前回の山菜採りから10日間も間が開いてしまった。休日の取り方がおかしかったり病院に行かねばならなかったりなので仕方がないのだが自然はそんな僕の都合を待ってくれるわけではない。多分、何もかもが大きくなりすぎているのだろうなと思いながら生石山へ急いだ。
それでも天は僕を見放してはいなかった。昨日は雨が降り、明日も雨の予報で今日だけがぽっかり雨が降らない日になってくれた。
しかし、昨日の雨の影響はしっかり残っている。
今朝の朝一の気温は22℃。

モワンという暖かさと共にすごい湿度だ。湿気というよりも、空気中に納まりきらない湿気が水滴となって空気中を漂っている。
午前5時過ぎには生石山に到着したいので自宅は午前4時に出たのだが、ヘッドライトには空気中を漂う水滴が反射し、フロントガラスにも見る見るうちに水滴が貼りついてゆく。
でも、これは明らかに雨ではない。霧のように曇ってもいない。こんな日は経験したことがない。
生石山に到着すると景色はすべて乳白色に飲み込まれてしまっていた。幻想的な景色だ。

ここもおそらく湿度は100%を超えている感じだ。(100%を超える湿度は存在しないのだろうが、感覚としてはそんな感じである。)
コンデジとスマホはこの湿度で機能を保つことができるのだろうかと気にしながら準備をする。しかし、これだけの水分を抱え込むことが高原独特の生態系を維持することにつながるのであろう。
高原に入ってゆくと、ワラビもゼンマイもクモの巣もみんな水滴で覆われている。空気と水の境界が不鮮明で混沌としたような世界はまったく嫌いではない。むしろ楽しくなる。

まずはいちばん気になっているコシアブラの木を見に行った。水分をたっぷり含んだ幹はいつもと違う色をしている。

普段はうっすらと斑が入っている程度にしか見えないがそれがはっきりと浮き出ている。気になる芽のほうはというと、やはりすでに大きくなりすぎていた。

あと、4、5日早く来るべきであった。食べられそうな芽は半分もない。
なるべく小さいものを選んで次は王家の谷へ向かう。
ワラビはまだまだいけるだろうと思っていたのだが、そのワラビが少ない。この辺りもそれなりに生えている場所であったのだが10歩歩いてやっと1本見つけるというような具合だ。これも灌木を伐採された影響なのかもしれない。
歩ける範囲を探って正面の駐車場に移動。
ここからはイタドリとヤマウドメインで探してゆくことにする。キャンプ場の斜面も刈られているのでヤマウドの株があらわになっているかもしれない。
しかし、そこは貴重な山菜だ。そんなに簡単に見つかるわけではない。ここで見つけた株はひとつだけであった。

ただ、この株が大きかった。偶然か誰かの故意か、この株は腐葉土に埋もれていて、それをはがすと白い大きな茎が出てきた。それも大量に。

もう、これだけで今夜の食卓には十分じゃないかと思えるほどであった。
しかしここにもワラビは見えない。若干の救いはゼンマイがよく目立つことくらいだ。今年はゼンマイが優勢なのか、単に下草が刈られて目立っているだけなのかそこのところはわからない。ゼンマイも大半は大きくなってしまっているが、その下から生えている小さな芽だけを摘み取りながら前進する。

高原の上の方まで出て、別のコシアブラの株を見に行く。こっちもほとんどが大きくなってしまっていた。なんとか食べられそうなものと、お昼ごはんのパスタに入れるために3本ほど大きくなりすぎた芽も採る。
そこから一度下り、イタドリのポイントからまた稜線の散歩道まで上がってゆくのだが、そこにたどり着いた頃には息が切れて動けなくなってしまった。ちょっと座って休憩をしたいところなのだが、下草が湿ってしまっているので座ることができない。散歩道に沿って打たれている鉄筋に手をかけて息を整える。
最後にヤマウドのポイントに向かうが、眼鏡が霧で濡れているからなのか、まだ薄暗いからなのか、まともに株を探せない。どちらにしても歳とともに目が見えにくくなりこういった行動が鈍くなる。ここでも見つけることができた株はひとつだけというありさまだ。
あとで森に暮らすひまじんさんに話を聞いたところ、土曜日にかなりの人が入っていたので盗られつくしたのではないだろうかとのことであった。
なるほど、昨日は雨だったが、やはり週末明けの月曜日というのは山菜採りにはあまり適さない曜日なのかもしれない。今度は、木曜日か金曜日を選んで来ることにしよう。そうなると、今年はやっぱり4月22日というのが最も山菜採りに適した日であったようだ。

