晴れ。朝のうちは降水確率は0か10%くらい…らしいのですが、午後になるとだんだん確率が増して来、日が暮れる頃から、雨になるかもしれないとか。
いよいよ本格的な秋が始まりそうです。
さて、平日は毎日のように書き連ねてきたこの「ブログ」、九月に入ってから、ちょっと疲れてきました。
九月になってからは、月曜日から金曜日まで毎朝、九時からの「初級クラス」を持つようになって、その準備をせねばならなくなってきました。実はこのクラスが難物なのです。
学校へ来る前に、自転車の中から季節の風を感じ、草花、虫や鳥たちの声を聞き、そして、それを書きながら、前日のことを思い出していくというのが私のやり方で、できれば9時前10分ほどに出してしまうのが望ましいのですが、なかなかそうは行かなくなってきました。
新しいクラスというのは、黒板に、なにやら貼ったり、またノートの返却が3種類にわたったりすることもあり、それらを授業前にやってしまっておかねばならないのです。そういうことをやっていると、結局、このブログも途中で切らざるを得なくなってしまいます。そして授業が終わる毎に戻ってきて、何を書いていたのかを思い出しながら、飛び飛びに書くと言うことになり、かなりつじつまの合わぬことが出てきたりするのです。
そして、今日も、そうなりそうな予感がします。
実は、「初級」を教えるというのは、毎回やっているにもかかわらず、簡単なようでいて、実はかなり面倒なことなのです。今度のクラスもそうです。たかが「ない形」に入るだけと思うこと勿れ。まだこのクラスでは、「て形」も弱いのです。新出動詞(と言いましても、3課ほど前のものからですから、「13」の三つほど以外に、まだ「14」、「15」、「16」課のすべて)を毎回、助詞を入れながら復習しているのですが、これもまだきちんと言えていないのです(形容詞は大丈夫になったようですが)。
もちろん、全員が言えるまで待つと言うことはできません。努力する習慣も、気力もない人は(授業中も、他のことをしています。最初は叱ったのですが、今はやめています。私だけではなく、真面目にやっている人まで不愉快になりますし。彼らは母国でもそうだったのでしょうから。今さら、異国で変えるということ自体、無理なことでしょう)それなりにしかできないわけで、そういう人はもう一度(機会があれば下のクラスで)やればいいだけのこと。問題は、真面目であるにもかかわらず、まだ言えないという人が、このクラスにはかなりいるということなのです。
ですから、普通であれば、(今日、17課に入るわけですから)今頃は、せいぜい「15課」の一部の動詞と「16課」の動詞を復習すればいいだけのはずなのですが、それがそうはいかない。その上、このクラスには、上のクラスから降りてきた真面目な学生がいて、彼女は動詞だけはほぼ皆覚えているので、復習は必要ない。また、頭のいい学生が一人いて、彼は1度やれば、後は復習を自分でやることができるので、別に学校でやる必要もないのです。
問題はクラスのレベルを三段階に分けた場合(これは言語に関する能力だけです。他には料理を作る才能があったり、機械をいじる能力が高かったりと、各自の能力は千差万別なのです)、上がほとんどいなくて、ド~ンと下がって下がったところに中間層が屯していて、そしてまたグッと下がったところにぼんやり座っている人達がいる…という具合。普通は、この中間層がかなりいて、しかも、まだ「ない形」にも入っていないわけですから、差はほとんどない…はずなのです。
それが、既に、かなり差ができている。言語を学習するというのは、ある程度は、だれでも同じようにできるものなのです。そういう教え方が、かなり、確立されていますから。ただ、休まれるとどうしようもないのです。そこがぽっかり空いてしまいます。
まだ、集中力の問題で、できるだけ切らさないようにいろいろとやっているのですが、これがまた、皆、同じというわけでもない。雑談を適当に入れたりしてやってはいるのですが、このクラスは、まだ「クラス」として出来上がっていないのです(これは公教育の言い方かもしれません。クラスとして確立しているというような言い方は)。つまり、まだ「砂の状態」なのです。少しでも気を緩めると、バアッと気体になって飛び散ってしまう。拡散させないために、こちらも少しも油断できないのです。その上での作業ということになるのですが…。
というわけで、実は、金曜日の帰宅前に、いつものやり方を変えて「こうしよう」と、別に、準備をしていたのです。ところが、ウジウジと考えているうちに、それでも多分だめであろう、ということで、今朝は、準備のやり直しをするつもりで、た少し早めに来たのですが。
これも、また直前に考えが変わるかもしれません。
何でもそうなのですが、クラス毎に、これ以上練習させたら、頭がヒートしてしまうなというあるのです。この「クラス」には、基本的な練習を(応用でなく)たくさんさせた方がいいのは当然なのですが、ただ限界が、他のクラスよりも、少し早くやってくるような気がします。普通は三回までは我慢できるところが、このクラスの大半は二回で、切れてしまう。それでもやらせればやりはするのですが、もう頭には入っていきません。それで、やらせても、それは無意味。とはいえ、「練習こそが宝」というクラスですから、適当に目先を変えさせながらやるしかないのです。
結局、手を変え品を変えということになってしまいます。もちろん、どんなクラスでも、動詞を覚えていなければ練習もできません。また、動詞だけ覚えられても、助詞がトンチンカンになっていますと、文にはなりません。
