イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「魚の文化史」読了

2020年08月04日 | 2020読書
矢野憲一 「魚の文化史」読了

魚にまつわる生活、文化、風習に関する様々なことを書いた本である。著者は伊勢神宮に奉仕する人ということで特に三重県周辺の話題が多い。そして食習慣というものには一切触れられていない。あくまでも文化史だ。

日本は海の囲まれた国だから魚食文化が発達してきた。しかし、魚は鮮度を保つのが大変だ。だから、海岸周辺では普通に食べる魚も内陸部に行くと非常に貴重なものになってくる。だから日本の大半の地域では魚食に対するあこがれというものがあった。
今では魚が好きという日本人はどんどん少なくなっているのだろうけれども、どうだろう、おそらく戦前くらいまでは今日は尾頭付きだなどと魚を食べることがものすごく幸せだという時代が長く続いたのではないだろうか。
“なまぐさもの”とよばれた魚は祝い事や祭事に使われた。対して、葬式などの仏事にはそういうもの特殊な儀式を除いては使われなかったというのも海産物は貴重な食材でそれを食べることは非常な喜びにつながったということから来ているのだろうと思うのだ。

仏教の古い信仰に仏足石を拝むというものがあるけれども、その足の裏には2匹の魚が刻まれているそうだ。その理由はわからないけれども、2匹の魚というと、うお座もそうで西洋と東洋で同じモチーフが使われているということに著者は疑問と驚きを感じる。
その理由を考えるとき世界の最初の文明の発祥の地である古代バビロニア文明が関係しているのではないかと推察するのだが、これにかぎったことではなく、イザナナギの命とオルフェウスの話なども非常によく似ていることで有名だ。バビロニアから東西に同じ話が伝搬したというのはなんだか納得がいく。こういうことが最初の2章に書かれている。

ここまでは本当の歴史の部分だがそれ以降は歴史とはいえ、今につながっているものとして地方に伝わる習慣や神事、魚の種類ごとにそれぞれにまつわる記述が続く。
有名な山の神とオコゼのはなし。そのほかナマズと地震にまつわるはなしなどが続くのであるが、もっとも興味を引いたのはボラに関する話だ。このブログでは何度も書いてきたけれども、僕はボラに対しては並々ならぬ愛着を持っている。なにしろ、僕の魚釣りのルーツのひとつはボラ釣りなのである。
今では泥臭いということで釣り人たちにも人気はないけれども、三重県の伊勢志摩や熊野では正月の行事にボラが登場するそうだ。それも、重要な真魚箸神事というものに使われるそうだ。これは鯉を使って魚体を素手で触らずに魚を捌く神事としては有名だ。
日本ではかつて高級魚といえば鯉であった。内陸でも育てることができ、中国からはいってきた文化の中では滝を登り切って龍になるという縁起のいい魚であったからだ。そしてボラはその次に叙せられるほど貴重な魚であったので三重県の各地ではボラが使われたというのだ。真鯛がそういう地位を占めるようになったのは室町以降であったらしい。
それを読むとうれしいではないか。また、20年以上前だと思うが、「探偵ナイトスクープ」でも、おばあさんの思い出の味としてボラの炊き込みご飯を食べたいという調査依頼があったけれども、これも三重県ででのロケであった。僕はどうも三重県とは相性が悪く、シートベルトをしていなくて検問で捕まったり、釣りに行けば荷物を持って帰るのを忘れて渡船屋さんに着払いで送ってもらったり、もちろん釣りに行ってもボウズばかりであった。しかし、このボラに対するリスペクトを知ると相性が悪いと言っていられない。
くら寿司では、定置網にかかった魚を丸ごと買い上げてたとえ少ない漁獲の魚でも店頭に出す工夫をしているそうだが、テレビのレポートではボラをどうやって料理するかということを放送していた。
近海で大きな群れをなして泳いでくるボラは幾度となく沿岸の人々の飢えを救った魚だったのだろうと僕は想像している。アイヌの世界ではそれはサケであったのだろうが、それ以外の地域ではボラがその代わりをしていたのだと思う。ボラ見櫓といって大きな櫓を作って海上を常に監視して漁獲していたそうだし、典型的な出世魚であるということも人々のあいだに親しまれた証拠だろう。だから、今のボラの扱われ方と凋落ぶりには悲しいものがある。しかし、そうやってボラが少しずつ復権していってくれることはうれしいことだと思うのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする