イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「超新星紀元」読了

2023年10月16日 | 2023読書
劉 慈欣/著 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ/翻 「超新星紀元」読了

ヨハン・ホイジンガという歴史家は、人間のことをホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と定義したが、このSF小説はそれを実践したらどうなるかというようなストーリーだった。

「遊ぶ人」の典型は子供である。太陽系から8光年の距離にある恒星が超新星爆発を起こした。未知の宇宙線が地球に降り注ぎ、人体細胞の染色体が破壊され、若くてDNAの自己修復能力をもった12歳以下の子供以外は1年に以内に死亡するということが分かった。
そして人類文明は子供たちに託され、“超新星紀元”が始まった。

というのがこの物語の基本設定である。


各国の指導者は子供であり、社会インフラを動かすのも子供である。まあ、そういった部分の描写というのはほとんどなく、“遊ぶ”ことしか生きる目的がない子供たちはどんな行動を起こしてゆくかというのが主なストーリーである。
やることは子供だが指導者たちの思考はなぜだか、達観していたり老成していたりでどうもピンと来ない。
果ては各国の軍事力を総動員して南極で戦争ゲームを始めてしまう。
そんなとんでもない世界だが、「後世の歴史家」が歴史書を残すことができるほど平和で文明として成熟した社会を築き上げ、エピローグを読むと、人類が月に移住することができるほどのテクノロジーも手にしている。
著者はこの物語に現代世界に対するアンチテーゼを込めているのかどうかはわからないが、大人の事情よりも子供の純粋な遊び心のほうが社会もテクノロジーも正しい方向に進化するのかもしれない。


ヨハン・ホイジンガは「遊ぶ」ということが人間を人間たらしめているのだということをこう説明している。
遊びは自由な行為であり、「ほんとのことではない」としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。にもかかわらず、それは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからといって何か物質的利益と結びつくわけでは全くなく、また他面、何かの効用を織り込まれているものでもない。それは自ら進んで限定した時間と空間の中で遂行され、一定の法則に従って秩序正しく進行し、しかも共同体的規範を作り出す。それは自らを好んで秘密で取り囲み、あるいは仮装をもってありきたりの世界とは別のものであることを強調する。
つまり、
① 自由な行為である
② 仮構の世界である
③ 場所的時間的限定性をもつ
④ 秩序を創造する
⑤ 秘密をもつ
これが遊びの5つの形式的特徴。さらに機能的特徴として「戦い(闘技)」と「演技」を挙げる。

「遊び」についてこんな風に考えてみたことはなかった。こうして定義されると「遊び」の概念がにわかに輪郭をあらわしはじめるが、確かに人は遊んでいるときが一番平和であり、斬新な発想も生まれてきそうな気がするのである。そういうことが小説の中にきちんと盛り込まれているのである。

しかし、こういう設定は著者独自のものではないらしい。過去には小松左京も子供たちだけの世界を書いているし、「蠅の王」という作品を書いたウイリアム・ゴールディングはのちにノーベル賞を受賞しているそうだ。これらの作品がどんなストーリーなのかは知らないが作家の想像力というのは果てがないようである。

著者の代表作は「三体」であるが、この小説は「三体」発表の30年前に書かれたものだそうだ。その頃の中国というと、天安門事件が起こる前、これからやっと驚異的な経済成長が始まるというときだった。
しかし、まったく古臭さを感じないというのが著者の先見性であるとも思う死し、SFとはこういうものだということを実感するのである。

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