小雨。
やはり、梅雨時は雨が降らないと…。
「ムクゲ(木槿)」の花はしぼんでいます。蕾はまだまだありますから、きっと雨のせいでしょう。「ツキミソウ(月見草)」も小さくなっています。雨のせいですね。
涼しい風が吹いています。暑さも一段落…というより「梅雨寒」なのかもしれません。
さて、昨日は、午前のクラス、午後のクラス共に、授業後半に「富士山1日バス旅行」のために、Ⅰ時間ほど事前指導を入れました。30分ほどDVDを見て、それから簡単なスケジュールの説明、バスの中で歌うために日本語の歌の練習などをしました。その前には各クラスの教室で、バス座席の希望を取りました。
面白いことに、「Aクラス」で、三人ほど「先生の隣」と言う者あり。びっくりしましたね。学校ができてから毎年、箱根やら、富士山、日光などへの1日バス旅行をしてきたのですが、そんなことを言ってきたのは、これまで、一人だけでしたもの。
で、友達が居ないタイプかというと、そうでもないのです。「先生の隣」の席は(先生にうるさく)「『漢字を書け』と言われたり、『文法を覚えろ』と言われたり、大変ですよ」と脅かすと、すぐに現実に立ち戻って、友達の名前を書いたり、「(選びかねて)誰でもいいです」と書いたりしていましたが。
これまでは、「先生の隣」、即「遅れてきた者」「騒ぎすぎていた者」に対する「罰である」かのような嫌いもあったのですが、これからすると、ちと考え直さねばならなくなったのかもしれません。あるいは、私にもう「迫力」がなくなったのかな(自分では、「あったつもり」なんですけれども。まあ、どちらにせよ、もう、安易に「先生の隣」なんて言ってはまずいということですね。
ところで、午前は二年生クラス(AB)、午後は一年生クラス(CDE)に実施したのですが、性根と言いましょうか、了見の善し悪しと言いましょうか、そんなのは一年かそこいら日本にいたからといって、簡単に変わるものではないと言うことがよく判りました。
一年生(今年の4月、7月に来日)は、まだ日本語も聞き取れないでしょうし、日本の生活もわからないでしょうから、国に居たときと同じようにしてしまうのだろうなと情状酌量の余地ありなのですが、これが二年生になっても変わらない。思えば、こういう学生は一年生の時もそうであった…。
事前指導ということで、富士山のDVDを見ていたのに、席に着くやいなや、すぐにスマホから目が離れなくなる者、隣になったのがうれしいのか、(隣の者と)母語で話し始める者、もちろん、シ~ンと見ている者が多いので、目につきますし、彼らの声は耳にも届く。
私と目が合って、慌てて話をやめる者もいれば、こちらを見ながら、聞こえないと思ってか、トーンを落として話し続ける者もいます。一概に年齢が25を越えていればとか、越えていなければとか言えないとは思いますが、年が上の者に多いですね、こういうのは。
もっとも、スリランカにしても、ベトナムにしても、静かにして人の話を聞くという躾(教育)はそれほど受けてきているようにはみえません。何度注意されても、同じこと。ほんの数分で、またすぐに戻ってしまうのです。厳しく言うと、何もすることがないとばかりに寝てしまうのです。
興味がないのでしょうね。こんな人に限って、「私の国は世界で一番すごい。なぜなら…」と喚くので、大変です。他の国の人はそんな名前聞いたことがないので、「知らない」としか答えようがないのですが。そうすると、「えっ。知らないの!知らないの!」と騒ぎ、お前は無知だとばかりの態度を取ることもあるのです。本当に困りものです。
国は違えど、そういうのが何人かいると、どっちがすごいで言い合いになることもあるのです。「まあ、世界にはいろいろな国があるからね。せっかく自分の国を離れたのだから、他の国のことを知ろうと思ってみたら」とは言ってみるのですが、あまり効果はありませんね。(DVDを見ているときには、日本語を)聞きたいと言う人の邪魔にならないので、寝てくれたほうが良いのかもしれないなどと、うるさすぎるときには思ってしまうのですが、彼らにしてみれば、損だとは思うのですけれども。
教員というのは、教室の勉強だけでなく、課外活動の時の様子、そしてこういう事前指導でのDVDを見る時の様子などで、学生の能力を見極めようとするものです。可能性と言った方がいいのかもしれませんが。もちろん、日本語学校ですから、語学力がある程度なければどうにもしようがないのですが、(それらの活動を通して)好奇心とか、忍耐力、あるいは、リーダーシップの有無なども見ているのです。
それらは、皆、進路先を決める時や最後のクラス分けの時の参考にしますから、いい加減にしていると、割を食ってしまうと思うのですけれどもね。これは学校だけではなくて、会社でも同じでしょう。見ている人は見ているのですから。
日々是好日
