晴れ。風強し。
春先は風が強いものですが、今日もそうですね。公園の砂というか、細かい土が舞い上がって激しい風に押し流されてくる…。足が痛くない時にはちょっと遠回りでも、砂がかからないところから学校へと行っていたものですが、今は、少しでも歩く距離を短くしようと、多少の「砂かぶり」になっても…というわけで、まあ三角形の、こちら側の2辺を通ることにして来ました。下を向いて、目が開けられない…変な「砂かぶり」さんでしたね。
さて、学校です。
今日は「卒業式」。頑張った人達が、一人また一人と巣立っていく日です。彼らは在校生達に何を語ってくれるでしょうか。
おそらく、「学校は大変でした」とか、「日本の生活は大変でした」でしょうね。で、何が大変だったかと言いますと、おそらく来日直後の生活だったでしょう。ゴミ出しもそう、アルバイト探しもそう。(日本では)テキトーも通じないし、親の威光も通じない…。
「アルバイト探し」は、特に大変だったと思います。「コロナ禍」前は、同じ(現地の)学校から来ていた先輩もいましたし、同国人や同じ国の同じ地方から来ている人達もいて、彼らが後から来た人達にアルバイトの紹介や生活の指導などもしてくれていましたから。
こちらの言わんとすることが、この先輩達を通して話せましたから、困ると言うことが、あまりありませんでした。
何か注意を促さねばならないようなことが起こった場合、同国の先輩連の中から、ヒアリングや会話などが達者な人を選び、「はい。○○さんと、△△さんと、◎さんと、□□さんと…(通訳してください)」というふうに、手伝ってもらっていました。…それが切れていたわけですから。
この「コロナ禍」の最中は、在日の人達が大半で、留学生達が来ていた国とは全く異なった国の人達が多く、留学生達に対するとは、(日本語を教えるという面でも)別のやり方が必要になりました。ある意味、日本語だけに特化してやれば良かったのです。
留学生は違います。日本語だけやればいいというものではなく、日本で生きていく上で、他の知識も必要になってきます。
それに、留学生は二年から一年三ヶ月とその間は、特別なことがない限り、勉強を続けられますから、こちら側としても、計画が立てやすいのです。在日の人達は都合によっては、短い時は一ヶ月、あるいは三ヶ月ほどで止めることもありますから、「今、現在」が大切になり、勢い、型どおりと言うことになってしまいます。
その上、日本語だけでなく、日本についても、知識や理解のない人が多く、いちいちこちらがそれに反応していては、「日本語」を教えていくことができませんから、もうそれは「聞かぬこと」として素通りしていくしかありません。実際、彼らの夫や妻が日本語ができるとか、日本で会社勤めをしているとかいう場合も少なくないので、後は彼ら自身の問題であると、割り切ってしまわなければ、こちらが疲れてしまいます。
つまり、一ヶ月後にできればいいとか、もう少し進んだ頃に説明していった方がいいだろうとかいう考え方ができにくいのです。
ところが、「コロナ禍」に人々が慣れ、留学生が戻ってきますと、いつも通りの学校も戻ってきて、留学生達が多く来ていた頃のスケジュールでの授業ができるようになって来ました。その「一期生」ですね。今年卒業する人達は。
来日直後は大変だったでしょうが、「郷に入っては郷に従う」をやっているうちに、「住めば都」ともなるようで、「ずっと日本にいたい」とか、「日本は暮らしやすい、ここを出ることは考えていない」とかいう学生が、チラホラ出てきているようです。
卒業生の中には、国が内戦状態にある人がいたり、政治家がというか、国自体が「朝令暮改」を繰り返し、人々の生活が脅かされている国もあります。
日本の政治においても、様々な問題が現在噴出中であり、日本人にとっては「堪らん」状態は続いているのですが、おそらく彼らから見れば、まだマシなのでしょう。これは比較してという意味で。
それに、外国人がアルバイトで日本人と同じだけの給料がもらえるということも、多分、安定した生活ができるという意味で励みにはなるでしょう。将来を考えることができるという意味ですが。
まだ女性でも夜遅く一人で出歩けるし、何よりも「したいことができそうだ」、あるいは「頑張れば、それなりの生活ができそうだ」と思えるからでしょう。これも、彼らが日本語力が、「N2」くらいか、人によっては限りなく「N1」に近づいているからでしょう。日本語がわからなければ、異国でどうしていいかわからないでしょうから。
ともかくも、卒業までにこぎ着けることができた皆さん、おめでとう。この二年頑張れたこと自体がすごいことです。これからは、その日本語力を活かして、やりたいことができるように、学んでいってください。
日々是好日