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イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「巷の美食家」読了

2016年05月24日 | 2016読書
開高健 「巷の美食家」読了

以前に読んだ、「食の王様」と同じく、師の過去の文章をいくつか抜き出して編集したものだ。多分、つぎはぎの文章の印象がよくなかったので続編のようなこの本は買わないでいたのだと思う。ネットの古本で1円の値がついていなければ多分買わなかっただろう。

やはり原本でつながりをもって書かれているから一つ一つのエッセイが生き生きしてくるのだ。まして書かれた年代もまちまちで系統立てられていないようなので師の文章をよく知らない人にとっては筆致のちがいに戸惑うのではないだろうか。
谷沢永一や向井敏が監修しても物足りなさを感じるのだ、名もない一介の編集者がつまみ食いをしてもいいものができるはずがない。

しかし、ムムッとなってしまう部分がないわけではない。
山菜について書かれた部分だ。

~~物には、〝五味″などというコトバではいいつくせない、おびただしい味、その輝きと翳りがあるが、もし〝気品″ということになれば、それは〝ホロにがさ″ではないだろうか。これこそ〝気品ある″味といえないだろうか。ことに山菜のホロにがさである。それには〝峻烈″もあり、〝幽邃″もこめられているが、これはど舌と精神をひきしめ、洗い、浄化してくれる味はないのではないだろうか。~~

これは奥只見の銀山湖での経験として書かれたものだ。
どの本が原典かは思い出せないが多分、遠い昔に読んだことがあるはずだ、若い頃には山菜の〝ホロにがさ″なんてまったく何の美味しさも感じなかったはずで、この文章も記憶のなかを通り過ぎていったのだろうと思うが、今となってはなんともいとおし味だ。
歳を経なければわからない味。そんな味を思い描くことの1冊ではあった。

「方丈記―付現代語訳」読了

2016年05月21日 | 2016読書
鴨長明 簗瀬一雄/訳注 「方丈記―付現代語訳」読了

いやはや、僕と同じ思いの人が1000年近く前にも(前から?)いたとは・・・。
出世の道からはじき飛ばされ、裕福な人たちへの羨望と嫉妬。厄災を目の当たりにして感じる無常観・・・。しかし、それを吹っ切ったときに訪れる安らぎ。それでも割り切れない虚しさ。それを切々と綴っている。
同期はもとより、年下の上司に仕えなければならない虚しさ、大金持ちの顧客と比べる自分の生活。しかし、一方で自分なりに感じることができる四季のすばらしさ。長明もまったく同じことを方丈記で語っている。

長明は京都鴨神社の禰宜の一族で出世競争に負けて遁世出家し一丈四方の小さな庵を組んで後世を送った。そこで綴ったので方丈記。世の中の煩わしさから逃れて四季の移り変わりを愛でて生きてゆく。それはそれで清々しい生き方だが、やはり割り切れない思いはぬぐい去れない。ずっと矛盾を抱えて生きていた。そしてそんな心境をさりげなく誰かに知ってもらいたい、いつかどこかで知ってもらいたい。そんな気持ちでこの著作を残したのであろう。

長明は震災や大火事で生きることの虚しさみたいなものを感じ取ったようだが、僕にも自分の人生観を変えてしまった強烈な体験がある。今から20年ほど前、上司が突然亡くなったのだ。この人も釣り好きで、ずっと一緒に釣りに行っていた。特に田辺にはよく通った。この人の最後の釣行の時も一緒で、「今日はちょっと腰が痛くて・・・。」と言いながら1日を過ごして3日ほど後に入院し、そのまま彼岸へ行ってしまった。それまでは人の死というのはまったく別の世界の話で年寄りでなければ死ぬことはないと思っていたが、当たり前の話で、ひとは死ぬものでそれもいつ死ぬかわからないのだということを痛いほど思い知った。釣りとお酒が好きな人だったからもっと釣りをしてもっと呑みたかっただろう・・・。
そう思うと仕事で嫌なことがあったから釣りに行く気がしなくなったなんて言っていられないと思うようになった。とりあえず、今やりたいことは今やっておかなければ後悔すると思うことにしたのだ。残念ながら今やりたいことが仕事ではない。僕とても会社から給料をもらっている身だから、当然のことながら会社、ひいては社会に貢献しなければならないはずだが残念ながらそれをする能力がない。休日も返上で働く上司や同僚を横目に休日は休日と割り切っているのはいいのだがどこか後ろめたい気持ちでそんなことをやっている。
しかし、これからも後ろめたい気持ちを抱えながらも休みは休んで海や山に行く。幸いにしていままでリストラもされずにこの会社で生き残っていられた。あと数年もすると役職定年だ。自己啓発というのも手遅れで誰かがやってくれる仕事ならその人にやってもらえばいい。自分もできるようにならなければなんて思うこともまあ、いいだろう。幸いにしてどこの部署に流されても仕事のできる部下に恵まれている。(今のところは。)
あまりやる気がないのがバレると本当にまずいことになってしまっては困るのでこれからもずっと韜晦して生き続けるのだ。

