場所:水軒沖
条件:中潮 7:17満潮
釣果:ハマチ1匹 サバ26匹 マルアジ2匹 禁断の魚1匹
※禁断の魚は諸事情により名前を伏せることにする・・。
いよいよチョクリの季節がやってきた。先週、菊新丸さんから魚の群れは初島沖くらいまでやってきていますよという情報をもらっていた。そこからは距離にして7、8kmくらいだろうか、1週間待てば水軒沖まで到達してくれるのではないだろうかと今日、調査に出てみた。
夜は扇風機を回して寝るとほどよい気持ちよさになってしまう室内温度なので、目覚まし時計が鳴ったのは気付いたもののそのあと不覚にもまた眠ってしまっていて、次に目が覚めた時には午前3時を回っていた。暗いうちから船を出したいと思っていたのでこれではかなり出遅れる。今日も出すべきものが出せない状態で家を出た。
出港時刻は午前4時半。辺りはすでに薄明るくなってしまっていた。
沖に出る前に、紀ノ川河口でハマチが釣れるのなら一文字の沖でも釣れるのではないかと思い禁断の仕掛けを流してみることにしていた。そしてこれは予感が的中し、仕掛けを出し終わりスロットルを入れた瞬間に魚が掛かった。
おそらく、一度沈んだ仕掛けが浮き上がり始めたときに喰ったのだろう。とりあえず、これでボウズはなくなった。少し気が楽だ。
少し先で魚がボイルしているのを見たのでそこまで移動したがアタリはなく、元に戻って同じ場所をもう一度流してから沖へ向かった。
船底塗装をしてからの最初の釣行だ。船が海面に乗って滑っていくような感触がよくわかる。これが気持ちいい。
さて、どこ辺りまで出てみようかと思案するのだが、まあ、シーズンの始めだし水深50メートルくらいのラインまで出張らなければならないという覚悟はしている。その間に魚探の反応が出てほしいものだ。
そうは思っていたのだが、まったく反応はない。これ以上沖に出て何もなければ燃料が無駄だと判断し予定通り水深50メートルのところでギアをニュートラルにした。ここも反応がない。うわ~、これはまずいのではないかと思い始めた時、もっとわるいことに、同じような場所に停まっていたチョクリ船らしき船がこっちに近づいてきた。
この釣りは、当たり前の話だが魚が船の下にいなければまったく釣れない。広大な海域に漁礁のようなポイントがあるわけでもなく、自分が釣れていないとほかの誰かを頼りたくなる。遠くに見えているあの船はすでに魚を釣っているのではないか、あそこには魚がいるのではないかと無駄な衝動を抑えきれずに近づいてくるのだ。だから、こっちが釣れていないのにもかかわらずほかの船が近づいてくるということは間違いなくその船も釣れていないということを意味する。
ということは、その船が元いた場所と僕の船の間には魚はまったくいないということになるのだ。2回目のうわ~、これはまずいということになった。
そうはいってもほかに行く当てもない。置き竿は浅め、手持ちの竿は海底付近と探る場所を分けて釣りを始めた。
最初のアタリは手持ちの竿だった。魚探の反応はなかったが魚はいるようだとほっとしたのもつかの間、魚が水面から出た途端、ポチャンと目の前で海に帰っていった。マルアジであったが食いが悪いようだ。最初の魚を落とすと気持ちも落ち込む。これで3回目のうわ~、これはまずいなということになった。
しかし、「うわ~」はこの3回で終わりだった。
しばらくして置き竿のほうにアタリがあった。嬉しいサバだ。棚はかなり浅いようだ。確かに魚探をよく見ると、水深の浅いところに出ているノイズの中にわずかだが赤い線が見えている。これがサバの群れなのだろう。
手持ちの竿も浅い棚に合わせると、その後は忙しいくらいにアタリが出始めた。椅子に座る間もなく前後の竿にアタリが出る。生け簀の中もどんどんにぎやかになっていく。
