イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る・・・。

2020年12月31日 | Weblog
今年もあとわずかになったけれども、この1年を振り返ると、なんといってもコロナウイルスにつきるだろう。
日常的にマスクをつけるようになってすでに10ヶ月以上になろうとしている。しかし、コロナウイルスに対する恐怖心は世間ではいまだに消えていないようだ。というよりももっとひどくなりつつある感もある。
ワクチンも開発されつつあるができたとしてももう遅いのではないだろうか。人々は次に現れるかもしれないウイルスにおびえ続けなければならない。そしてそのウイルスを克服してもまた次のウイルスの出現におびえ続けることになる。
それが「新しい生活様式」というのならなんだか哀れで滑稽に見えてしまう。道を歩く人が全員マスクをつけているなどという光景はどうも変だ。人類があと十数回世代交代すると、口の両側から皮膚のひだみたいなものが飛び出してきて鼻と口を覆い隠すような進化が起こるのではないかと考えてしまう。それとも遺伝子操作で希望があればそんなひだを作ってあげますよとなるのかもしれない。その時は、ユ○クロのひだは安いけど、ル○・ヴィ○ンのひだはむちゃくちゃ値段が高いというふうになるのだろうか・・。

そういいながら、僕は世界中でもおそらくまれなコロナウイルスに助けられた人間といえるだろう。
3月にこの職場に来て事実上格下げ。その上に屈辱的なコンビニ店員をやらされていた時、くしくもコロナウイルスの恐怖が日本中に蔓延しはじめた。
コンビニも営業時間を短縮し人手が余ったというので元の職場に戻されることになったのだが、もともとそのコンビニでも人が余っていて、どうしてそんな中に応援として放り込まれるのか、やはり制裁か見せしめにしか思えなかった。それがとりあえず釣りに行く服装をせずに通勤できるようになったのだからやはりコロナウイルスに救われたと言っていいだろう。(コンビニでは釣りに行く服装そのままで働いていた。)
そして、マスクはその落胆した表情を隠すにはもってこいだ。ドリカムの名曲に、「眼鏡越しの空」という歌があって、主人公は失恋した悲しい表情を眼鏡で覆い隠そうとするのだが、僕はマスクで覆い隠すのだ。これもコロナウイルスに救われたと言えるだろう。
もうひとつ、休日が増えた。最初の1か月半ほどは週休4日だったものだから釣りにもよく行ったし山菜取りにもよく行った。大きな台風も来なかったのも釣行回数が増えた要因だ。それが落ち込んだ僕の心に少しだけ小さな灯りを灯してくれたくれたことは確かだ。魚釣りは僕にとっては神聖なものであってストレスを解消する手立てでは決してなかったはずなのであるが、悲しいかな、そんな手段に堕ちてしまった。普通は何もかも嫌になって家に引きこもってしまうのかもしれないが、幸か不幸か僕にはそんな繊細な部分は存在しないのかもしれない。
師のなつかしいドキュメントを見ていると、師も、「仕掛けを下してアタリを待っている間は、日常の嫌なことやあれこれがいつも頭の中を行ったり来たりしている。しかし、いざ、魚がヒットした瞬間にそれらのすべてが消え去ってしまうのだ。」と言っていた。「釣り師は心に傷があるから釣りに行く。しかし、彼はそれを知らないでいる。」と言うが師でさえも魚が釣れる瞬間まで悩み続けていたのだから僕みたいな人間があれこれ悩み考え込んでしまうのは仕方のないことなのかもしれない。

しかし、魚の方はというと、行けば行くほどボウズが積み重なり、これについてはコロナウイルスは救ってはくれなかった。

数えてみると、今年はなんと70回以上も釣行をしてしまった。ついでだが、読んだ本の数も100冊に達してしまった。しかし、ほとんど頭の中には残っているものがない。釣りも読書もだが、乱釣、乱読はよくない、もっと腰を落ち着け、気持ちを落ち着けて臨むというのを来年の課題にしたい。
ちなみにボウズは21回、3回に1回はボウズであった。