そしてそんな愚痴にもならないことをずっとブログに書き続けている。書き続けいるということは、多分誰かに読んでもらいたい、しかし匿名で書いている以上、読まれたくない。いや、読んでもらいたい。ここにも矛盾を抱えている。
元々魚釣りの記録を残して次の年の参考にしようと始めたがだんだん愚痴と無能さの言い訳になってきた。
年々歳々人同じからず。僕のブログが変わっていくのも仕方がないということか・・・。

「今日もごちそうさまでした」読了

2016年05月08日 | 2016読書
角田光代 「今日もごちそうさまでした」読了

角田光代と言ってもこの人の本など読んだことがなかった。苗字を“かどた”ではなく“かくた”と読むのだというのを初めて知ったくらいだ。八日目の蝉と紙の月をドラマと映画で見たくらいで、多分僕が読むジャンルの作家ではないのは確かだが、食に関する本なので手に取ってみた。
著者は若いころかなりの好き嫌いがあって、30歳を前にして“食の革命”を起こし食べたことがなかったものを料理して食べるようになったという。そんな食材を春夏秋冬に章を分けて紹介している。

春の章、コシアブラが出てくる。ごま油で炒めて醤油と酒を回しかけて七味をふって出来上がりというレシピが出ている・・・。もう少し早くこの本を読んでおくべきだった。(しかし、こんな料理を作るためにはどれだけのコシアブラが必要になるのだろう?)
季節の食材。僕にも小さなころには大嫌いだったが今では好物になったものがいくつかある。その代表はナスだ。食べ物が黒いということと妙に柔らかすぎるあの食感はどうしても納得がいかなくて大嫌いだったが今では普通に食べている。むしろ夏には食べなければならない食材になった。そういえば、牡蠣もそんな食べ物だ。そのほかにももっと早く食べておけばよかったと思う食材は山ほどある。歳をとらなければわからない味というものは必ずあるのだと今になってわかるのだが、そうは言っても残りの人生のほうが少ないのは間違いのないことで、一体どうしてくれるのだ!と誰かわからない相手にかみつきたくなるのだ。

ただ、まだそんな食材に出会えているのはひょっとして幸せなことではないかともおも思える。自分でとってくる食材はどんなに金持ちでもそれは自分で動こうとする意志がなければ手に入らないもの。僕の友人にレクサスを乗り回しているやつがいるが、せっかく持って行ってやったサバは三枚におろすことができず、苦労して掘り出した持って行ってやった自然薯は煮て食ったらしい(自分で食べたいと言っておいてこのていたらくだ。)。普段どんな食生活をしているのかは知らないが、それに比べれば僕は今、多彩な食材を季節を感じながら食べているはずだ。貧乏人の歯ぎしりにも受け止められるが、それはそれでしあわせなことではないのかと思いたい。


著者は肉女らしい。とにかく肉が大好物らしい。僕より3歳年下だけなのだが、世間で活躍する人はスタミナを求め、肉を消化してエネルギーに変換できる人が世間で活躍できるとしたら、まったく食が細くなってしまった僕は失格だ。肉は好きだがお弁当に入っている牛肉の炒め物を食べるとそれから3時間は胃の中に残っているのがわかってしまう。やはり韜晦して生きるしかないというのが食の面でも納得してしまう1冊である。

「親鸞のこころ」読了

2016年05月08日 | 2016読書
梅原猛 「親鸞のこころ」読了

この本は前半が親鸞の本当の教えとはどんなものであったのか、後半は浄土経がたくさんの有名無名の僧侶たちにどのように解釈されて親鸞にたどりついたか、そしてそこから再びどのように広がったかという構成になっている。