そして、手持ちの竿の魚を回収している時にまた、置き竿にアタリがあった。いそいでこっちの魚を回収し、置き竿を持つとかなりの引きだ。これは大サバが掛かったかと思ったがそれにしてはよく引く。おまけに水面に向かって走り始めた。道糸はほぼ水平の角度になっている。これはサバでもない。シイラならとうに糸を切られている。それともサワラだろうか・・・。いろいろ想像を巡らせながら仕掛けに手をかけるまところまで来たけれども引きの強さは変わらない。ここで糸を引き出されると僕の指に鉤が刺さってしまう。強引なことをすると糸を切られてしまうがそこは仕方がない。幹糸が滑り出さないように指に巻き付けながら引き上げてゆく。そして姿を現した魚は諸事情により名前は書かない方がよい魚であった。現状では資源保護のために捕獲禁止となっている魚かもしれないのである。
まあ、釣れたものは仕方がない。それに、この魚は美味しいのだ。ここまで書いてしまうと善意の第三者でもいられないのだが、この場では僕はこの魚をルール通り放流したことにしておこうと思う。
禁断の仕掛けといい、禁断の魚といい、最近はやたらと禁断のものが多い。それだけ世の中規制だらけということなのだろうけれども、僕が禁断の仕掛けで魚を釣ろうが、禁断の魚を1匹釣ろうが世界の海の漁業資源の変化に何の影響も及ぼさないのは確かだ。それとも、こんなところにバタフライエフェクトが存在しているとでもいうのだろうか・・。
そんなくだらないルールはとっとと廃止しようというような立候補者が今度の参院選で出馬してくれないものだろうか。僕は迷わず一票を投じるのだが・・。
その魚はなんとか水面まで引き寄せてタモ入れすることに成功したのだが、よく6号の糸で切れなかったものだ。それに加えて、チョクリ釣りの時はそんなに大きな魚も釣れないので普通ならタモを用意していないのだが、たまたま、今朝は禁断の仕掛けを流してみようと思ってタモを用意していたというのは幸運だった。
そう、今日は幸運の日だったのだ。今朝、急いで港まで来る途中、絶対に通過しなければならない三つの交差点の信号機がすべて青であったのだ。おそらくその時から、この魚は僕の懐に抱かれていたのである。
その後、数匹のサバを釣り上げ、生け簀の中を見てみるとそろそろクーラーに入りきらなくなるのではないかというほどになってきていた。
ハマチがけっこうかさばるのだ。これだけあれば燻製と水煮の材料としては十分だ。まだ1日は始まったばかりだが午前6時半で終了とした。
家に帰ってソミュール液を作りながらサバを捌いてゆく。小さいものは水煮用に筒切りに、中くらいから大きいものにかけては燻製用に3枚におろす。一番大きいものはサバサンド用だ。
円卓会議に参加していたとはいえ、これだけのことをすると気がつけば午前11時になってしまっていた。
水煮が出来上がる時間を利用して庭の植木の剪定。
剪定と言っても、ただ、庭がジャングルにならないように茂り始めた葉を刈り取るだけだ。誰も愛でることがない庭でも植物は勝手に葉を伸ばす。そして、夏前の剪定は毎年、チョクリの釣りが始まったときがタイミングだ。すでに汚れてもよい服を着ているのと、釣れても釣れなくても世間では早朝と呼ばれる時間帯には家に帰っている。まだ涼しい時刻に剪定をすることができるのである。
ここ数年、いや、10年くらいだろうか、自分の生活のなかで、この時期にはこれをやるということがほぼ定着してしまっている。要は何か新しいことを始めようとしないということだ。旅行に行って見たことのない景色を見るということもない。
まあ、そういう予定をこなしているだけで1年は十分暇にならない程度に過ぎてゆくのではあるが、何も冒険をすることもなくひたすら時だけがすぎてゆくのだと考える時、あぁ、このまま知らない間にもっと歳を取って知らない間にこの世から消えてゆくのだろうなとなんだか一粒の虚しさを感じてしまったりもするのである・・。
先日のニュースでは、堀江謙一が太平洋横断の航海のゴール目前で、ちょうど今日くらいがゴールかもしれないというニュースが流れていた。うまくいくと僚船に曳航されたマーメード号を見ることができるかもしれないと思ったが、黒潮の蛇行に阻まれて、このブログを書いている翌日になったそうだ。この人は現在83歳だそうだが、そんな歳になっても何かに挑み続けている。そのモチベーションは一体どこから湧いてくるのだろうかとそのニュースを読みながら僕には無理と首を垂れるのである。
条件:中潮 7:17満潮
