小雨。
黒雲が立ち籠め、梅雨空特有の重苦しい空です。
九州・東海地方の梅雨明け宣言が出されてから、やっと梅雨本来の姿に戻ったような、そんな気さえしてきます。
さて、学校です。
夏休みを控え、二年生は、さまざまです。
11月に「日本留学試験」を受ける者と受けない者、受けない者のうち、「N2」を目指せる者とそうではない者、そうではない者のうち、「N3」は取りたいと励んでいる者とそうではない者、そうではない者のうち、それでも日々の学習に励める者と何のために学校にいるのか判らない者。
来日後、一ヶ月もせぬうちに、だいたい分かれてしまいます。ただ、言語の面で、不器用な人でも、言葉というのは日本の剣道などと同じで、倦まず弛まず続けていけば、皆、ある程度までは遣えるようになります。ある意味では、上手下手というのはないも同然。それから先は「お人柄」でやっていける部分も少なからずあり、だからこそ、コミュニケーションもとれるようになるのでしょう。だいたい意思の疎通を欠いてしまうと、仕事だって、勉強だってうまくいかなくなってしまいます。
(日本語において)それ以上を求める場合は、言語方面の才能が必要になるでしょう。もっとも、日本語学校にいる間に学ぶ日本語というのはそこまでは至りません。長くて二年くらいのものですもの。「あいうえお」から始めれば、特に非漢字圏の人にとっては、『N2』レベルの漢字を覚えるのだって大変な作業なのですから。
そして、言語の才能のある者は言語の世界に、経済の才のある者は経済の方面で、機械の能力のある者は、またその世界へと分かれていき、それなりのものを学ぶようになる。ただ、基礎的なことが身についていなければ(この場合は日本語です)、日本で生活していくのは辛い。だから、日本に留学しようとする者は先に日本語を学ぶのでしょう。
夏休みを控えた二年生は、今、何を考えているのかしらん。
進路のアンケートをとり、彼らと話してみましたが、一応の道筋はそれぞれ描いているものの、具体的な進路先の名前というのはまだ出てきません。友達がいるからというのが一番多いですね。もちろん、友達の話を聞いて行く気になるか、または他を探すようになるのかはまた別のことですが。
一年生はどうしょうね。
4月に来た者でも、わずか三ヶ月余り。7月に来た者は、来て早々夏休みになってしまうのですから、不安でしょうね。
普段は接点のない一年生と二年生が話せるのが、課外活動とか、伝統行事の作業の時。それくらいのものなのです。だから、二重の意味でこういう活動には参加してほしいのです。
そうすれば、一年生も、来年になってうろたえることなく、動くことができるでしょう。来年の自分の姿が予測できるというのは強いのです。「先」が見えると、どうすべきかがわかってくる。どう動けばいいかが見えてくる。
実際に、そういう学生は強い。二年生の様子を見るだけでなく、聞いておくこともできるのですから。
日々是好日
黒雲が立ち籠め、梅雨空特有の重苦しい空です。
九州・東海地方の梅雨明け宣言が出されてから、やっと梅雨本来の姿に戻ったような、そんな気さえしてきます。
さて、学校です。
夏休みを控え、二年生は、さまざまです。
11月に「日本留学試験」を受ける者と受けない者、受けない者のうち、「N2」を目指せる者とそうではない者、そうではない者のうち、「N3」は取りたいと励んでいる者とそうではない者、そうではない者のうち、それでも日々の学習に励める者と何のために学校にいるのか判らない者。
来日後、一ヶ月もせぬうちに、だいたい分かれてしまいます。ただ、言語の面で、不器用な人でも、言葉というのは日本の剣道などと同じで、倦まず弛まず続けていけば、皆、ある程度までは遣えるようになります。ある意味では、上手下手というのはないも同然。それから先は「お人柄」でやっていける部分も少なからずあり、だからこそ、コミュニケーションもとれるようになるのでしょう。だいたい意思の疎通を欠いてしまうと、仕事だって、勉強だってうまくいかなくなってしまいます。
(日本語において)それ以上を求める場合は、言語方面の才能が必要になるでしょう。もっとも、日本語学校にいる間に学ぶ日本語というのはそこまでは至りません。長くて二年くらいのものですもの。「あいうえお」から始めれば、特に非漢字圏の人にとっては、『N2』レベルの漢字を覚えるのだって大変な作業なのですから。
そして、言語の才能のある者は言語の世界に、経済の才のある者は経済の方面で、機械の能力のある者は、またその世界へと分かれていき、それなりのものを学ぶようになる。ただ、基礎的なことが身についていなければ(この場合は日本語です)、日本で生活していくのは辛い。だから、日本に留学しようとする者は先に日本語を学ぶのでしょう。
夏休みを控えた二年生は、今、何を考えているのかしらん。
進路のアンケートをとり、彼らと話してみましたが、一応の道筋はそれぞれ描いているものの、具体的な進路先の名前というのはまだ出てきません。友達がいるからというのが一番多いですね。もちろん、友達の話を聞いて行く気になるか、または他を探すようになるのかはまた別のことですが。
一年生はどうしょうね。
4月に来た者でも、わずか三ヶ月余り。7月に来た者は、来て早々夏休みになってしまうのですから、不安でしょうね。
普段は接点のない一年生と二年生が話せるのが、課外活動とか、伝統行事の作業の時。それくらいのものなのです。だから、二重の意味でこういう活動には参加してほしいのです。
そうすれば、一年生も、来年になってうろたえることなく、動くことができるでしょう。来年の自分の姿が予測できるというのは強いのです。「先」が見えると、どうすべきかがわかってくる。どう動けばいいかが見えてくる。
実際に、そういう学生は強い。二年生の様子を見るだけでなく、聞いておくこともできるのですから。
日々是好日