浄土真宗といえば、悪人正機説に代表されるように、どんなひとでも阿弥陀如来にすがれば極楽往生に行けるというのが基本的な教えだと思われている。これは親鸞の弟子の唯円が書いた「歎異抄」が真宗の教えの中心になってしまっているからで、親鸞自身の重要な教えにはもうひとつ、還相回向というものがあった。極楽往生したひとはもう一度この世に生まれ変わって衆上を助けなければならないのだというものだ。
だれでも極楽往生できる(これを往相回向という。)かわりにうまれ変わって誰かを救う義務があるというのだ。

仏教の基本である輪廻を繰り返して菩薩の境地に近づいてゆくというものがちゃんと取り入れられていて、救ってもらうだけなんて、人生、そんなに甘くはないんだぞというところも押さえられているということだろうか。それともいずれはこの穢れた世界に戻らなければならいのだから、この穢れに慣れておくためにしっかり今を生きなさいとでも教えてくれているのだろうか・・。

今、世の中の役にたっているひとたち、社会のための貢献した人たちは僕よりももっと輪廻の回数が多いだけで、僕も輪廻を繰り返せば世の中の役に立てるひとになれるかもしれないと思えば、ある意味、今は楽をしていていいのだよと言ってくれているようでこれはこれでありがたい。
結局は阿弥陀様のお導きに従うまでというところだ。


日本の浄土教の最初は源信が著した「往生要集」である。死ぬときの心構えが大切だという。
それを受けた法然が戒律を守り道徳的な考えで生きてゆくことが往生するための唯一の方法だとし、そうは言っても煩悩や性欲は抑えきれないし、そんな気持ちで修行は続けられない。それならやりたい放題やってガス抜きしたほうがいいんじゃないか。というのが極論だが親鸞の考えのようだ。
どうやったらこの欲望を捨てられるかというので法隆寺の夢殿にこもっていると、救世観音が現れて、そんなにしたかったら私が女性に化けてさせてあげようと言ってくれたので何もかも吹っ切れたというのはかなり暴論というか、自分の都合のいいように考えているだけだのように思えるのだが、釈迦の教えである、「煩悩なんて捨てられるわけがないのだからそれを受け入れて生きてゆきなさい。」という教えにも通じたりしているのかもしれない。
ある意味、革命的な考えだったのではないだろうか。
日本で一番信者が多い仏教は浄土真宗だそうだが、親鸞が師匠の法然より人気があるのも、こんなより人間らしい考え方をもっていたからだと著者は語っている。しかし、その奥には再び蘇って人々のために生きるのだという厳しい教えを潜ませていた親鸞の本当の思いというのは、自分の思いのままに生きればいい、しかし絶対にやらねばならないこともあるのだという現在の行き過ぎたようにも思える自由競争社会への警鐘にも思えるのだ。


「空想科学文庫 空想科学読本Q」読了

2016年05月02日 | 2016読書
柳田理科雄 「空想科学文庫 空想科学読本Q」読了

毎度、毎度同じようなネタばかりだが、古本屋で安く出ているとついつい手に取ってしまう。
今回は書店のイベントで質問されたことをその場で答えようという企画を文庫化したということだ。一つの質問に割かれているページは3ページ。まあ、これでは検証をし切れないのは否めない。まあ、これはこれでいいのだろう。

このシリーズでは桁違いの数字がよく出てくる。温度が1兆度だとか、視力が60.0だとか、重力の52倍だとかマッハ15だとか・・・。
なんだかバカげたような数字だが、遠い将来、住めなくなった地球から人類が生きていく場所を宇宙へ求めるとき、こんな数値を操ることができなければならないのだから他人事ではないと思っていた。事実、“透視メガネ”は本当に作れるかという質問が出ていたが、昨日のテレビでピラミッドの中を透視する技術があるのだというのをやっていた。そんな技術も人間が生き延びるための手段の一つになるのだと思ったが、本当にそうなのだろうかと一方では思うこともある。