釣果:ハマチ1匹 サバ26匹 マルアジ2匹 禁断の魚1匹
※禁断の魚は諸事情により名前を伏せることにする・・。
いよいよチョクリの季節がやってきた。先週、菊新丸さんから魚の群れは初島沖くらいまでやってきていますよという情報をもらっていた。そこからは距離にして7、8kmくらいだろうか、1週間待てば水軒沖まで到達してくれるのではないだろうかと今日、調査に出てみた。
夜は扇風機を回して寝るとほどよい気持ちよさになってしまう室内温度なので、目覚まし時計が鳴ったのは気付いたもののそのあと不覚にもまた眠ってしまっていて、次に目が覚めた時には午前3時を回っていた。暗いうちから船を出したいと思っていたのでこれではかなり出遅れる。今日も出すべきものが出せない状態で家を出た。
出港時刻は午前4時半。辺りはすでに薄明るくなってしまっていた。
沖に出る前に、紀ノ川河口でハマチが釣れるのなら一文字の沖でも釣れるのではないかと思い禁断の仕掛けを流してみることにしていた。そしてこれは予感が的中し、仕掛けを出し終わりスロットルを入れた瞬間に魚が掛かった。
おそらく、一度沈んだ仕掛けが浮き上がり始めたときに喰ったのだろう。とりあえず、これでボウズはなくなった。少し気が楽だ。
少し先で魚がボイルしているのを見たのでそこまで移動したがアタリはなく、元に戻って同じ場所をもう一度流してから沖へ向かった。
船底塗装をしてからの最初の釣行だ。船が海面に乗って滑っていくような感触がよくわかる。これが気持ちいい。
さて、どこ辺りまで出てみようかと思案するのだが、まあ、シーズンの始めだし水深50メートルくらいのラインまで出張らなければならないという覚悟はしている。その間に魚探の反応が出てほしいものだ。
そうは思っていたのだが、まったく反応はない。これ以上沖に出て何もなければ燃料が無駄だと判断し予定通り水深50メートルのところでギアをニュートラルにした。ここも反応がない。うわ~、これはまずいのではないかと思い始めた時、もっとわるいことに、同じような場所に停まっていたチョクリ船らしき船がこっちに近づいてきた。
この釣りは、当たり前の話だが魚が船の下にいなければまったく釣れない。広大な海域に漁礁のようなポイントがあるわけでもなく、自分が釣れていないとほかの誰かを頼りたくなる。遠くに見えているあの船はすでに魚を釣っているのではないか、あそこには魚がいるのではないかと無駄な衝動を抑えきれずに近づいてくるのだ。だから、こっちが釣れていないのにもかかわらずほかの船が近づいてくるということは間違いなくその船も釣れていないということを意味する。
ということは、その船が元いた場所と僕の船の間には魚はまったくいないということになるのだ。2回目のうわ~、これはまずいということになった。
そうはいってもほかに行く当てもない。置き竿は浅め、手持ちの竿は海底付近と探る場所を分けて釣りを始めた。
最初のアタリは手持ちの竿だった。魚探の反応はなかったが魚はいるようだとほっとしたのもつかの間、魚が水面から出た途端、ポチャンと目の前で海に帰っていった。マルアジであったが食いが悪いようだ。最初の魚を落とすと気持ちも落ち込む。これで3回目のうわ~、これはまずいなということになった。
しかし、「うわ~」はこの3回で終わりだった。
しばらくして置き竿のほうにアタリがあった。嬉しいサバだ。棚はかなり浅いようだ。確かに魚探をよく見ると、水深の浅いところに出ているノイズの中にわずかだが赤い線が見えている。これがサバの群れなのだろう。
手持ちの竿も浅い棚に合わせると、その後は忙しいくらいにアタリが出始めた。椅子に座る間もなく前後の竿にアタリが出る。生け簀の中もどんどんにぎやかになっていく。
そして、手持ちの竿の魚を回収している時にまた、置き竿にアタリがあった。いそいでこっちの魚を回収し、置き竿を持つとかなりの引きだ。これは大サバが掛かったかと思ったがそれにしてはよく引く。おまけに水面に向かって走り始めた。道糸はほぼ水平の角度になっている。これはサバでもない。シイラならとうに糸を切られている。それともサワラだろうか・・・。いろいろ想像を巡らせながら仕掛けに手をかけるまところまで来たけれども引きの強さは変わらない。ここで糸を引き出されると僕の指に鉤が刺さってしまう。強引なことをすると糸を切られてしまうがそこは仕方がない。幹糸が滑り出さないように指に巻き付けながら引き上げてゆく。そして姿を現した魚は諸事情により名前は書かない方がよい魚であった。現状では資源保護のために捕獲禁止となっている魚かもしれないのである。
