ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

無肥料

2016年03月18日 19時17分40秒 | 田舎暮らし
自然農法は幅広い農法だ。
人によってみな違う。
そもそも「自然」とは何か?ということからしてみな違う。
でもあえて定義するとしたら無農薬・無肥料・不耕起栽培・・・ということではないだろうか?
しかしその根底には「人工は悪い」「自然はいい」という素朴な前提があるのではないだろうか?

自然は人間のためにあるわけではない。
それどころか人は自然と戦い続けた。
自然っていったい何なのだろう?
里山の自然が本当の自然?
里山暮らしをしててよくわかる、里山って今の宅地造成地。
自然を破壊してできたものなのだよ。
「里山の自然を守れ!」ということは次の時代の人の「宅地造成地の自然を守れ!」って言うことと同じことなんだよ。

ところで本題の無肥料の話。
どうして無肥料がいいの?
というかどうして肥料が必要なの?
という話。

まったくの自然の状態では種から芽が出て成長し花が咲き種ができやがて枯れて再び土に戻る。
そしてたくさんの種類の草が生えては枯れていく。
この循環の中で土地は痩せることなく、循環していくことができる。
ところが野菜を作ると枯れる前に人間が収奪していく。
これを続けるとどんどん土地は痩せていく。
そのためにその分を肥料で補ってやる必要がある。

肥料をやることってそんなことじゃない?
無肥料栽培って自然に全然優しくない。
単に自然から略奪してるだけ!
自然農法なんて自然でもなんでもない、本当は略奪農法ではないか?

ところが実はそうでもない。
ビニールマルチの代わりに草マルチをする、
やがてそれが土にかえり肥料となる。
マメ科の野菜を作った後に他の野菜を植えると、
根粒菌が作る窒素肥料で育つ。
えっ?!それってもろに肥料栽培じゃない.?!
単に.人工の肥料を使ってないだけじゃない。
それだったら「無肥料栽培」でなく「自然肥料栽培」というべきじゃない?!

それに刈り取った草の生えてた土地は?
それを同じ土地で続けるとどんどんそこは痩せていくだろう。

自然栽培の考え方は好きだ、
でも「自然」という言葉を聞くとついつい眉に唾をつけたくなる。
消費者に誤解を与える言葉をつかってはいけない。
消費者に誤解を与えてはいけない。

それに自然農法主義者に言いたい。
たいていの自然農法主義者も肉や卵を食べるだろう?
するとそれに相当する牛や豚や鶏の糞がでるはず。
その糞をどうするの?
たとえ自分では飼っていなくてもみんな家畜の糞の生産者なのだよ。
自分たちが作る糞を川に捨てて汚染させる?
それとも余分なエネルギーを使って焼却する?
どれもいい方法だとは思えない。

自分自身は循環農法がいいと思ってきた。
山羊を飼い鶏を飼い、その糞を堆肥や肥料として土にかえす。
この農園から何も出さない何もいれない。
そんな循環型農法をやりたいなと思ってきた。
(代替わりして今では規模が大きくなりそんなこと言ってられなくなったけどね)
でもこんなの「自然農法」の考え方とはちょっと違うよね。
コメント (1)
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西向け西!

2016年03月18日 18時31分32秒 | 花便り
日本水仙が終わり西洋水仙がぽつぽつ咲き出した。
まだ咲き始めだけど、何千本かの水仙、みな咲いたら綺麗だよ、見ごたえあるよ。
ちょっぴり自慢です。



ところでどうして水仙ってみな西向きに咲くのだろうね。
中には東向きに咲く偏屈な水仙がいてもよさそうだけど・・・
でもなぜか皆律儀に西向き。
まるで「西向け西!」
と号令されているようだね。


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名残梅

2016年03月18日 18時27分58秒 | 花便り


遅咲きの梅がちらほら散り始めた。
これであと一年梅の花とはお別れ。
名残に同じ梅の木の写真です。







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