人間は何のために生き延びるのか、人間として生き延びる必要があるのか・・・。
以前に何冊か読んだ、遺伝情報だけが次の世代に伝えられればそれでいいのだ、生物はただの遺伝子の乗り物に過ぎないのだという考え方だ。
生身の人間が宇宙に出ていくのは難しいが、人工知能ならどうだろう。ロボットなら少なくとも空気や食べ物、温度の心配なんてしなくてもいいし、イデオロギーや宗教の問題もないのじゃないだろうか。
囲碁の名人がコンピューターに負けたというニュースもつい最近の話だが、人間は赤色巨星になった太陽に飲み込まれる地球と一緒に滅ぶのかというとき、人工知能だけ生き残る道を選ぶのではないだろうか。15年後には人工知能が人格を持つようになるというし・・・。
個人的な意見だが、そのためにも人類は原子力さえも自由自在に操れるようになるまで技術力を高めなければならないと思っていた。しかし、それはもう必要ないのかもしれない。それならもう、危ないものには手を出さない方がいいのではないだろうか。と、“のではないだろうか”ばかりが目立つ感想になってしまった。


「海人と天皇 -日本とは何か- 上下」読了

2016年05月01日 | 2016読書
梅原猛 「海人と天皇 -日本とは何か- 上下」読了

副題が「日本とは何か」となっているので、日本人の思想や精神の土壌となっているようなものを天皇制の推移をもとに論じているような本なのかと思って読み始めたが、中身はかなり違いある時期、天智天皇から桓武天皇の御世に起こった権力争いのなかでできあがった律令制度についての話であった。まあ、このときの出来上がった官僚機構の基本形が連綿と現在に引き継がれているとしたら、それはそれで確かに「日本とは何か」といえなくはないような気がするが・・・。

この時代、13代のうち、重祚した天皇を含めると5代が女帝であったという。この女帝たちの周りの取り巻きたちがいかに天皇の権力を骨抜きにし、官僚たちが政治をほしいままにしていったかという話が、この本の大部分を占めている。
その中心人物となったのが藤原不比等であるのだが、その養女として文武天皇に嫁いだのが宮子という女性であった。
伝記では今の御坊市あたりの出身で、海人(今でいう漁師)の出身であった。道成寺には「髪長姫」の伝説として伝わっている人だそうだが、不比等が宮子を天皇家に送り込んだことがきっかけとなり、下民の血を持つ出自のコンプレックスを抱え込んだ聖武天皇、孝謙天皇が利用されたのではないかという検証をそれぞれの天皇、皇后、縁戚、取り巻きの心理状態にせまって論じている。
著者はこの宮子姫の伝説を検証することによって藤原家をはじめとする官僚たちが意図したかたちで女帝を担ぎ上げそのなかで自分達、とくに藤原家に有利なように律令=官僚機構を作り上げたということを確信したという。
それでこの本のタイトルを「海人と天皇」として当初想定していたタイトルを副題にしたそうである。

宮子の子供は聖武天皇。東大寺を作ったのもそのコンプレックスからであり、その子供、孝謙天皇が道鏡に天皇の座を譲り渡そうとしたのも同じコンプレックスから。それを最大限利用したのが藤原氏だというのである。
同じように天皇たちに群がるライバルをことごとく蹴落として繁栄の礎を築いた藤原氏。敗れ去った貴族、豪族たち。
その話の流れが、論文を読んでいるというよりも小説を読んでいるかのごとくで面白い。
しかしながらたくさんの人物が登場し、また当時の文献をそのまま引用しているところが多くて半分も理解することができない。付録の系譜と本文を交互に見ながら読み進めるが、この系図自体も複雑で誰が誰の子供で誰が兄弟姉妹かがこんがらがってくる。僕の頭も悪いのは間違いがないが婚姻関係も複雑すぎる。それでも上っ面を読み飛ばしているだけでも人の心のドロドロしたところを覗き見ているようで面白い。


そして感じることがどうしてこんなに権力を欲しがるのか。僕の価値観ではそれがわからない。この権力争いもひとつの日本のかたちなのだろうが、僕には理解ができない。野心と能力のある人の世界と魚を釣らずにいられない人との世界はおのずとから違うものだ。なるべく接しないように毒されないように、うまくかわしてゆかねばなるまい。



