぎだ。
ま、三国志の役どころは各々個人的に思い入れがあろうから、俳優とイメージが違ってしまうのも無理のないことだと思う。
観ていて考えさせられたのは、この赤壁の戦いというのは呉国から見たら「祖国防衛戦」だったことだ。曹操という北の巨人が圧倒的な戦力で南下してきて、呉を攻め取ろうする。降伏すべきか戦うべきか。降伏すれば、“呉”という国は無くなる。国王孫権が悩んだ末に決めたのは戦って呉を守ることだった。同じく曹操に追い立てられた劉備軍と同盟し、迎え撃つことに決めたのだ。
最近「坂の上の雲」を読み返したばかりだったので、ニコライ2世と曹操、ロシア軍と魏軍、バルチック艦隊と魏の夥しい軍船、追い詰められた日本と呉、などが重なって見えた。遠路はるばるやってきて、疫病や船酔いにやられて士気が落ちている魏軍もバルチック艦隊の戦闘員たちとダブル。そして、なにより、これが「祖国防衛戦」であり、負ければ強国に呑みこまれてしまう、といった“後の無さ”が酷似している。
結果は日本も呉も侵略側に完勝して終わる。専制君主の野望に対し、“国防”の必死さが上回ったのである。後世からみれば、誠に痛快時であるが、実際にことにあたった人たちは大変な気苦労があったかと思える。
日本陸軍の総参謀長として勝利のために心血を注ぎ込んだ児玉源太郎は戦後8ヶ月で急遽した。周瑜もまた赤壁の戦い後まもなく没する。矢面に立つ人間の途方も無い“心労”を思わずにはおられない。