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イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「十九歳の地図」読了

2014年08月18日 | 読書
中上健次 「十九歳の地図」読了

取引先の人が来店したとき、「僕は新宮市出身なんですよ~。」と話をしていたので久しぶりに中上健次のストックを読んでみた。

4つの短編が収められている。

タイトルの短編を除けば康二という主人公が成長してゆく(ように見える)中で感じる生きてゆくことの矛盾や理不尽が解決策のないまま描かれてる。
(ように見える。というのは同じ人物を描いているのかどうかというのが僕にはわからないからだ。)
そういう意味では「十九歳の地図」もテーマは同じだと読める。

「一番はじめの出来事」は「スタンド バイ ミー」的なジュブナイルの物語。
それに続く「蝸牛」「補陀落」は成長した康二が抱く不条理を淡々と描いている。
著者の物語にはすべて問題や朝鮮人問題が根底にある。そして兄の死という事件も常に描かれている。
受け入れたくはないけれども受け入れなければならない。今の若者ならその発露をドラッグや他人への害悪に求めるとろなのであろうが、受け入れなければならないんだ。底辺で生きてゆかなければならないんだ。
とあきらめにもにた感情がよこたわっている。
「十九歳の地図」は社会に向けてその不満をぶちまけようとするのだが、不満の解決にはならないんだという悟りと底辺でもがかなければならないんだという恐怖心。それしか残らない。
主人公にはそれにたくましく立ち向かってゆくというところがないのでよりリアリティが生まれる。

「生きてるということは薄情なものやな。」という科白が出てくるが、問題や朝鮮人問題にの渦中にいなくてもどんな人でも多からずともそう思うことがあるだろう。
その薄情さをどう乗り越えるべきか。それはまったく書かれていない。それは自分で考えなさいというのが著者のメッセージなのだろう。

人生とは薄情なものなのだ。
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