上下巻で本編900ページ近くある長いものだったので、読んでいるあいだゆかりのある場所を少し歩いてみた。

まずは難波宮 この著作のすべての発端となった大化の改新が進められた場所である。
ここでも時の天皇、孝徳天皇は姉の皇極天皇、甥の中大兄皇子の裏切りに遭い、ここで悲嘆のうちに死んでしまった。



次に和気清麻呂にまつわるところ。清麻呂は道鏡に皇位を譲ろうとした孝謙天皇のたくらみを阻止した人。そのせいで一時は失脚したがその後光仁天皇の御代に復権し、大和川の水害を防ぐべく上町台地を貫いて大阪湾へ流す大工事を試みた。
工事は失敗に終わったらしいが、その名残が天王寺公園のそばにある。JR天王寺駅の北側、谷町筋にある以前から不思議に思っていた起伏のある坂道だ。



そしてその西側、茶臼山の古戦場跡にこれにつながる池が残っている。



最後に西大寺。ここは孝謙天皇の勅願により創建された寺だ。この本では、抑えきれないわが身の性欲への贖罪のために建設されたのではないかと書かれている。



その後衰退したこの寺を復興させたのが真言宗のなかでも戒律を重んじる真言律宗の叡尊という僧の手であったというのもこれまた因果なものだ。


かつてこんなことが繰り広げられた場所がこうやって残っているということが余計にこの本の物語をより本当だったのではないかと思わせてしまうのだ。

「プロヴァンスの贈りもの 」読了

2016年03月24日 | 2016読書
ピーター メイル 「プロヴァンスの贈りもの 」読了

以前に読んだ、「ほろ酔い文学辞典」に紹介されていたので読んでみた。著者は「プロヴァンスの12か月」という本で日本でも一躍有名になった人だ。
登場人物は全員性善説で生きているような人々。世間は住みよい場所だと決して思わずしかも仏教徒である僕には、キリスト教徒で全員善人だというような物語はどうもしっくりこない。
そんな物語だ。

しかしながら、こんな生き方をしてみたいと切に思いたくなる物語だ。

「旧約聖書を知っていますか 」読了

2016年03月17日 | 2016読書
阿刀田 高 「旧約聖書を知っていますか 」読了

とてもじゃないが本物を読むような実力がないので入門書の初歩の初歩のような本を読んでみた。
著者が旧約聖書のあらすじを優しく解説しながら進むエッセイだ。

読めもしないものを一体なにを好んで知ろうとしているのかというと、もうそろそろ先が見えてきてほぼこれからの生活に大きな変化がなくなってくると悟ってしまうと過去にさかのぼりたくなる。いったい人間はいままでどんなことを考えてきたのだろうということを知りたいと思うようになる。壇ノ浦に散った平知盛のように、「見るべき程の事をば見つ。」と言って死んでいきたいではないか。

創世記のアダムとイヴ、ノアの箱舟、アブラハムの家系の物語、その子孫のモーセ、もっと下ってダビデ、ソロモン。きっとどこかで聞いたことがある名前や物語だが、どんなつながりで進んでいくのかは意外と知らなかったりする。それを知りたいと思うのだ。
ダビデが戦った相手はゴリアテという巨人だそうだが、これなんか「天空の城 ラピュタ」に出てくる大型飛行戦闘機の名前だったりする。ついでに言うとかつてラピュタが滅ぼしたというエピソードで語られるソドムとゴモラという地名も旧約聖書に出てくる。ソドムの町の人々は男色趣味の人が多くてそれを怒った神様に滅ぼされたらしい。
ダビデに戻ると、ゴリアテと戦ったときに使った武器が石だったそうで、ミケランジェロのダビデ像もその時の物語に沿って右手に石を左手にそれを投げる投石機をもっている。左手に持っているのタオルではないのだ。

イスラエルという言葉はアブラハムの孫、ヤコブが神と戦って勝ったことにより、「イスラ・エル」と名乗りなさいと告げられた。意味は“神と戦って不屈なるもの”という意味を持っている。この人の子孫が今のイスラエルの国民。
モーセはその子孫だがどうしてエジプトからイスラエル(カナン)の地を目指すことになったか。
こんな話も知っているようで知らなかったりする。

