イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「アドラー心理学入門」読了

2016年03月10日 | 2016読書
岸見一郎 「アドラー心理学入門」読了

アドラーという心理学者がいるということをたまたまネットで知り、同僚からもNHKで放送されていますよ。と聞き、この番組の解説で出ていたひとの著書を探してみた。

アドラーの心理学の特徴は、他者との関係を考えること、人間を分割できないひとつのものとしてとらえること(フロイトの心理学などでは心と体を分けて考えるらしい。)だ。
元は幼児期の教育をいかに充実させるか、問題を抱える子供たちをいかに正常な道に戻してゆくかということを課題に構築されたもので、それをたくさんの人たちが大人の抱える問題に応用して発展してきた心理学といえる。



アドラーは、人間の悩みはすべて人間関係の悩みだと言っいる。縦の人間関係は精神的な健康を損なう最も大きな要因であるとして横の人間関係の構築を提唱している。例えば、ほめる、ほめられる、これは縦の関係だ。縦の関係は競争を誘発する。それを劣等コンプレックスと表現しているが、これは上位に対して優越感を持ちたいというコンプレックスと対になって心を蝕む。
これは“普通でいられること。”そう、普通でいいのだと思える勇気をくじくものである。「普通であっていい。」=自己受容をできることが幸福を得るひとつの方法であるというのだ。しかし、“他者との関係”が前提としてある以上、普通であるためには他者との関係を安定させる必要がある。「他者を信頼すること。」=他者を敵と思わない。「他者に貢献すること。」=他の人のことを考えることができる。という二つのことも満たされていなければならない。

しかし普通であることに対しては責任が生じる。“普通”であるということはあくまでも自分の価値観。自分が意味づけした世界。その世界に生きるには結末も自分で受け入れなければならない。嫌われる、疎まれるということもその結末のひとつである。

自分の来し方を振り返ると、このとおりに生きてきたようなところもあるしそうでなかったように思うところもある。他者との関係を避け続けてきてしまったが自分が意味づけした世界はしっかり守り続けているのかもしれない。
しかしながら縦の模様がくっきりしている会社の中ではいつまでも居心地が悪かったのは確かなこと。この歳になってくると、できない社員の上司はほとんどが年下だ。アドラーは縦の関係ではなく横の対人関係を築けというもののそれはなかな難しい話だ。少なからず劣等感とコンプレックスは生まれてくるものだ。

それではこの本を読めばそれに折り合いをつけて幸福感を得られるのか。多分それは無理だ。この本を読んで感じることは、釈迦をはじめとする仏教の考えにあまりにも似ているということだ。例えば八苦、(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)これはアドラーのいう人間の悩みはすべて人間関係の悩みであるということと同じことを言っているような気がする。特に5番目から7番目はそのものだ。自分の意味づけした世界に生きるということは禅の考えにも通じるような気がする。人とのかかわりを大切にしなけばならないということは大乗仏教全般の考えに通じることであるように思える。

何千年も前からたくさんの人々がこの悩みを解決すべくいろいろなことを考え続け、今も考え続け、それでもどうしても完全に解決できる方法を考え出せずにいるわけだから人は永遠に安らかな幸せというものは得られないのだろう。どこかで妥協して折り合いをつけなければならない。そういうことだ。
ひとつだけ救いがあるとすれば、「私たちのことをよく思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また自分の方針に従っていきているということの証拠ですし、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。」という著者の言葉であるように思う。






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