イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「淀川八景」読了

2022年12月01日 | 2022読書
藤野恵美 「淀川八景」読了

この本は「釣り」というキーワードで図書館の蔵書を検索していてヒットした中の1冊であった。その内容は釣りとはまったく関係がなく、淀川の河川敷を物語の舞台にした8編の短編集である。その中の1編に、「ザリガニ釣りの少年」というタイトルの短編があり、それがキーワードにヒットしたのだろうと思う。
著者は主に児童文学の分野で活躍している作家だそうだが、この本についてはほとんどそういった趣はなく、ウイキペディアの解説のとおり、相当幅広いジャンルをカバーできる作家のようだ。これは単なる偶然にすぎないが、僕の今の勤務地である堺市の出身だそうだ。
児童文学というと、大きな夢と前向きな大志を抱いた少年少女が未来に向かって努力するというような物語を想像するが、この本はもちろん児童文学でもなく、前向きどころか、むしろ主人公たちは内向きで、小さな人間関係に小さな悩みを抱える。
「人と人は分かり合えない。」という、おそらくは誰でもがもっている解決できない問題をテーマにしているような気がする。

8編の物語は、夫婦、家族、友人、または道すがらの他人、それぞれがお互いを分かり合えないことが物語を生む。主人公たちはそれぞれの物語に登場する相手の心がわからないのである。そしてその小さな行き違いに悩む。時には自分自身の心の内もわからなくなることさえもあるのである。
家庭内での母親の暴力から妹を置き去りにして逃げた自分自身が実はその妹の心の支えになっていたこと。父親が再婚した女性との少しぎくしゃくした交流。婚活に焦りながらも本当は誰のために焦っていたのかを知ってしまった自分。淀川沿いを歩いて遡るうちに気付く子供を流産した妻の心の内。思いを寄せていたのは別の同級生であったのだと気づいてしまった映画好きの高校生。いじめられながらももっと違うところにもっと大切なものを持っていることに驚く主人公の小学生。
そんな予想もしなかったことに驚いたり気付いたりする主人公たちなのである。そしてそれはほんの少しのカタルシスでもある。

しかし、その物語には大したドラマチックなものはない。しかし、それもドラマなのである。ハッピーエンドでもなく、バッドエンドでもなく、主人公たちはこれらの物語が語り終わられた後もそれほど変わらない日常を続けてゆく。それはまた、現実に生きる自分たちにも重なる。それは、分かり合えない人間関係に悩むのがむしろ当たり前なのだと言っているようである。
それはいつも他人の目を気にしてしまうという意味では自信に満ちた生きかたではないのかもしれない。しかし、そっちのほうが普通の生き方なのですよと著者は励ましてくれているようにも思える。

日本のワールドカップはいよいよ瀬戸際の戦いとなっているが、それでも選手たちは自分を、またはチームメイトを信じてポジティブすぎるほどのモチベーションを保っているようだ。しかし、そういった人たち以外のほぼすべての人たちは大きな野望も自己実現も求めることなく不安のなかで生きてゆく。人生とはきっとそういうものなのかもしれないとこの本を読みながら思うのである。

著者はその物語の舞台として出身地に近い大和川ではなく淀川を選んだのか、それはきっと目まぐるしく姿を変えてゆく大都会の端にありながら、そこだけは何ごともなかったかのように佇んでいる風景が、主人公たちのドラマチックではないけれども相変わらず流れてゆく日常に重なって見えたのかもしれない。
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