イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

山菜採り Ⅱ

2017年05月02日 | Weblog
山菜の旬は短い。
海も気になるが、この時期ははやり山だ。

去年からは母親の同行がなくなったので朝は早い時間に出発できる。(釣りに出る時間と同じくらいだ。)
早朝の高原は独り占めの世界だ。山の向こうから昇ってくる朝日はなんだか荘厳な雰囲気だ。



山の稜線も素晴らしい。



最近見た映画の登場人物の台詞に、
「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきたのだとしたら、何かになれなかったとしても生きている意味があるのよ。」
とあったが、確かにそうなのだと思える。生きる意味とはただ、季節の移ろいをしっかりこの胸に刻むことではないのか。今日の高原は北風が強く、その台詞がいっそう際立っていた。


前回はまだまだ小さかったコシアブラは十分食べられる大きさになっている。さらに今日はいつもお世話になっている森に暮らすひまじんさんの案内でたくさんのコシアブラを採ることができた。
今年もたっぷり味わえる。



つい、数年前までタラノメが最高の山菜だと思っていたのだが、それが限りなく揺らいでしまうのがこのコシアブラの味だ。
最近は競争が激しくて、案内してもらった場所もいつまで安泰か、それが不安である。そんな中、新しいタラノメの木を見つけた。しかし、ここまでの道のりは厳しい。ただ、来年は遭難覚悟でアプローチをしたくなるほどの良い群落だ。この状態を見ると、誰も盗ったことがない木に違いない。



この木を見つける手段は双眼鏡だ。最近新聞記事を賑わせている“共謀罪”だが、「ビールと弁当は花見だが、双眼鏡と地図は危ない。」らしい。僕のウエストポーチには地図は入っていないものの双眼鏡はもとより、ペンチ、ナイフ、仕事人なら確実に人を殺せるピックなどが常備されている。



はたして、山の中で職質されたとき、僕は逃げ切れることはできるのだろうか・・・。


一番たくさん採ることができるワラビは前回に比べてはるかに大きくなっている。



画像のワラビはちょっと貧弱だが、僕のお気に入りのポイントに行くと、軸が太くて赤みがかって柔らかいワラビがたくさん生えていた。前回に比べて大きさはゆうに3倍になっている。袋に溜まっていくワラビの量も3倍だ。その時は僕は標準仕様の3倍の能力を持つシャァアズナブルが操縦する赤いモビルスーツに乗っている気分になるのだが、ニュータイプではではなくてただの中年のおっさんであるわけで、鋭い勘は働かず、ヤマウドは苦戦。なんとか今日の夕飯のおかずにはなったというものの、やはり、ヤマウドは難しい。



そんなこんなで、今日もたくさんの山菜を手にすることができた。
春は待ってくれない。今年の春も過ぎ去ってゆく。しかし、この世、それも世間の汚さを感じないこの世を見る尊さと思うのは大げさすぎるのだろうか・・・。




コメント
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