雨。秋の長雨…を感じさせるような雨がそぼ降っています。台風がまた関東地方に接近しているとか。ただ今度は上陸の恐れはないそうです。
この、夏から秋にかけての雨は(もう秋の雨と言った方がいいのでしょうけれども)、どこか人の心の縛りを解いてくれるような、そんな気がします。
夏の、あの猛暑期間、皆、肩をつっぱらかして、耐えていた…。それが、もうそうしなくてもいいのですから。一雨毎に涼やかさを増していき、虫の音が秋の到来を告げる。夏の間の睡眠不足が解消され、何をするにしても、爽やかさを感じるようになっていく。もっとも、アルバイトも勉強も、順調な人達だけでしょうが。
留学生は、たとえ、同国人がたくさんいて、助けてもらえたりしていても、どこかしら、自立を促されるものなのです。それがわからない人は、ちょっと、留学生活は無理でしょう。国に帰って、両親の庇護のもとにノラリクラリと生きていった方がいい。
学生同士、最初は、頼り、頼られしていても、それが「おんぶに抱っこで当然」めいた風になっていくと、次第にだれからも相手にされなくなっていきます。その関係の中に大胡座を掻いていてはいけないのです。このような日本語学校にいて、楽に過ごしている人なんてだれ一人いないのですから。
頼りっきりになっている人は、いつの間にか、皆の、お荷物めいた目で見られることになり、「どうして、みんな、私を除け者にするの」と、喚かなければならなくなっていきます。
最初は無理でも、少しずつ、才の有る無しにかかわらず、(寮の部屋の中で)自分のできることを探していかなければなりません。それに、見返りを求めない精神も必要になっていくでしょう。これは「お互い様」なのですから。
来日した時は、同じ部屋の同国人に(成田に)迎えに来て貰い、そして次は自分が迎えに行く。また、最初はアルバイトがなくてお金が足りなくても、一緒にご飯を食べることで、まずは落ち着ける。そのうちに日本語が上達していけば、アルバイトも紹介してもらえるでしょうし、探し方も教えてもらえる。
これは順繰りで、結局は伝統になるのです。光熱費を払うにしても、先輩が最初は面倒をみてくれるけれども、その人達が卒業した後は、面倒をみてもらっていた人達が先輩となり、次の新入生の面倒をみていく。それがごく自然にできるようになっていれば、またそういう心持ちに、皆がなっていれば、問題は起こらないのです。
彼らを見ていると、別に選ばれてきているわけでもない、ごくごく普通の人達です。しかも、それぞれ異なった経歴、事情を背負っている。一筋縄ではいかない部分もあるのです。ある意味ではこちらの思う通りになんぞ行きません。
それでも、同じ一つの学校で学び、近場の寮で集団生活をしていくと、それなりの共通項で括られるようになっていく。これは別に没個性的になっていくというわけではなく、我慢すべきところは我慢し…が、できるようになっていくということなのです。
そうやって、二年ほどをここで過ごし、それから大学なり、専門学校なりに行き、新しい日本の生活に入っていく。その時にはここでの我慢がきっと肥やしになっていると思うのですが、さて、彼らはどう思っているでしょう。
日々是好日
この、夏から秋にかけての雨は(もう秋の雨と言った方がいいのでしょうけれども)、どこか人の心の縛りを解いてくれるような、そんな気がします。
夏の、あの猛暑期間、皆、肩をつっぱらかして、耐えていた…。それが、もうそうしなくてもいいのですから。一雨毎に涼やかさを増していき、虫の音が秋の到来を告げる。夏の間の睡眠不足が解消され、何をするにしても、爽やかさを感じるようになっていく。もっとも、アルバイトも勉強も、順調な人達だけでしょうが。
留学生は、たとえ、同国人がたくさんいて、助けてもらえたりしていても、どこかしら、自立を促されるものなのです。それがわからない人は、ちょっと、留学生活は無理でしょう。国に帰って、両親の庇護のもとにノラリクラリと生きていった方がいい。
学生同士、最初は、頼り、頼られしていても、それが「おんぶに抱っこで当然」めいた風になっていくと、次第にだれからも相手にされなくなっていきます。その関係の中に大胡座を掻いていてはいけないのです。このような日本語学校にいて、楽に過ごしている人なんてだれ一人いないのですから。
頼りっきりになっている人は、いつの間にか、皆の、お荷物めいた目で見られることになり、「どうして、みんな、私を除け者にするの」と、喚かなければならなくなっていきます。
最初は無理でも、少しずつ、才の有る無しにかかわらず、(寮の部屋の中で)自分のできることを探していかなければなりません。それに、見返りを求めない精神も必要になっていくでしょう。これは「お互い様」なのですから。
来日した時は、同じ部屋の同国人に(成田に)迎えに来て貰い、そして次は自分が迎えに行く。また、最初はアルバイトがなくてお金が足りなくても、一緒にご飯を食べることで、まずは落ち着ける。そのうちに日本語が上達していけば、アルバイトも紹介してもらえるでしょうし、探し方も教えてもらえる。
これは順繰りで、結局は伝統になるのです。光熱費を払うにしても、先輩が最初は面倒をみてくれるけれども、その人達が卒業した後は、面倒をみてもらっていた人達が先輩となり、次の新入生の面倒をみていく。それがごく自然にできるようになっていれば、またそういう心持ちに、皆がなっていれば、問題は起こらないのです。
彼らを見ていると、別に選ばれてきているわけでもない、ごくごく普通の人達です。しかも、それぞれ異なった経歴、事情を背負っている。一筋縄ではいかない部分もあるのです。ある意味ではこちらの思う通りになんぞ行きません。
それでも、同じ一つの学校で学び、近場の寮で集団生活をしていくと、それなりの共通項で括られるようになっていく。これは別に没個性的になっていくというわけではなく、我慢すべきところは我慢し…が、できるようになっていくということなのです。
そうやって、二年ほどをここで過ごし、それから大学なり、専門学校なりに行き、新しい日本の生活に入っていく。その時にはここでの我慢がきっと肥やしになっていると思うのですが、さて、彼らはどう思っているでしょう。
日々是好日