まあ、釣れたものは仕方がない。それに、この魚は美味しいのだ。ここまで書いてしまうと善意の第三者でもいられないのだが、この場では僕はこの魚をルール通り放流したことにしておこうと思う。
禁断の仕掛けといい、禁断の魚といい、最近はやたらと禁断のものが多い。それだけ世の中規制だらけということなのだろうけれども、僕が禁断の仕掛けで魚を釣ろうが、禁断の魚を1匹釣ろうが世界の海の漁業資源の変化に何の影響も及ぼさないのは確かだ。それとも、こんなところにバタフライエフェクトが存在しているとでもいうのだろうか・・。
そんなくだらないルールはとっとと廃止しようというような立候補者が今度の参院選で出馬してくれないものだろうか。僕は迷わず一票を投じるのだが・・。
その魚はなんとか水面まで引き寄せてタモ入れすることに成功したのだが、よく6号の糸で切れなかったものだ。それに加えて、チョクリ釣りの時はそんなに大きな魚も釣れないので普通ならタモを用意していないのだが、たまたま、今朝は禁断の仕掛けを流してみようと思ってタモを用意していたというのは幸運だった。
そう、今日は幸運の日だったのだ。今朝、急いで港まで来る途中、絶対に通過しなければならない三つの交差点の信号機がすべて青であったのだ。おそらくその時から、この魚は僕の懐に抱かれていたのである。
その後、数匹のサバを釣り上げ、生け簀の中を見てみるとそろそろクーラーに入りきらなくなるのではないかというほどになってきていた。
ハマチがけっこうかさばるのだ。これだけあれば燻製と水煮の材料としては十分だ。まだ1日は始まったばかりだが午前6時半で終了とした。
家に帰ってソミュール液を作りながらサバを捌いてゆく。小さいものは水煮用に筒切りに、中くらいから大きいものにかけては燻製用に3枚におろす。一番大きいものはサバサンド用だ。
円卓会議に参加していたとはいえ、これだけのことをすると気がつけば午前11時になってしまっていた。
水煮が出来上がる時間を利用して庭の植木の剪定。
剪定と言っても、ただ、庭がジャングルにならないように茂り始めた葉を刈り取るだけだ。誰も愛でることがない庭でも植物は勝手に葉を伸ばす。そして、夏前の剪定は毎年、チョクリの釣りが始まったときがタイミングだ。すでに汚れてもよい服を着ているのと、釣れても釣れなくても世間では早朝と呼ばれる時間帯には家に帰っている。まだ涼しい時刻に剪定をすることができるのである。
ここ数年、いや、10年くらいだろうか、自分の生活のなかで、この時期にはこれをやるということがほぼ定着してしまっている。要は何か新しいことを始めようとしないということだ。旅行に行って見たことのない景色を見るということもない。
まあ、そういう予定をこなしているだけで1年は十分暇にならない程度に過ぎてゆくのではあるが、何も冒険をすることもなくひたすら時だけがすぎてゆくのだと考える時、あぁ、このまま知らない間にもっと歳を取って知らない間にこの世から消えてゆくのだろうなとなんだか一粒の虚しさを感じてしまったりもするのである・・。
先日のニュースでは、堀江謙一が太平洋横断の航海のゴール目前で、ちょうど今日くらいがゴールかもしれないというニュースが流れていた。うまくいくと僚船に曳航されたマーメード号を見ることができるかもしれないと思ったが、黒潮の蛇行に阻まれて、このブログを書いている翌日になったそうだ。この人は現在83歳だそうだが、そんな歳になっても何かに挑み続けている。そのモチベーションは一体どこから湧いてくるのだろうかとそのニュースを読みながら僕には無理と首を垂れるのである。
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