秋晴れ。厚手の上着を着なければ寒いほどです。鳥の声が懐かしくなるような時期、これもいいですね。
遠くで、チチチ、チチチ…と虫の声が響いています。
昨日、スリランカから二人の男子学生が来、学校から学生二人が迎えに行ってくれました。けれども、あまりに連絡がないので、気になってこちらから電話をしてみると、少し経ってから返事がやって来ました。
「今、船橋です。間違えて変なところへ行ってしまいました」
「ふむ、ふむ。彼でも間違えたか」
悪いけれども、安心してしまいました。私が方向音痴なのを知って、いつも、ちょっと下に見られているかなと感じていましたから。これでしばらくからかえるというところでしょうか。ふふふふふ…。
その学生は二年生です。来るのが二人と言うことは二人分の荷物があるであろう。それに彼は新しく来る学生を知らない。ただ七月に来たばかりの学生が、新しく来る学生を知っているという。それで、彼に、その「七月生」と一緒に行ってもらったのです。が、二年生とはいえ、道に迷うと、さすがに心細かったでしょうね。
そして、彼らには、「もし、『十月生』の二人が疲れていないのなら、今日、学校に連れて来てくれるように頼んであります。疲れていれば、来るのは月曜日ということになるのですが。
それから、今日。スリランカから女子学生一人と、男子学生一人がやってきます。二人は、別々に、友人と一緒に住むというので、それぞれ彼らの友人が迎えに行くことになっています。その友人というのは、一人は、この学校の卒業生。そしてもう一人は、七月生です。
卒業生の場合は、日本語の点では問題ありません、既に日本の会社で働いているわけですし。ただ問題はこの七月生。彼自身、来てからまだ三ヶ月に満たないと言うことで、自分達だけで暮らすには、日本語の面でかなり無理があります。その一つがこれだったのでしょう。休み時間に上のクラスへ行くと、彼が一生懸命に、そのクラスの、スリランカ人子学生に、成田へはどう行ったらいいのかと道を聞いていたのです。
一人で行くのは無理だといくら言っても、まだ聞いています。結局、同じように成田へ女子学生を迎えに行く例の卒業生に、彼と一緒に行ってくれるように頼んでもらうことにしました。
他に彼を迎えに行く人がいない(昨日来た二人は、学校の寮に住むことになっているのですが、彼の場合は自分達で部屋を借りて住むと言います。これまでは、他の人と一緒に住んでいたのですが、合わなかったのかもしれません。一応、学校では、日本語ができない(光熱費の計算もできない、部屋の貸し借りの契約書も読めないような)うちは、寮に住むように言ってあるのですが、彼の場合は、最初から学校の寮に住まないという話だったので、学校も寮を準備してありませんでした。
自分達で借りた方が安いと見えるので、そちらに流れる学生が出てくるのも無理からぬことなのですが、借りるとなると、日本の事情がわからない学生達には様々な問題が生じてきます。寮にいれば、何かあった時に、私たちも手が出しやすいのですが、他に住んでしまうと、なかなかそうはいきません。ガス一つにしても会社が違っていたりするのです。
ですから、自分たちで借りるとした場合、ルームメイトが必要になります。日本に既に在住しており、日本語がわかる「だれか」だといいのですが、何もわからない人が借りようとすると、大変です。
私たちにしても、同じ学校の学生同士であれば、ある程度は、わかるのですが、私たちが知らない「だれか」と一緒というのは困ります。それで、一定の拘束(部屋の契約書を持って来てみせる。場所は行徳か少なくとも妙典、南行徳辺りまでとする。同室者を教える等)をかけることにしています。そうでなければ、認めません。
それに、二人でしか住むことが許されていないアパートに、下手をすると、四人も五人も勝手に住みついてしまうということだって、あるのです。これでは、何のために日本に留学しにきたのかわからなくなってしまいます。こういうことは、マイナスになりこそすれ、決してプラスには働かないものなのです。
部屋の問題ばかりは、学校でも頭が痛い。中には、月遅れで来るガス代や電気代がどうにも理解できずに、五月に払った分は前の月の分であるにもかかわらず、(四月の分を五月に払ったので)「私は五月の分は払った」と言い張って、どうしてもわかってくれない人もいるのです。
それどころか、試験のお金などを自分で払わずに、学校に代わりに払わせて、自分は他の人に貸してしまうという人だって、時々出てくるのです。こちらとしては、これまで、試験を受けたいと言うのだから、それなら、受けさせてやりたいと思って、お金を貸したりしていたのですが、それが当たり前となってしまい、自分で努力しない人だっているのです。
日本人は人にお金を借りるのを「恥じる」という文化があるので、「借りるくらいなら、(試験を)受けない」、どうしても受けたければ、他のものを削っても「受ける」くらいの気持ちでやるのですが、どうも、文化の違いでしょうか、そう思ってくれる人はあまり多くはないようです。