古事記も似たような日本の建国の物語だが、どこの国でも同じような物語を作るようだ。日本は幸運にも滅びることはなく古事記もずっと読まれ続けた。しかし、イスラエルは一度滅びた。滅びた国の物語がどうして現代まで受け継がれたのか、しかもキリスト教もイスラム教も当然ユダヤ教もだが、この聖書を基礎にしている。やはりこれも聖書の奇跡なのだろうか。そう思うとやはりすごい書物なのだ。
そして、それを理解することがヨーロッパ、中東の国々を理解するためには必ず必要なことではないのかと思う。
また読み物としても面白そうだ。もちろん神とのかかわりがその根本だが、愛憎劇、色気、葛藤、様々な人間模様が織り込まれている。師は長い旅には必ず聖書を持っていったそうだ。多分、こんな人間模様がその魅力であったのだろう。
しかしながら、全39巻、韻語、詩歌、など普通の小説ではないそうで、凡人では何を書いているかよく理解できないものも多数あるそうだ。師だから読めるというところだろうが、「見るべき程の事をば見つ。」ために僕もそんな実力を身につけたいものだ。







「アドラー心理学入門」読了

2016年03月10日 | 2016読書
岸見一郎 「アドラー心理学入門」読了

アドラーという心理学者がいるということをたまたまネットで知り、同僚からもNHKで放送されていますよ。と聞き、この番組の解説で出ていたひとの著書を探してみた。

アドラーの心理学の特徴は、他者との関係を考えること、人間を分割できないひとつのものとしてとらえること(フロイトの心理学などでは心と体を分けて考えるらしい。)だ。
元は幼児期の教育をいかに充実させるか、問題を抱える子供たちをいかに正常な道に戻してゆくかということを課題に構築されたもので、それをたくさんの人たちが大人の抱える問題に応用して発展してきた心理学といえる。



アドラーは、人間の悩みはすべて人間関係の悩みだと言っいる。縦の人間関係は精神的な健康を損なう最も大きな要因であるとして横の人間関係の構築を提唱している。例えば、ほめる、ほめられる、これは縦の関係だ。縦の関係は競争を誘発する。それを劣等コンプレックスと表現しているが、これは上位に対して優越感を持ちたいというコンプレックスと対になって心を蝕む。
これは“普通でいられること。”そう、普通でいいのだと思える勇気をくじくものである。「普通であっていい。」=自己受容をできることが幸福を得るひとつの方法であるというのだ。しかし、“他者との関係”が前提としてある以上、普通であるためには他者との関係を安定させる必要がある。「他者を信頼すること。」=他者を敵と思わない。「他者に貢献すること。」=他の人のことを考えることができる。という二つのことも満たされていなければならない。

しかし普通であることに対しては責任が生じる。“普通”であるということはあくまでも自分の価値観。自分が意味づけした世界。その世界に生きるには結末も自分で受け入れなければならない。嫌われる、疎まれるということもその結末のひとつである。

自分の来し方を振り返ると、このとおりに生きてきたようなところもあるしそうでなかったように思うところもある。他者との関係を避け続けてきてしまったが自分が意味づけした世界はしっかり守り続けているのかもしれない。
しかしながら縦の模様がくっきりしている会社の中ではいつまでも居心地が悪かったのは確かなこと。この歳になってくると、できない社員の上司はほとんどが年下だ。アドラーは縦の関係ではなく横の対人関係を築けというもののそれはなかな難しい話だ。少なからず劣等感とコンプレックスは生まれてくるものだ。

それではこの本を読めばそれに折り合いをつけて幸福感を得られるのか。多分それは無理だ。この本を読んで感じることは、釈迦をはじめとする仏教の考えにあまりにも似ているということだ。例えば八苦、(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)これはアドラーのいう人間の悩みはすべて人間関係の悩みであるということと同じことを言っているような気がする。特に5番目から7番目はそのものだ。自分の意味づけした世界に生きるということは禅の考えにも通じるような気がする。人とのかかわりを大切にしなけばならないということは大乗仏教全般の考えに通じることであるように思える。

何千年も前からたくさんの人々がこの悩みを解決すべくいろいろなことを考え続け、今も考え続け、それでもどうしても完全に解決できる方法を考え出せずにいるわけだから人は永遠に安らかな幸せというものは得られないのだろう。どこかで妥協して折り合いをつけなければならない。そういうことだ。
ひとつだけ救いがあるとすれば、「私たちのことをよく思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また自分の方針に従っていきているということの証拠ですし、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。」という著者の言葉であるように思う。







