イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ラマレラ 最後のクジラの民 」読了

2020年08月17日 | 2020読書
ダグ・ボック クラーク/著、上原 裕美子/訳 「ラマレラ 最後のクジラの民 」読了


インドネシアの東の端の方、東チモールのすぐ手前にあるレンバタ島の南側にラマレラという村がある。そこは400年前から変わらず同じ方法でクジラを獲って暮らす生活が続いている村だ。
そこはいくつかの氏族に分かれていて、海側に住む人たちは全員なにがしかクジラ漁にかかわっている。それぞれの氏族は捕鯨船用の小舟を有している。捕鯨が始まると共同で狩りにあたる。
手漕ぎの船(テナという。)にヤシの葉を縫った帆を立てて銛とロープだけでマッコウクジラやマンタを仕留める。そんな原始的な漁法を続けていた。
男たちの最大のあこがれはラマファと呼ばれるそれぞれの船の銛手のリーダーになることだ。

この本はアメリカ人ジャーナリストが2011年から2018年の間、ラマレラに住む人たちを取材し続けた内容をまとめたものだ。、取材期間も長いがページ数が多い。物語は1994年から始まり解説を除く本編だけで449ページある。紙質がいいので厚さは4センチほどだ。リュック型のかばんに入れて持ち歩いていると背中に違和感を覚える。

西暦2000年を越えるころから、この村にも近代文明の波が押し寄せてくる。漁に関してはエンジンや刺し網、流し網という漁法。物々交換にたよっていた日常生活には貨幣経済が浸透し始め、先祖とつながる神々への信仰はキリスト教に置き換わり始める。

そんな大きな変換期を人々はどう受け止めたか、各章ごとに主人公が変わる小説仕立ての構成で綴っている。
近代化の波に抗いながら伝統を守ろうとする人。悩みながらも都会に出ていこうとする人。その中で人間関係に悩む人たち。それは若い世代だから近代化の波に乗りたがるというものでもない。迷いながらもラマファに憧れを持ち続ける人。年配でも近代化の波に乗ってひと儲けしようとするクールな人もいる。老人はやっぱり土着の神を畏れて伝統からは抜け出せない。しかし、若い世代のためには都会との交わりは仕方がないと思う人もいる。

先祖と共にあった時代の人間はお互いに頼りあうしか生きる方法がなかった。どうしても力を合わせていくという必要があった。しかし、貨幣経済、近代化というのはそういうつながりを断ち切っていくという側面がある。
村の人たちすべてが同じ方向を向いて仕事をしていたものがお金を介在させることによって共同生活をしなくても生きていける環境を作ることができる。そして政府は貨幣経済、新たな労働機会を与えることによって国家を統一しモノカルチャー化しようとする。
確かに生活は楽になるけれども、それぞれの人が持っている矜持というものが削がれてゆくのも事実だ。この本の中では、男たちは果敢にマッコウクジラに挑むこと、そして食料をじかに手に入れるという矜持だろうか。

ラマレラの人たちはその折衷案を選択しようとしている。伝統は守りつつ近代世界のよいところは取り入れようと考えた。テナでしか獲ることが許されなかったマッコウクジラを船外機船(ここではそれを「ジョンソン」と呼ぶそうだ。)でも獲ることを許した。しかし、それを許したのは古来からこの土地の支配者とされてきたシャーマンの一族というのがやっぱり伝統的なのである。そしてテナとテナの連絡には携帯電話が使われることも許された。若者の間ではインターネットが普通になり、電気も24時間通じるようになった。
一方で村の近くには港ができ、大型船が寄港できるようになったけれどもうまく活用されずにいる。

この本のエピローグは2018年で終わっているのだが、お金さえ出せばいつでも暖かい食べ物にありつける生活は安全で楽だ。しかし、人はそれのみで生きてゆけるのか。
この本はそういうことを問いかけているように思う。


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