イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「サバの文化誌」読了

2015年07月04日 | 読書
田村 勇 「サバの文化誌」読了

今年はサバがよく釣れるので、もっとサバの勉強をしようとこんな本を探してみた。
何年か前、よく行く古本屋で見かけたことがあったがけっこうな値段だったものだから買うのをやめたのだ。最近、ネットで探してみると1円の値段がついていた。これもサバの豊漁の賜物だろうか、それとも僕のサバへの愛が出会いをもたらしてくれたのだろうか。

文化誌というくらいだから、人々の生活とサバとのかかわりを綴っているわけだ。
お盆のころに刺し鯖というものを贈答品として使ったというのがお金やその他の物品に変わっていったということ。唯一仏前に供えることができる生臭物であること。などなど、遠い昔から日本人の生活になじんできたエピソードがちりばめられている。サバへの愛がますます深まるのだ。
サバ街道は若狭から京都というのが定番だが、その元祖は紀州や熊野から大和への道であったらしい。紀伊半島のほうがオリジナルだというのは郷土への愛もますます深まるのだ。
ついでに言うと、関サバより加太で釣れるサバのほうがはるかに美味しい。(はずだ・・・。関サバは食ったことがない・・・。)

漁法についてもいろいろ書かれているが、チョクリ釣りの記述がない。この言葉自体何を意味するかも知らないのだが、非常に局所的な漁法なのだろうか。それならそれで大切に守っていかなければならない貴重な文化なのかもしれない。


そして、サバの文化誌があるのなら、ボラの文化誌というのも誰か書いてはくれないだろうか。
ボラという魚も人が住んでいる海の近くで大量に獲ることができる魚だから貴重な蛋白源として存在していたのではないだろうか。カラスミはボラのタマゴだし「トドのつまり」や、「イナセ」などという言葉はボラが語源だ。そもそも出世魚だというのが人々の暮らしのそばにあったという証ではないだろうか。
ボラという魚は僕の魚釣りの原点のひとつだ。
小学生のころ、父親に連れられてボラの吸い込み釣りに行くのが楽しくて仕方がなかった。小さい子供の腕力にはあまりにも大きな獲物だった。そんなものを釣ってしまうと魚釣りが好きになってしまうのは当たり前だ。
昨今は“臭い魚”とレッテルを貼られてしまっているのが悔しくて仕方がない。
なんとか復権してもらえる方法はないものだろうか・・・。


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2 コメント

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Unknown (森に暮らすひまじん)
2015-07-07 18:31:54
 私は若狭に近い近江の生まれなので、小さいころから鯖には親近感があります。毎日のように、若狭から行商のおばさんが来ていました。わが家の食事は、焼き鯖やヘシコが多く、焼き鯖とそうめんの煮付けもごちそうでした。鯖の刺身はかなり大人になってから初めて食べました。関鯖も何度か食べましたが、加太の鯖が美味しいと言われれば、喉がゴクリです。ともかく、鯖はおいしいですね。
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Unknown (イレグイ号)
2015-07-07 20:21:12
森に暮らすひまじんさん、
いつもコメント、ありがとうございます。

近江はまさしく鯖街道の真っ只中ですね。
ヘシコというのは食べたことがありませんが、昔からの保存食の典型のようなものだったのでしょうね。

父親にチョクリ釣りに連れられ始めたころはアジのほうが美味しく感じられ、仕掛けをもつれさせられるサバはあまり歓迎しないのだと個人的には思ってきましたが、いつの頃からかサバが美味しく感じられマルアジばかりだと物足りなくなってしまいました。

これも歳を取って肉より魚のほうが好きになってしまったせいでしょうか・・・。
鯖の燻製の味を覚えてから、ますますサバが好きになってきた今日この頃です。
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