イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「部屋いっぱいのワイン 」読了

2017年05月11日 | 2017読書
細川布久子 「部屋いっぱいのワイン 」読了

著者は「私の開高健」と同じ人だ。
1985年、編集者の仕事を辞めて単身フランスへ渡った経験をまとめたものである。
第4回開高健賞奨励賞を受賞している。(原題は「エチケット1994」)

「私の~」に書かれていたとおり、師からワインの手ほどきを受けそれをもっと極めようとしたのか、編集者という仕事にも行き詰まりと限界のようなもの感じ、「居は気を移す」のとおり住む場所を変え、好きなワインの勉強をするために渡仏。
フランス語を覚えながらのワイン修行を師とよく似たレトリックで綴っている。

学生という身分を続けながら(学生でいるとビザが下りやすいらしい。)ワイン学校を経てソムリエ協会への所属を通して経験した試飲会、葡萄の収穫の季節労働やソムリエのコンテストの世界などについて書かれている。ワインの解説書ではなく、著者が経験したこと、知り合った人たちについてのことが中心になっているので偏ってはいるのだろうがそれだからこそ自分もそこにいて経験しているような臨場感がある。

生活の基盤になるものもないのに単身海外へ出てゆくなど、とてもじゃないが考えられない僕にとってはこの手の本を読むときは羨望とわが身への落胆が織り混ざる。
この人もそうだが、人の交わりだけを頼りに生活を続けているように読める。これはノンフィクションだが、悩めるとき、危険なとき、転機を迎えたいとき、必ず手を差し伸べてくれる人がいる。師もその中のひとりであったのだから、えぇ、本当か?と思うと同時にそれだけ人に好かれる人だから海外でもたくましく生きてゆけるのだろう。はやり羨望と落胆の気持ちしか出てこない。

師から受けたワインの手ほどきは、「まず、当面はテーブルワインを飲み続ける。飲んで飲んで飲みあさる。それから少しづつレベルアップしていきなさい。そのうちに、あるとき、誰かがとてつもない美酒、銘酒をごちそうしてくれる機会が訪れる。するとヤネ、日頃キミの呑んでいるものとの違いが、クッキリとわかります。」という内容であったそうだ。
この文章はほかの本にもよく出てくるので僕も知っているわけだが、僕の場合、お金がないので安いワインしか買えない。高くて1000円、過去に買った一番高いワインでも3000円の後半くらいだっただろうか。そのうちに、奇跡と呼べるようなワインを飲ませてくれるような人が現れることはどうしても考えられないので死ぬまで500円以下のワインを飲み続けることには変わりがない。まあ、これはこれで仕方がないことではあるけれども、死ぬまでに1回、メドックの銘酒を滴程度でも味わいたいものだ・・・。
味わってもその美味しさの意味は分からないであろうけれども・・。

著者は、この本の受賞記念のパーティーで佐治敬三の計らいでロマネコンティを初めて飲んだと「私の・・・」に書かれていた。インターネットで調べる限り、数冊の著作がみつけられるだけで、作家としてもジャーナリストとしても大成したという人ではなかったようだが、これだけの人と出会い、自分の好きな道を究めることができたというのはなんと素晴らしい人生ではなかったのかと思う。
こんな人になりたかったと思う。
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