日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「ナノハナ」。「高校合格」。

2012-02-23 08:53:42 | 日本語の授業
 雨。シトシト雨です。以前ほどの冷たさはありません。春の雨と言ってもいいのかもしれません。

 今朝、鉢植えの「ナノハナ(菜の花)」を見つけました。ここ、千葉県の県花は、その「ナノハナ」だそうで、一面に咲き乱れる「ナノハナ」の黄は、確かに、華やかで美しい。実用的であればあるほど、そこに美を見出そうとした先人達の思いが伝わってきます。衒わない、明るい、ただ前を見つめている。そこに人の思いを重ねれば、それはもう立派な人の生き方を変えさせる力を持った生き物になります。

 「男は潔さである(男の価値は潔いかどうかで決まる)」そのような意味の言葉を言った先人もいました。言葉を換えれば、「潔くない者は、共に事をなすに値しない」ということなのでしょう。
 日本語には「女々しい」という言葉もあります。これを聞いたとき、小学生だったのですが、クラスの中が一度に沸騰したようになってしまいました。小学生の頃は、まだ女子の方が大きいですからね、強いのです。
「これはいったいどういうことだ。何が、女は女々しいの。先生、どうしてこんな意味の言葉に『女』という漢字を当てるの」

 先生は困ったでしょうね、今から思えば。その時の先生がどうやってその場を切り抜けたのか、残念なことに覚えていないのですが、本当に困ったでしょうね。子ども相手に、まさか、まじめに歴史的文化的な話をするわけにも行かないでしょうし、かといって、切り捨てるわけにもいかないでしょうし。

 けれども、考えてみれば、「潔くない」にせよ、「女々しい」にせよ、どこかしら、未熟さ、青臭さがつきまとっています。腹を括れないのは、無智だからという側面もあるのでしょう。もちろん、これは百戦錬磨の武将にしても、「女々しくなり、潔くなくなる」時はあるでしょうから、この「言葉」の意味は、「これぞという時に」ということなのでしょうが。
 その反対に「潔くない」「女々しい」に「年期を経た古狸」を想像することもできるでしょう。下手に世故に長けているが故に「潔くできない」「女々しくなる」のです。

 さて、この一年間、中学校の授業が終わってから、ずっと(この学校に)通ってきていた女の子が無事に高校に入学できました。試験のすぐ前の日まで、「どうしょう。合格できなかったら、どうしよう」とウロウロしていたのに、昨日はすっきりとした顔で、報告にやってきて、「合格だったよ。先生、見に行った。よかったね」と胸を張って、ニコニコ、ニコニコ。

 中学校の授業が終わってから、服を着替えて、勉強道具を背負って、自転車を飛ばしてやって来ていたのですから、よくぞ一年続いたものです。彼女の場合、勉強が終わると、時にはお母さんの店へ行って店番をしなければならなかったり、そのまま家に帰っても晩ご飯作りの当番だったりで、日本の子ども達のように、おんぶに抱っこで勉強できるというわけではなかったのです。

 この学校での勉強を始めた頃は、わがままもよく出ていました。ここへ来るなり、「眠いです」だったり、「勉強したくないです」、「わからないです」だったり、(私もこの言葉が移ってちょっと困ったのですが)「嫌だです」だったりと、目に見えない形でどこかしら(自分の現在の境遇に対する)抵抗を続けていました。

 そうでなくとも、だいたい三十分くらいで集中力が切れてしまい、そうなると、「もう、嫌だです」の連続です。「はい、勉強だよ。これを書きなさい」と言っても、「嫌だです」とお餅のように膨れてしまうこともありましたっけ。

 けれども、どうにか一年間続けることができたのですから、なかなか見上げた根性です。いつの間にかわがままも言わなくなり、勉強するようになったのですから。

 とはいえ、合格するなり、「タイへ帰りたい。でも私は帰れない。いやだ」と以前の口調が戻っていました。

日々是好日
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