やはり、梅雨時は雨が降らないと…。
「ムクゲ(木槿)」の花はしぼんでいます。蕾はまだまだありますから、きっと雨のせいでしょう。「ツキミソウ(月見草)」も小さくなっています。雨のせいですね。
涼しい風が吹いています。暑さも一段落…というより「梅雨寒」なのかもしれません。
さて、昨日は、午前のクラス、午後のクラス共に、授業後半に「富士山1日バス旅行」のために、Ⅰ時間ほど事前指導を入れました。30分ほどDVDを見て、それから簡単なスケジュールの説明、バスの中で歌うために日本語の歌の練習などをしました。その前には各クラスの教室で、バス座席の希望を取りました。
面白いことに、「Aクラス」で、三人ほど「先生の隣」と言う者あり。びっくりしましたね。学校ができてから毎年、箱根やら、富士山、日光などへの1日バス旅行をしてきたのですが、そんなことを言ってきたのは、これまで、一人だけでしたもの。
で、友達が居ないタイプかというと、そうでもないのです。「先生の隣」の席は(先生にうるさく)「『漢字を書け』と言われたり、『文法を覚えろ』と言われたり、大変ですよ」と脅かすと、すぐに現実に立ち戻って、友達の名前を書いたり、「(選びかねて)誰でもいいです」と書いたりしていましたが。
これまでは、「先生の隣」、即「遅れてきた者」「騒ぎすぎていた者」に対する「罰である」かのような嫌いもあったのですが、これからすると、ちと考え直さねばならなくなったのかもしれません。あるいは、私にもう「迫力」がなくなったのかな(自分では、「あったつもり」なんですけれども。まあ、どちらにせよ、もう、安易に「先生の隣」なんて言ってはまずいということですね。
ところで、午前は二年生クラス(AB)、午後は一年生クラス(CDE)に実施したのですが、性根と言いましょうか、了見の善し悪しと言いましょうか、そんなのは一年かそこいら日本にいたからといって、簡単に変わるものではないと言うことがよく判りました。
一年生(今年の4月、7月に来日)は、まだ日本語も聞き取れないでしょうし、日本の生活もわからないでしょうから、国に居たときと同じようにしてしまうのだろうなと情状酌量の余地ありなのですが、これが二年生になっても変わらない。思えば、こういう学生は一年生の時もそうであった…。
事前指導ということで、富士山のDVDを見ていたのに、席に着くやいなや、すぐにスマホから目が離れなくなる者、隣になったのがうれしいのか、(隣の者と)母語で話し始める者、もちろん、シ~ンと見ている者が多いので、目につきますし、彼らの声は耳にも届く。
私と目が合って、慌てて話をやめる者もいれば、こちらを見ながら、聞こえないと思ってか、トーンを落として話し続ける者もいます。一概に年齢が25を越えていればとか、越えていなければとか言えないとは思いますが、年が上の者に多いですね、こういうのは。
もっとも、スリランカにしても、ベトナムにしても、静かにして人の話を聞くという躾(教育)はそれほど受けてきているようにはみえません。何度注意されても、同じこと。ほんの数分で、またすぐに戻ってしまうのです。厳しく言うと、何もすることがないとばかりに寝てしまうのです。
興味がないのでしょうね。こんな人に限って、「私の国は世界で一番すごい。なぜなら…」と喚くので、大変です。他の国の人はそんな名前聞いたことがないので、「知らない」としか答えようがないのですが。そうすると、「えっ。知らないの!知らないの!」と騒ぎ、お前は無知だとばかりの態度を取ることもあるのです。本当に困りものです。
国は違えど、そういうのが何人かいると、どっちがすごいで言い合いになることもあるのです。「まあ、世界にはいろいろな国があるからね。せっかく自分の国を離れたのだから、他の国のことを知ろうと思ってみたら」とは言ってみるのですが、あまり効果はありませんね。(DVDを見ているときには、日本語を)聞きたいと言う人の邪魔にならないので、寝てくれたほうが良いのかもしれないなどと、うるさすぎるときには思ってしまうのですが、彼らにしてみれば、損だとは思うのですけれども。
教員というのは、教室の勉強だけでなく、課外活動の時の様子、そしてこういう事前指導でのDVDを見る時の様子などで、学生の能力を見極めようとするものです。可能性と言った方がいいのかもしれませんが。もちろん、日本語学校ですから、語学力がある程度なければどうにもしようがないのですが、(それらの活動を通して)好奇心とか、忍耐力、あるいは、リーダーシップの有無なども見ているのです。
それらは、皆、進路先を決める時や最後のクラス分けの時の参考にしますから、いい加減にしていると、割を食ってしまうと思うのですけれどもね。これは学校だけではなくて、会社でも同じでしょう。見ている人は見ているのですから。
日々是好日