年初から振り返っていくと・・。
この頃は、「正しく恐れろ」なんていう感じで、中国で流行っているだけだから対岸の火事くらいにしか思っていなかった。会社も釣りも普通に行っていた。しかし、加太での釣果は大したことがなく、コウイカは年が明けてアタリがぱったりなくなってしまった。

3月に入り、人事異動があり、このブログも泣き言と不満ばかりが増え、それに伴って釣果はますます下り坂になってきた。



ワカメも暖冬の影響か、まったく採れなかった。



この時期にコンビニ店員の仕事をやらされていた。



もう、何もやる気が起こらないとはいえ、釣りには相変わらず行っていたけれども、さすがに気持ちが入らず釣果もさらにボロボロになった。

緊急事態宣言が出され、そのあおり(恩恵?)を受けて4月の中旬からやたらと休日が増えた。通常の休日に加え、「休業日」というものが設けられた。そして大阪の街からも電車からも人が消えた。ちょっと異常な光景だったが、もともと人の多いところが嫌いな僕にとってはなんとも快適な空間に思えた。



包丁もいっぱい砥いだ。



休みが多くなると必然的に釣行回数が多くなる。海の上は密とは無関係だ。ただ釣果は相変わらず厳しく、救いは田辺で久々に年なしを釣ったことだろうか。



「新しい生活様式」という言葉が生まれたころ、生石山からも人が消え、ゆっくり山菜採りを楽しめた。

 

ここも、3密とは限りなく無縁だと思うのだがそこまで警戒する必要が本当にあったのだろうかと今にしても思う。また来年も怪しいウイルスが流行してくれたら生石山を独占できるのにと思うのはきっと不謹慎なんだろうな・・。

チョクリの季節になり少し息を吹き返した。

 

しかし、それもつかの間、サバの釣果は長く続かず、同時期に始まる初島も、あたらしい飲ませ釣りのロッドを買ったもののそのロッドではとうとう魚を釣り上げることができなかった。



例年必ず釣っていたホウボウも今年はゼロだった。
ついでに紀ノ川河口のスズキもまったく釣れず、期待のタチウオも大したことがなく夏が終わった。




キスもサッパリだった。



「わかやま〇しぇ」がオープンしたのはこの頃。



ここでもらった謎の調味料たちはまだ半分も消化できていない・・。



とくにタチウオは、行くたびに貧果で、釣れていると聞いてはせ参じるとその時の活況はすでに終わっていたといういたちごっこばかりを繰り返していた。加太の沖のタチウオも同じだ。今年はきっと不調なのだと完全に行く気を失くしたらそれから盛況になったようだ。

そして秋の遠足は2年連続してほぼボウズ。なんとかボラを釣りたいのだが全然ダメだ。来年もう1回、挑戦してみたと考えている。



冬になり、加太の海は青物が少し釣れたけれども、真鯛はそれほど大した釣果はなかった。釣り人が増えたので真鯛が減ったというのを聞くけれどもそれは本当だろうか。SNSのメンバーさんたちはアジやサバを大量に釣っているが、真似をしてもいっこうに釣果が上がらない。そこそこ釣れたのはただの1回だけだ。
その中にあって、カワハギの釣果が上がったのはうれしいことだ。去年のシーズン終わりにNさんから釣り方を教えてもらい1年越しでの挑戦であったが、確かに釣れる。今までの苦戦はいったい何だったんだろうというほどの破壊的な釣法だ。これまで使っていた胴突き仕掛けが完全に無力化されてしまった。今年は肝和えをたらふく食べることができたのだ。



そしてもうひとつ、禁断の仕掛けにも幾度となく助けられた。数年前にTさんから教えてもらったのだが、もともと同じ港のイトウさんが引退するときにもらって持ってはいたし、祖父が残したであろう仕掛けも持っていた。昔からある伝統的な釣法だ。しかし、どうしてもこの仕掛けで魚が釣れるとは思えず使ったことがなかったのを身近な人が使っていると聞くと、俄然信ぴょう性が高まる。それ以来、本命の釣りを始める前に少しやってみたり、なぶらを見つけたら急遽やってみたりでその日の釣果はそれだけということもあった。
もちろん伝統的な釣法だから釣れるのは確かのはずだが、先入観はよくないとあらためて思うのだ。

 



