イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

山菜採り

2022年04月14日 | Weblog
いよいよ今日は満を持しての山菜採りだ。生石山への最初の基準日は大体4月15日前後としている。この職場に来てからは15日というのが休みを取りづらいものだから今年は4月14日に休日を入れ、ひまじんさんには早々と14日に行きますとお伝えしてこの日を待っていた。

しかし、数日前から眺めている天気予報では雨模様だ・・。しかし、春の天気予報は刻一刻と変更される。そして、大体のパターンが、雨の予報でも降らない予報に変わってゆく。まだあきらめるわけにはいかない。例年のこの時期の気候というのは朝晩はまだまだ肌寒く感じるものだが、今年はここ数日汗をかくほどの暑さが続いている。こうなると焦ってくる。もともと冬が寒かったのでタラノメの採り頃は遅れていたものの、コゴミはすでに標準的な時期に採り頃になっていて季節は追いついた感があった。その勢いで季節が追い越して行ってしまった感じがするのがここ数日であったのだ。前回の休日には今日は雨模様だということがわかっていたので早めに行っても追い越した季節に合わせて山菜も芽を出しているかもしれなかった。それをあえて今日に引き伸ばしたのでどうしても今日、生石山に行きたかったのだ。
幸いにして最後に見た天気予報は午前7時頃からお昼過ぎまでは雨が上がっているというものだった。



天気予報を信じて午前4時に起床して雨雲レーダーとにらめっこしながら予報の精度を確かめる。確かに、午前5時過ぎの雨雲が通り過ぎれば雨はなさそうだ。小雨の中必要な道具を車に詰め込みいざ出発。
道中、霧の粒がフロントスクリーンを濡らすが空は明るい。

生石山に到着した頃にはすっかり明るくなっていたのだが、道中、大規模な工事がなされていて山道が様変わりしていた。なんだか嫌な予感がしていたのだが、それは的中していてヤマウドのポイントの上にもかなりの盛り土がされてしまっていた。そして、春先のポイントである南の斜面に向かうと・・。
ここも土木工事をされているわけではないけれども、高原周辺の灌木が根こそぎ刈り取られてしまっている。



まずは王家の谷に入って数本生えているタラの木を見てみようと思っていたのだがその木も跡形もなくなってしまっていた。
タラの木があったであろう場所を探してみると、無残に切り倒された木が残されていた。



ここから南の駐車場の前にかけてのエリアは灌木や枯れススキに守られたベッドの中で早くからワラビが成長しているのだがその姿もほとんど見えない。
生えていることは生えているがほんのわずかだ。



いちばん数の多い駐車場の前のエリアはわずかに灌木が残っていたが、逆に入って行ける道が消えている。これは想像なのだが、毎年僕が入っていく道というのは獣道だったと思う。しかし、周りが刈り取られてしまったおかげで獣たちもわざわざ草の深いところを通らずに歩きやすいところを通るようになったのではないだろうかと思うのである。せっかく期待していた場所だっただけに落胆は大きい。
仕方がないので正面の駐車場に戻り、ほかの場所はどうなっているかを確かめに出かけた。

中心部に向かっても高原のいたるところで灌木が切り倒されてしまっている。高原の東端にも灌木があり、この中にもワラビがあるのだがそれも根こそぎなくなってしまっている。そのまま歩いてゆくと皮肉な看板が佇んでいた。



草花を大切にせよと書いておきながらその草花を根こそぎ切り倒してしまうというのはどういった思想を持っているのだろうか。ちなみにこの先の灌木もことごとく刈り取られていた。ここにも数本のタラの木が生えていて、イタドリもたくさんあったのだ。この看板を立てた人たちにとって、山菜や灌木は草花ではないということだろうか?それでは明らかに自分たちが愛する植物とそうでない植物を選別しているということになる。これは極端かもしれないが選民思想につながるものであるとあえて言いたい。ここを管理しているのはどういった素性の人たちか知らないが、何か特別な権利、たとえば対象物に対して生殺与奪の権利を有するような立場に立った人間が必ず芽生えさせてしまうような考えだ。もっとあえて言うなら、これはナチスドイツ、ウクライナに攻め込んだプーチンとまったく同じではないかと思うのである。
ひどいものだ。何の抵抗もしない植物たちを自分の好き嫌いで選別して嫌いなものを根絶やしにしてしまおうというのだから優生思想という人類で最も下劣な思想にかぶれた輩たちだと言われても仕方があるまい。ついでにこいつらは山漆の木にかぶれてしまえばいいのである。ちなみに、こいつらはそれが怖いのか、王家の谷に残されていた一本の木は山漆の木であった・・。

たまにすれ違うここの管理者たちは山菜採りの姿をした僕たちに対しては冷たい視線を投げかける。一度は、「そんなもん、腰からぶら下げてええと思てんのか!」というような言葉を叩きつけられたこともある。山菜を採るだけでまったくお金を落とさない僕たちを憎むあまりそれを引き寄せる山菜を目の敵にしているのかもしれない。
ここは我々の土地だからお金を落とさないよそ者は出ていけという思想は加太の帝国軍とまったく同じ考えである。自然は誰のものであるのか、これはもう一度問い直されなければならない問題であるはずだ。
そして、こいうった場所を刈り取るという行為に一体何の意味があるのだろうか。そもそも、ロープを張ったルート以外は立ち入り禁止としているのだから、これらの場所も普通の人が行くことはなく、見通しを妨げるようなものでもないので景観上も刈り取る必要はあるまい。むしろ、根を張る植物が枯れてしまうことで保水力が無くなり大雨が降ると土砂が流れ落ちてくるのではないかという危惧を覚える。

