イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「酔っぱらいの歴史」読了

2022年11月29日 | 2022読書
マーク・フォーサイズ/著 篠儀直子/訳 「酔っぱらいの歴史」読了

年に1回、図書館が長期で休館する。この間はいつもよりたくさんの冊数を借りておかねばならない。
大体の本は新聞やネットでタイトルを探して借りるのだが、冊数をたくさん借りるときや、読みたい本がない時などは書架の間をウロウロしながら面白そうなタイトルを物色したりする。そういったときはある意味、至福のときでもある。
そんなとき、食や酒には興味があるのでそういったワードが入っているタイトルにはつい目がいってしまう。この本もそのようにして見つけた本だ。

この本はよくあるような酒の起源の話ではなくて、飲酒=“酔っぱらう”という行為の歴史が書かれている。遠い昔から世界中の人々はそれぞれ場所で酔っぱらってきたのである。
酔っぱらうということがいろいろなところで歴史を動かしてきた。そういった事実?を拾って集めたというのがこの本である。「?」と書いた理由は後ほど・・。

お酒の起源というと、酩酊状態を通して神様とのコンタクトをするため、すなわち、宗教的儀式をおこなうためであったと思われがちだが、著者はそういった一面もあるのだろうが、それは後から生まれたもので、元々の起源は、単に酔っぱらいたいからであったと考えている。
そもそもアルコールを人間が摂取しはじめたのは腐った果物を食べたことから始まる。それは人として意識をもつずっと前からのことに違いない。だから宗教的儀式も酔っぱらいたいがための後付けにすぎなかったのではないだろうか。人は酔っぱらいたい、だから酒がいっぱいあると人は集まってくる。ひとが集まってくると布教がしやすい。布教をしやすくするために教会にお酒を用意する。酔っぱらえるのなら信心もしてみようか・・。そういった流れがあったのかもしれないと読めてくるのである。
宗教だけでなく、政治の駆け引き、権力闘争も酔っぱらう中でおこなわれてきた。とにかく人はいつも酔っていたいのだから。
ギリシャ時代やエジプトの時代のように、国家の構造がそれほど複雑ではない時代は酔っぱらいながら政治をやってもたいして市民の迷惑にはならなかった。
しかし、時代が現代になり、例えば、オランダで生まれたジンはイギリスに入り、下層階級の人たちにたくさん飲まれるようになったとき、酔っぱらって法を守らない貧困者に困った為政者たちがおこなった政策がこういった人たちを別の大陸に棄民することであり、そうして生まれたのがアメリカとオーストラリアだった。
アメリカでは飲酒が嫌いというか、サルーンと呼ばれた酒場が嫌いな婦人たちによって禁酒法が生まれ(た。とこの本には書かれていた。)、偶然かどうかはわからないが、禁酒法が施行されていた間に世界恐慌が起こり、その世界恐慌が禁酒法を終わらせたと同時に女性の地位が向上したという。
ロシアではニコライ二世が禁酒の方針を出したことが原因で(と、この本には書かれていた。)ロシア革命が起こり、共産主義国家のソビエト連邦が生まれた。しかし、その共産主義もペレストロイカの影響でインフレが進みアルコールの価格も暴騰したことがその共産主義の終焉の引き金になった。(と、この本には書かれていた。)
また、スターリンは恐怖政治の武器として酒を使ったという。政治局のメンバーを毎晩夕食に招き、酒をいっぱい飲ませて口を軽くさせて相手が何を考えているかを探ったという。近代においてもお酒は権力闘争に使われていたということだ。

そういえば、文明を持つまえから酒が大好きであった人類はそれなのにたびたび酒を禁じてきた。禁酒法しかり、ロシアでの数々の禁酒の政策であった。オーストラリアでも当初は飲酒が禁じられていたという。ドライな地域というのは実は多かった。しかし、そういった政策は長くは続かなかった。
その最たるものがイスラム教であろう。しかし、コーランにはワインは祝福されたものの飲み物であると書かれていたという。
しかし、時代を経るにつれ酒を禁忌するようになる。『あなたがた信仰するものよ!強い酒、賭け事、偶像、占い矢は、悪魔の手による業に過ぎない。それらを退け、よきことを成しなさい。』というように変わっていく。これは、ムハンマドの信徒たちのあいだで酔いが原因の喧嘩が絶えないようになってきたからだという。
コーランには、『酔っているときは祈るな』とも書かれているそうだが、それほどかなりの時間当時の人は酔っていたことになる。が、混じられているにもかかわらず、その後の時代にも様々な飲酒の記録が残っている。一般人は薬ということにして、またスルタンたち権力者は自宅の奥のほうで酒を飲み続けた。(らしい。)ワールドカップを開催しているかの国においても、外国人ががぶがぶやっているのを横目で見ながら現地の人たちが我慢し続けることができるわけもなく、何かと言い訳をしながら飲んでいるに違いない。規則は破られるためにある。

そのほか、各国の飲酒の歴史、それは禁止と解放の繰り返しでもあるのだが、おそらくは正史とされているようなものとはかなりかけ離れているように見える。もちろん、これはまったくのウソではないのだろうが、それはきっとその歴史の記録をどう読んだかという違いなのだろう。はすかいに読むとこうも読めるという感じだ。別の書き方をすると、それは“信用できない”となる。それは、エピローグの最後の文章にも表れている。『----それは未来でもある。現在からはるか先のいつか、チンパンジーが醸造所を乗っ取り、ゾウが蒸留所を占拠し、パブが恋わずらいのミバエで満席になった日には、人類は地球上で最後の一杯をくいっと飲み干し、千鳥足で宇宙船へ転がり込んで、この小さな岩のボールをあとにすることだろう。素晴らしい旅になるだろう。大気を突き破って地球を離れていくわれわれを神々が応援してくれるだろう。-----どこへ向かうのか私は知っている。いて座B₂Nだ。それは2万6000光年も先にある分子雲だから、旅を始めた者たちがたどり着くことはないだろう。幅は150光年、質量は太陽の300万倍。想像できないほど巨大な、自然発生した宇宙アルコールの雲だ。そしてそこにおいて我々は、無の底でとうとう、なぜなら人間であるがゆえに、宇宙的規模で酔っぱらうのである。』
まあ、こういったお話を他人にするときには、相手も自分も酔っぱらっていることを確かめてからにしなさいということだ。
ただ、こういったちょっと知的で、本当ともウソともわからない話をすることができる人というのは最も尊敬できる人でもあるのだとも思えるのである。そして、酒場での会話というものはこういったウイットに富んだものが最上であるとも思うのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 加太沖釣行 | トップ | 「淀川八景」読了 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

2022読書」カテゴリの最新記事