フキも探してみたが、これはまだまだ小さい。それと、一番たくさん採れるはずのヤマウドポイントの縁が工事用の土砂で埋められていてあまり採れない。今年はフキの佃煮はごく少量になってしまいそうだ・・。
前回のブログにも書いたが、生石山はどこもかしこもこんな有様で山菜採りの僕からするとひどいことになってしまっているとしか思えない。県立自然公園といいながらその自然がどんどん蹂躙されてしまっている・・。
はたして、再生までどれくらいの時間がかかるのだろうか・・。
山菜を採りながら石をふたつ拾ってきた。

生石山の基本的な土壌は石英でできているらしく、露出している岩も真っ白の石英だ。おそらく、石英が摩耗してできた水はけのよい土壌が地面の下の方まで水分を通し、たくさんの水を保持して植物の生育を助けているのであろうが、ひょっとしてこの石は火打ち石として使えるのではないかと考えた。
僕が買った火打ち石セットにはメノウが入っていたが、モース硬度では石英のほうが若干ではあるが更に硬いそうだ。じゃあ、組織が風化して脆くなっていなかったら十分火打ち石として使えるのじゃないだろうかと前回の山菜採りのときに思ったのである。
家に帰って試しに叩いてみるとちゃんと火花が出る。チャ―クロスを当てて再度火花を散らしてみるとちゃんと火が乗り移った。ばっちりだ。石英以上の硬度の岩石というと、ヒスイなどもそうらしい。どこかを旅したときにいろいろな石を物色しながら火打ち石のコレクションをするというのも楽しいかもしれないと思った。

日本ではどこもそうなのかもしれないが、和歌山県は少し場所が変わるだけでその土壌がまったく異なる。
船を係留している場所は緑色片岩という、火成岩が断層の摩擦で層状の模様を作った石だ。和歌山市では青石などと呼ばれている。残念ながこの石は柔らかいので火打ち石にはなりそうにないが、ここは中央構造線が走っているところだからこんな石ができるらしい。田辺に行くと、湾内の磯は砂岩で沖に出ると礫岩になるが、この辺りは昔から浅い海が広がっていたからだそうだ。
田辺を越えて南に行くとまた磯の石質が変わる。多分あれは泥岩というやつだろう。それが地殻変動でねじ曲がってさらに浸食されて険しい磯ができたそうだ。
橋杭岩はその岩の間にマグマが入り込んでその岩だけが浸食から免れてあんな形になったらしい。
石英というのは、地層の中に熱水などが入り込んでその中に含まれるケイ素が結晶化したものだそうだ。1400万年前、紀伊半島に巨大なカルデラができたという話は前に書いたことがあるが、熱水の痕跡が残っているということは、ここもそんなカルデラの一部であったのだろうか。
山菜採りをしながら想像はどんどんふくらんでゆくのである。
それでも天は僕を見放してはいなかった。昨日は雨が降り、明日も雨の予報で今日だけがぽっかり雨が降らない日になってくれた。
しかし、昨日の雨の影響はしっかり残っている。
今朝の朝一の気温は22℃。

モワンという暖かさと共にすごい湿度だ。湿気というよりも、空気中に納まりきらない湿気が水滴となって空気中を漂っている。
午前5時過ぎには生石山に到着したいので自宅は午前4時に出たのだが、ヘッドライトには空気中を漂う水滴が反射し、フロントガラスにも見る見るうちに水滴が貼りついてゆく。
でも、これは明らかに雨ではない。霧のように曇ってもいない。こんな日は経験したことがない。
生石山に到着すると景色はすべて乳白色に飲み込まれてしまっていた。幻想的な景色だ。

ここもおそらく湿度は100%を超えている感じだ。(100%を超える湿度は存在しないのだろうが、感覚としてはそんな感じである。)
コンデジとスマホはこの湿度で機能を保つことができるのだろうかと気にしながら準備をする。しかし、これだけの水分を抱え込むことが高原独特の生態系を維持することにつながるのであろう。
高原に入ってゆくと、ワラビもゼンマイもクモの巣もみんな水滴で覆われている。空気と水の境界が不鮮明で混沌としたような世界はまったく嫌いではない。むしろ楽しくなる。



まずはいちばん気になっているコシアブラの木を見に行った。水分をたっぷり含んだ幹はいつもと違う色をしている。

普段はうっすらと斑が入っている程度にしか見えないがそれがはっきりと浮き出ている。気になる芽のほうはというと、やはりすでに大きくなりすぎていた。

あと、4、5日早く来るべきであった。食べられそうな芽は半分もない。
なるべく小さいものを選んで次は王家の谷へ向かう。
ワラビはまだまだいけるだろうと思っていたのだが、そのワラビが少ない。この辺りもそれなりに生えている場所であったのだが10歩歩いてやっと1本見つけるというような具合だ。これも灌木を伐採された影響なのかもしれない。
歩ける範囲を探って正面の駐車場に移動。
ここからはイタドリとヤマウドメインで探してゆくことにする。キャンプ場の斜面も刈られているのでヤマウドの株があらわになっているかもしれない。
しかし、そこは貴重な山菜だ。そんなに簡単に見つかるわけではない。ここで見つけた株はひとつだけであった。