釣りの振り返りはこのくらいで、修理や手作りの部分ではうれしいことがあった。
磯釣り用に使っているふたつのリールが両方ともローターのロックが効かなくなってしまっていたのを直すことができたのだ。もう、数年間ロックが効いたり効かなかったりする状態で使っていたが、春の年なしを釣った時にこれではだめだとそれからずっと考えていた。しかし、新しく買い替えるのは磯釣り引退までの残りの釣行回数を案が得るとまことにもったいない。
ネットで調べてみると不調の解消方法が書かれていた。単にロックの部分にオイルが回っているだけだとわかりそれを除去するとなんとなく直った感じがする。その勢いでレバーブレーキ付きのリールも見てみたがこっちはもっと重症でバネひとつ折れていた。それもなんとか直すことができて両方とも自力で直すことができたことで来年の楽しみがひとつふたつ増えたのである。
UVレジンの活躍も発見だ。100均にも売っている紫外線で硬化する樹脂なのだが、これは便利だ。試しに、タチウオを釣るテンヤに夜光パウダーを混ぜて塗ってみたのだが、今シーズンの使用には十分耐えてくれた。紫外線を当てると一瞬で硬化するので乾燥させる時間がいらないというのが楽だ。壊れたガイドの補修に使ってみたが、見た目はきちんと直っている。
リールの修理もUVレジンもどれくらいの耐久性があるのかはこれからの検証が必要だが、とにかく自分でできたということはうれしい。

 

 

小船の船底塗装のために復活させたウインチもいい使い心地だった。これもうれしい。

 


思えば嫌なことばかりの1年であったが、よく考えれば、今の職場というのは定時に出勤して定時に帰ることができ、休日も100%消化できる。そういう意味ではこのご時世、恵まれているのかもしれない。自分がどんどんアホになっていくのを実感しなければならないが・・・。
評価はどんなことをしても上がることがないということもよくわかったので上からの指示を適当にうっちゃることができれば1日が過ぎてゆく。お金をもらうためだと割り切ればそれでいいのかもしれない。いまさら自己実現ということもないだろう。実現したいこともない。
この会社にも65歳までの再雇用制度があるけれども、定年延長に応じたとしてここで継続して働かねばならないのならそこはもう耐えられない。お前は考えが甘いというのが世間一般の意見であろうが、人生の残り時間がどんどん少なくなってきているのだから自分の中で不本意なことだと思うことを続けるの時間がもったいないと思う。再雇用の勤務先がコンビニだったという人にも出会ったが、その人は京都から大阪まで通勤していたけれども、そんな長距離を通勤するほどコンビニの店員の仕事は魅力的なのだろうかと理解できなかった。不安定な仕事でもいいから、自分の心の中で、“やってる感”のある仕事に巡り合いたい。
入社してからずっと、売れるものは何か、それをどうやったら買ってもらえるかということを考えてきた。もちろんそれがことごく失敗に終わったのでこんな職場に流されてきているのだが、ここはどんなことを考えているかというと、「5000エンクライノハンバーグナラカッテクレルヒトガイルダロウ。デンワヲシテカッテモライナサイ。」というマーケティングの「マ」の字も存在しないようなことをしている。他人に押し付けられることが一番嫌いだと思っている僕が他人に押し付け販売をしている。(正確には“ふり”をしているだけだが・・)
押し売りだ。電話をする先の95%は75歳以上の人たちだから相手もこれはきっとオレオレ詐欺だと思っているのか、かなり警戒しているのが手に取るようにわかる。これはこれで滑稽で面白い。

だから最長であと3年。そこまで我慢できるかどうかはわからないが、いくところまでいってみようとみようと思うのだ。そういうぼくはパンと釣りのみに生きているということになるのだろう。

最後の休日は悪天候で停滞。松飾りだけを取りつけて帰宅した。

 

さて、今年もとわずか、例年通り、今年の潮時表と潮流表を処分して新しい年を迎えよう。

愚痴と貧果ばかりのこのブログを我慢強くご覧いただいた皆さまこの1年ありがとうございました。また来年も愚痴と貧果ばかりが続きますがなにとぞ、どうぞよろしくお願いいたします。
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