日々是好日
遠くで、チチチ、チチチ…と虫の声が響いています。
昨日、スリランカから二人の男子学生が来、学校から学生二人が迎えに行ってくれました。けれども、あまりに連絡がないので、気になってこちらから電話をしてみると、少し経ってから返事がやって来ました。
「今、船橋です。間違えて変なところへ行ってしまいました」
「ふむ、ふむ。彼でも間違えたか」
悪いけれども、安心してしまいました。私が方向音痴なのを知って、いつも、ちょっと下に見られているかなと感じていましたから。これでしばらくからかえるというところでしょうか。ふふふふふ…。
その学生は二年生です。来るのが二人と言うことは二人分の荷物があるであろう。それに彼は新しく来る学生を知らない。ただ七月に来たばかりの学生が、新しく来る学生を知っているという。それで、彼に、その「七月生」と一緒に行ってもらったのです。が、二年生とはいえ、道に迷うと、さすがに心細かったでしょうね。
そして、彼らには、「もし、『十月生』の二人が疲れていないのなら、今日、学校に連れて来てくれるように頼んであります。疲れていれば、来るのは月曜日ということになるのですが。
それから、今日。スリランカから女子学生一人と、男子学生一人がやってきます。二人は、別々に、友人と一緒に住むというので、それぞれ彼らの友人が迎えに行くことになっています。その友人というのは、一人は、この学校の卒業生。そしてもう一人は、七月生です。
卒業生の場合は、日本語の点では問題ありません、既に日本の会社で働いているわけですし。ただ問題はこの七月生。彼自身、来てからまだ三ヶ月に満たないと言うことで、自分達だけで暮らすには、日本語の面でかなり無理があります。その一つがこれだったのでしょう。休み時間に上のクラスへ行くと、彼が一生懸命に、そのクラスの、スリランカ人子学生に、成田へはどう行ったらいいのかと道を聞いていたのです。
一人で行くのは無理だといくら言っても、まだ聞いています。結局、同じように成田へ女子学生を迎えに行く例の卒業生に、彼と一緒に行ってくれるように頼んでもらうことにしました。
他に彼を迎えに行く人がいない(昨日来た二人は、学校の寮に住むことになっているのですが、彼の場合は自分達で部屋を借りて住むと言います。これまでは、他の人と一緒に住んでいたのですが、合わなかったのかもしれません。一応、学校では、日本語ができない(光熱費の計算もできない、部屋の貸し借りの契約書も読めないような)うちは、寮に住むように言ってあるのですが、彼の場合は、最初から学校の寮に住まないという話だったので、学校も寮を準備してありませんでした。
自分達で借りた方が安いと見えるので、そちらに流れる学生が出てくるのも無理からぬことなのですが、借りるとなると、日本の事情がわからない学生達には様々な問題が生じてきます。寮にいれば、何かあった時に、私たちも手が出しやすいのですが、他に住んでしまうと、なかなかそうはいきません。ガス一つにしても会社が違っていたりするのです。
ですから、自分たちで借りるとした場合、ルームメイトが必要になります。日本に既に在住しており、日本語がわかる「だれか」だといいのですが、何もわからない人が借りようとすると、大変です。
私たちにしても、同じ学校の学生同士であれば、ある程度は、わかるのですが、私たちが知らない「だれか」と一緒というのは困ります。それで、一定の拘束(部屋の契約書を持って来てみせる。場所は行徳か少なくとも妙典、南行徳辺りまでとする。同室者を教える等)をかけることにしています。そうでなければ、認めません。
それに、二人でしか住むことが許されていないアパートに、下手をすると、四人も五人も勝手に住みついてしまうということだって、あるのです。これでは、何のために日本に留学しにきたのかわからなくなってしまいます。こういうことは、マイナスになりこそすれ、決してプラスには働かないものなのです。
部屋の問題ばかりは、学校でも頭が痛い。中には、月遅れで来るガス代や電気代がどうにも理解できずに、五月に払った分は前の月の分であるにもかかわらず、(四月の分を五月に払ったので)「私は五月の分は払った」と言い張って、どうしてもわかってくれない人もいるのです。
それどころか、試験のお金などを自分で払わずに、学校に代わりに払わせて、自分は他の人に貸してしまうという人だって、時々出てくるのです。こちらとしては、これまで、試験を受けたいと言うのだから、それなら、受けさせてやりたいと思って、お金を貸したりしていたのですが、それが当たり前となってしまい、自分で努力しない人だっているのです。
日本人は人にお金を借りるのを「恥じる」という文化があるので、「借りるくらいなら、(試験を)受けない」、どうしても受けたければ、他のものを削っても「受ける」くらいの気持ちでやるのですが、どうも、文化の違いでしょうか、そう思ってくれる人はあまり多くはないようです。
日々是好日