ただ、この株が大きかった。偶然か誰かの故意か、この株は腐葉土に埋もれていて、それをはがすと白い大きな茎が出てきた。それも大量に。

もう、これだけで今夜の食卓には十分じゃないかと思えるほどであった。
しかしここにもワラビは見えない。若干の救いはゼンマイがよく目立つことくらいだ。今年はゼンマイが優勢なのか、単に下草が刈られて目立っているだけなのかそこのところはわからない。ゼンマイも大半は大きくなってしまっているが、その下から生えている小さな芽だけを摘み取りながら前進する。

高原の上の方まで出て、別のコシアブラの株を見に行く。こっちもほとんどが大きくなってしまっていた。なんとか食べられそうなものと、お昼ごはんのパスタに入れるために3本ほど大きくなりすぎた芽も採る。
そこから一度下り、イタドリのポイントからまた稜線の散歩道まで上がってゆくのだが、そこにたどり着いた頃には息が切れて動けなくなってしまった。ちょっと座って休憩をしたいところなのだが、下草が湿ってしまっているので座ることができない。散歩道に沿って打たれている鉄筋に手をかけて息を整える。
最後にヤマウドのポイントに向かうが、眼鏡が霧で濡れているからなのか、まだ薄暗いからなのか、まともに株を探せない。どちらにしても歳とともに目が見えにくくなりこういった行動が鈍くなる。ここでも見つけることができた株はひとつだけというありさまだ。
あとで森に暮らすひまじんさんに話を聞いたところ、土曜日にかなりの人が入っていたので盗られつくしたのではないだろうかとのことであった。
なるほど、昨日は雨だったが、やはり週末明けの月曜日というのは山菜採りにはあまり適さない曜日なのかもしれない。今度は、木曜日か金曜日を選んで来ることにしよう。そうなると、今年はやっぱり4月22日というのが最も山菜採りに適した日であったようだ。


フキも探してみたが、これはまだまだ小さい。それと、一番たくさん採れるはずのヤマウドポイントの縁が工事用の土砂で埋められていてあまり採れない。今年はフキの佃煮はごく少量になってしまいそうだ・・。
前回のブログにも書いたが、生石山はどこもかしこもこんな有様で山菜採りの僕からするとひどいことになってしまっているとしか思えない。県立自然公園といいながらその自然がどんどん蹂躙されてしまっている・・。
はたして、再生までどれくらいの時間がかかるのだろうか・・。
山菜を採りながら石をふたつ拾ってきた。

生石山の基本的な土壌は石英でできているらしく、露出している岩も真っ白の石英だ。おそらく、石英が摩耗してできた水はけのよい土壌が地面の下の方まで水分を通し、たくさんの水を保持して植物の生育を助けているのであろうが、ひょっとしてこの石は火打ち石として使えるのではないかと考えた。
僕が買った火打ち石セットにはメノウが入っていたが、モース硬度では石英のほうが若干ではあるが更に硬いそうだ。じゃあ、組織が風化して脆くなっていなかったら十分火打ち石として使えるのじゃないだろうかと前回の山菜採りのときに思ったのである。
家に帰って試しに叩いてみるとちゃんと火花が出る。チャ―クロスを当てて再度火花を散らしてみるとちゃんと火が乗り移った。ばっちりだ。石英以上の硬度の岩石というと、ヒスイなどもそうらしい。どこかを旅したときにいろいろな石を物色しながら火打ち石のコレクションをするというのも楽しいかもしれないと思った。

日本ではどこもそうなのかもしれないが、和歌山県は少し場所が変わるだけでその土壌がまったく異なる。
船を係留している場所は緑色片岩という、火成岩が断層の摩擦で層状の模様を作った石だ。和歌山市では青石などと呼ばれている。残念ながこの石は柔らかいので火打ち石にはなりそうにないが、ここは中央構造線が走っているところだからこんな石ができるらしい。田辺に行くと、湾内の磯は砂岩で沖に出ると礫岩になるが、この辺りは昔から浅い海が広がっていたからだそうだ。
田辺を越えて南に行くとまた磯の石質が変わる。多分あれは泥岩というやつだろう。それが地殻変動でねじ曲がってさらに浸食されて険しい磯ができたそうだ。
橋杭岩はその岩の間にマグマが入り込んでその岩だけが浸食から免れてあんな形になったらしい。
石英というのは、地層の中に熱水などが入り込んでその中に含まれるケイ素が結晶化したものだそうだ。1400万年前、紀伊半島に巨大なカルデラができたという話は前に書いたことがあるが、熱水の痕跡が残っているということは、ここもそんなカルデラの一部であったのだろうか。
山菜採りをしながら想像はどんどんふくらんでゆくのである。