そもそも、ここは県立自然公園に指定されている場所なのにこんな行為が許されるのだろうか。この場所は確かに、適度に人の手を入れることによって維持されている環境であるが、おそらく江戸時代、もしかしたらもっと前から続けられてきた山焼きはやらずに植物だけ刈り取るというのはまったく歴史と伝統と植物のライフサイクルを無視しているとしか思えない。僕も山菜を摘み取っていく人間なので偉そうなことは言えないが、それはきっと自然が現状を維持できる範囲内での行為であると思っているし、全部採ると枯れてしまう芽はかならず少し残すようには心掛けているつもりだ。それに比べると、機械を使って根こそぎ切り倒してしまうという行為は許せない。

愚痴と怒りが長くなってしまった。

こうやって高原を一周してからひまじんさんと合流してヤマウドを探す。例年なら枯れ草の中をまさぐって小さな芽を探すのだがここも刈り取られてしまっていて地肌が露出してしまっている。株を探しやすいといえば探しやすいがなんだか味気ないし、雨が降った直後にも関わらず土がむき出しになった地肌は乾燥し始めている。こんな状態ではヤマウドもまともに成長してくれないのではないだろうかと心配にもなる。



その後、ワラビがたくさん生えている秘密の場所に案内していただき、大逆転でワラビも大量に採ることができた。しかし、この場所、迷路のような山道を走った末に現れる小さな場所だが、採れるワラビはとにかく大きい。誰も盗らないから大きくなるのか同じワラビでも大きくなる系統があるのか、大きいものなら全長が50センチ以上ある。それも、根元の方まで柔らかい。実際のところ、もう一度そこへ行けと言われるとまったく道がわからないので僕にとっては幻の桃源郷のようなところなのだが、道に迷って遭難してでももう一度行ってみたい場所である。
そしてコシアブラのポイントへ。去年はもうかなり大きくなってしまっていたけれども、今年はまだ葉が開き切っていなかった。いわゆるプレミアムサイズという一番いいサイズなのだが、これがあるということは半分くらいの芽はまだ小さいということだ。
ヤマウドも、これは採るに忍びないというサイズもあり、季節はこの数日で山菜の採り頃を追い越していってしまったかと思ったが、それは一部の場所のことであり、全体の季節はやはり寒い冬を引きずったままになっているようだ。山頂のコシアブラもまだほんの少し芽を出したところであった。



自然というものは人間のように気まぐれではないはずで、山菜たちも何かの法則に従って芽を出していると思うのだが、それは一体何に従っているのか、それがわかるとやきもきしながら採り頃を占うこともないのにといつも思うのである。

季節は寒さを引きずっていると書いたものの、今日は特別暑い日になった。朝起きた時も雨が降っているにも関わらずまったく寒さを感じず、帰り道でも車の温度計は25℃を指していた。
また例年の話をすると、高原に到着した時点で寒さが体中に浸み込み、指先は手袋をしていても感覚がなくなるほどなのだけれども、今日はヤッケを着ているとサウナスーツのようである。切り倒された草の上を歩くのはけっこう体力を使い、汗が滝のように流れてくる。山菜料理をたらふく食べても今日の夜の体重は久々に73㎏を下回った。

 

三寒四温とはいうけれども、なんだか極端すぎるような気がする。明日からはまた気温が下がるそうだ。
フィールドもおかしくなり、気候もおかしい、なんだかおかしい春なのである・・。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (森に暮らす)
2022-04-18 18:56:53
 私の思いを代弁してくれるようなブログに感服しました。付け加えることは何一つありません。有難うございました。
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Unknown (イレグイ号)
2022-04-19 16:51:59
森に暮らすさん、いつもコメントありがとうございます。
そして先日はありがとうございました。
先人たちが一生懸命維持してきた自然を自分たちの都合で破壊するというのは許すことができません。あんな場所で土木工事をするというのは、何かの利権が絡んでいるのはないかと勘繰り始めるともっと許せなくなります。さしずめ、コロナ関連で補助金が出るのでなんでもいいから工事をやってしまえというのではなかったのでしょうか。
ヤマウドの場所に盛られていた土は明らかにあの辺りの土とは異なるものでした。そんなものを持ち込んで生態系が狂ってしまったら取り返しがつかないことになります。
「生石山の大草原保存会」なるものがあるそうで、おそらくそんな人たちも絡みながら草を刈りつくしたり土木工事をやったりしているのでしょう。百歩譲って草を刈るのは許すとしても、変な土木工事には反対をするのが保存会としての立場じゃないのではないかと思ったりしています。きっとこの会も土木関係者に牛耳られているのに違いありません。
悲しいです。
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