晴れ。
まるで梅雨時に、急に青空が現れて、ホッとしたかのよう。本当に、毎度のことながら、「今年は変」と言いたくなりもする。
夏は、やはり雨なら、「夕立」でしょう。さっと降って、さっと止む。止んだ後には、虹なんかが出たりして…。
「寝転んで 篠をつくづく ながむれば 内へ半分 雨の降る家」 (朱楽菅江)
年取って思い描くのは、多分、こういう己れの姿。畳に寝転ぶことができる日本の家屋ならではのことなのでしょうが。
「いい加減 損得もなし 50年」なんて川柳が流行ったのも、当時の平均年齢が、いわゆる、今の「退職年齢?」と同じくらいだったからなのでしょう。今だったら「50年」が「80年」なんてことにもなりかねず、それでも、疾うにこの年齢を超えていますから、「80年」はおかしいということにもなりかねず…。
なんとなく、「現状」とは別の場所に身を置くことになれば、不安は不安。とはいえ、良寛さんの
「ひさかたの 雨降らば降れ 風吹かば吹け」…その前の部分(おそらくは、それがきっかけの部分で、本来なら大切な部分なのでしょうけれども)は忘れてしまいましたが、こういう気分にもなる。捨て鉢一歩手前というか、考えることをやめて、踏みとどまってはいるけれども、なんとなく中断状態みたい。
学生たちに、注意を促しながらも、
「柿食いに 来るは 烏の道理かな」と思いもする。
それぞれ、「道理(わけ)」があるのです。勿論、注意ならぬ彼らからすれば、文句を言っている私にだってこの「道理」はある。
「Cクラス」、いわゆる「初級クラス」のことです。国で、『みんなの日本語(Ⅱ)』を終えてきている学生もいるのですが(これは毎年のことです)、だからといって、ここでその続きができるかというと、そういうものではないのです。それができる学生はまずほとんどいません。
「ひらがな」「カタカナ」の書き順やら形やらが違っていれば、当然のことながら、「漢字」の形も書き順もおかしなものになっているし、なって来もする。「発音」も「イントネーション」も、本人はできているつもりでも、雑になっているから…ひどい時にはやり直しなんてことにもなる。
ただ当人は判らないようで、「私はできているに」という感がありありと見える。
よくよく説明したいとは思っても、微妙な言いまわしなど、まだ「N4」レベルでは判りませんから、言っても無駄。つまり、言われたとおりにしようとする素直な人なら勝ちになるが、そうではなければ「我(が)」の強い方は負けと言うことになる。
大変ですね。今、一名いるのですが、どうにかなるかしらん。夏休みがあるので、少々心配なのです。
日々是好日