…というわけで、しばらく、平日は毎日書くというのから、週に2度ほどということになりそうです。
日々是好日
いよいよ本格的な秋が始まりそうです。
さて、平日は毎日のように書き連ねてきたこの「ブログ」、九月に入ってから、ちょっと疲れてきました。
九月になってからは、月曜日から金曜日まで毎朝、九時からの「初級クラス」を持つようになって、その準備をせねばならなくなってきました。実はこのクラスが難物なのです。
学校へ来る前に、自転車の中から季節の風を感じ、草花、虫や鳥たちの声を聞き、そして、それを書きながら、前日のことを思い出していくというのが私のやり方で、できれば9時前10分ほどに出してしまうのが望ましいのですが、なかなかそうは行かなくなってきました。
新しいクラスというのは、黒板に、なにやら貼ったり、またノートの返却が3種類にわたったりすることもあり、それらを授業前にやってしまっておかねばならないのです。そういうことをやっていると、結局、このブログも途中で切らざるを得なくなってしまいます。そして授業が終わる毎に戻ってきて、何を書いていたのかを思い出しながら、飛び飛びに書くと言うことになり、かなりつじつまの合わぬことが出てきたりするのです。
そして、今日も、そうなりそうな予感がします。
実は、「初級」を教えるというのは、毎回やっているにもかかわらず、簡単なようでいて、実はかなり面倒なことなのです。今度のクラスもそうです。たかが「ない形」に入るだけと思うこと勿れ。まだこのクラスでは、「て形」も弱いのです。新出動詞(と言いましても、3課ほど前のものからですから、「13」の三つほど以外に、まだ「14」、「15」、「16」課のすべて)を毎回、助詞を入れながら復習しているのですが、これもまだきちんと言えていないのです(形容詞は大丈夫になったようですが)。
もちろん、全員が言えるまで待つと言うことはできません。努力する習慣も、気力もない人は(授業中も、他のことをしています。最初は叱ったのですが、今はやめています。私だけではなく、真面目にやっている人まで不愉快になりますし。彼らは母国でもそうだったのでしょうから。今さら、異国で変えるということ自体、無理なことでしょう)それなりにしかできないわけで、そういう人はもう一度(機会があれば下のクラスで)やればいいだけのこと。問題は、真面目であるにもかかわらず、まだ言えないという人が、このクラスにはかなりいるということなのです。
ですから、普通であれば、(今日、17課に入るわけですから)今頃は、せいぜい「15課」の一部の動詞と「16課」の動詞を復習すればいいだけのはずなのですが、それがそうはいかない。その上、このクラスには、上のクラスから降りてきた真面目な学生がいて、彼女は動詞だけはほぼ皆覚えているので、復習は必要ない。また、頭のいい学生が一人いて、彼は1度やれば、後は復習を自分でやることができるので、別に学校でやる必要もないのです。
問題はクラスのレベルを三段階に分けた場合(これは言語に関する能力だけです。他には料理を作る才能があったり、機械をいじる能力が高かったりと、各自の能力は千差万別なのです)、上がほとんどいなくて、ド~ンと下がって下がったところに中間層が屯していて、そしてまたグッと下がったところにぼんやり座っている人達がいる…という具合。普通は、この中間層がかなりいて、しかも、まだ「ない形」にも入っていないわけですから、差はほとんどない…はずなのです。
それが、既に、かなり差ができている。言語を学習するというのは、ある程度は、だれでも同じようにできるものなのです。そういう教え方が、かなり、確立されていますから。ただ、休まれるとどうしようもないのです。そこがぽっかり空いてしまいます。
まだ、集中力の問題で、できるだけ切らさないようにいろいろとやっているのですが、これがまた、皆、同じというわけでもない。雑談を適当に入れたりしてやってはいるのですが、このクラスは、まだ「クラス」として出来上がっていないのです(これは公教育の言い方かもしれません。クラスとして確立しているというような言い方は)。つまり、まだ「砂の状態」なのです。少しでも気を緩めると、バアッと気体になって飛び散ってしまう。拡散させないために、こちらも少しも油断できないのです。その上での作業ということになるのですが…。
というわけで、実は、金曜日の帰宅前に、いつものやり方を変えて「こうしよう」と、別に、準備をしていたのです。ところが、ウジウジと考えているうちに、それでも多分だめであろう、ということで、今朝は、準備のやり直しをするつもりで、た少し早めに来たのですが。
これも、また直前に考えが変わるかもしれません。
何でもそうなのですが、クラス毎に、これ以上練習させたら、頭がヒートしてしまうなというあるのです。この「クラス」には、基本的な練習を(応用でなく)たくさんさせた方がいいのは当然なのですが、ただ限界が、他のクラスよりも、少し早くやってくるような気がします。普通は三回までは我慢できるところが、このクラスの大半は二回で、切れてしまう。それでもやらせればやりはするのですが、もう頭には入っていきません。それで、やらせても、それは無意味。とはいえ、「練習こそが宝」というクラスですから、適当に目先を変えさせながらやるしかないのです。
結局、手を変え品を変えということになってしまいます。もちろん、どんなクラスでも、動詞を覚えていなければ練習もできません。また、動詞だけ覚えられても、助詞がトンチンカンになっていますと、文にはなりません。
…というわけで、しばらく、平日は毎日書くというのから、週に2度ほどということになりそうです。
日々是好日