中嶋憲 「遥かなる魚たちの呼び声」読了
"釣りの画文集"と書かれているだけに、著者は画家で、本文にもたくさんの絵画が出てくる。
アラスカに頻繁に行っていたらしく、半分以上はアラスカ、カナダなどでの体験談になっている。
ネットで調べて見てもあまり出てこない人なので、画家としては巨匠といえる人ではなかったのだろう。
画を見てみても、小さい頃、友達の家で、ちょっと大き目の家の玄関によくあるようなそんな感じの画だ。
著者も、釣りに溺れていなければもっと大成したかもしれないと書いているが、それはそれでこの人もこうは書いていながら満足だったのだろう。
レベルは違うが、僕も会社のことは忘れて魚釣りに溺れてみたいと思っているのだが、そこはいかんせん凡人の悲しさ、やはりそういうことが頭をよぎるとやっぱり釣りも面白くない。
釣りの鍛錬もそうだが、心の鍛錬も必要だ。
この本は献呈本らしく、著者のサインと贈った相手の名前が書かれている。
もらった人は伊藤周左ヱ門というらしい。ネットで調べて見ると新潟県の南の端のほうで山小屋を経営していたひとのようだ。アウトドアつながりでほぼ間違いはないだろう。
どうやってこの本が大阪にやってきたのかは知らないが、古本の世界も奇妙なものだ。
"釣りの画文集"と書かれているだけに、著者は画家で、本文にもたくさんの絵画が出てくる。
アラスカに頻繁に行っていたらしく、半分以上はアラスカ、カナダなどでの体験談になっている。
ネットで調べて見てもあまり出てこない人なので、画家としては巨匠といえる人ではなかったのだろう。
画を見てみても、小さい頃、友達の家で、ちょっと大き目の家の玄関によくあるようなそんな感じの画だ。
著者も、釣りに溺れていなければもっと大成したかもしれないと書いているが、それはそれでこの人もこうは書いていながら満足だったのだろう。
レベルは違うが、僕も会社のことは忘れて魚釣りに溺れてみたいと思っているのだが、そこはいかんせん凡人の悲しさ、やはりそういうことが頭をよぎるとやっぱり釣りも面白くない。
釣りの鍛錬もそうだが、心の鍛錬も必要だ。
この本は献呈本らしく、著者のサインと贈った相手の名前が書かれている。
もらった人は伊藤周左ヱ門というらしい。ネットで調べて見ると新潟県の南の端のほうで山小屋を経営していたひとのようだ。アウトドアつながりでほぼ間違いはないだろう。
どうやってこの本が大阪にやってきたのかは知らないが、古本の世界も奇妙なものだ。