「釣魚雑筆」読了

2016年03月03日 | 2016読書
S.T. アクサーコフ / 貝沼 一郎 訳 「釣魚雑筆」読了

著者はロシアではかなり有名な作家でゴーゴリーやツルゲーネフとも交流があった貴族らしい。
本書はロシア語で書かれた本格的な釣りに関する書物だということなので、さしずめロシア版“釣魚大全”というところだろうか。

170年前の釣り具、ロシアの魚の話が中心で、表現力というのは訳者の訳し方にもよるのだろうが、僕は師の文章を基準にしてしまっているからなのかもしれないがそれほど文学的ではないように思う。むしろ情景や情報を忠実に伝えようと努力しているようだ。それほど釣りには精通しているようでもないようだが、釣りをとおして見る自然への愛情は序の章にあふれ出ている。
この本の圧巻はこの章にあるようだ。
「自然の美に無関心な人はまずないが、ある人(これは大多数の都市に住む人たちを指しているのであろう。)たちはそれをただの書き割りを愛でるような感情しか持たない。・・・・・彼らは何にもわからないのだ!」と切り捨てている。また、「彼らは、わが身の毎日の変わりばえのない仕事のことを考え、家路へと、おのが汚い淀みの中へと、填っほくて息苦しい都会の空気の中へと、自宅のバルコニーやテラスへと、その貧弱な庭の腐った池の彼らにとっては馥郁たる匂いをかぎに、また昼の太陽に焼かれた舗道の夕べのほてりを吸うべく急ぐのだ……」と手厳しい追い打ちをかける。ここの部分だけは文体が違うかのようなので相当な憤りと嘆きを表現していようだ。
170年前、すでにこんなに疲れ切った人々がたくさん居たいうのもなんとも悲しい。ロシア革命へと続いてゆく階級社会の閉塞感がそうさせるのか、産業革命への道を歩みつつあるヨーロッパが自然を蝕んでいく過程で人と自然の隔たりが増していったのか。

時代は繰り返し今の時代も同じようなものだ。釣りを通して朝焼けの美しさを美しいと素直に感じることができるこの身がありがたい。会社の不毛な指示やわけのわからないプレッシャー、やりがいのなさ、これは自分のモチベーションの低さが原因でもあるのだが、その低さと引き換えにこんな感受性を得られているのならそれはそれでいいのではないだろうか。特に貧弱な庭の腐った池の会社の社員にとってはこんな感受性が必要なのだ。


こんなことを愚痴っていても仕方がない。
せっかく釣りに関する本を読んだのだから当時の釣り具事情を抜粋しておこう。
竹が生育しないロシアでは胡桃や白樺の枝で竿を作っていたらしい。ロシア産の芦を繋いで穂先にクジラのひげを使った竿もあったらしい。170年前というと日本では漆を塗った工芸品のような和竿が普通に作られていた時代だからこんなものを当時のロシア人が見たら目を剥いてしまうだろう。サイズは大、中、小といたってシンプル。
糸は馬の毛やインド産の植物繊維というのでこれは当時の日本と変わらないようだが、輸入されたものは高価であると書いてあることろをみると本テグスなんかは国産では作れなかったのだろう。
オモリは銃弾や散弾を使っていたらしい。鉤についてはあまり触れられていない。当時の鉤とはどんなものだったのだろう。

どちらにしても自分で作れるものは作り、利用できるものは利用するというのが貴族であってもそれが普通だったようだ。そしてシンプルで種類も少ない。今のように専用タックルなんてものはほとんどなかったのだ。
“知ることの苦しみ”という言葉があるが、仕掛けが増えるたびにあれこれ迷ってしまう。最近、僕は釣具屋に行っても何を買っていいのかがわからないのだ。そして行き詰るところ、釣れる時というのはシンプル極まりない仕掛けが一番というのは今でも昔でも変わらないようだ。


僕もこの時代に倣っているわけではないが、作れるものは自分で作りたい主義だ。
今も新しい竿を作っている。同僚と釣りに行くために作り始めた竿であるが、残念ながらそれには間に合わなかった。まあ、いつかそんなチャンスもめぐってくるかもしれないのでゆっくり仕上げてゆきたいと思うのだ。