気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あるヨギの自叙伝より(10)観念界

2020-07-10 05:22:53 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

観念というと、人の考えや思い等というイメージがあるが、ここで言われる「観念界」とは、「想像と創造」の一致する世界ということも言えるだろう。

観念:観察すること、 念:想念のこと
・・・・「観察」することはすなわち神の「想起」であり、それはそれ自体の客観化・宇宙の創造ということになる。
実は人間も、あなたや私たちもそれを行っているのである。
人生とは・・自らの想いを形に表している・・そのプロセスなのである。

なぜ、あなたは自分の信じている事柄を・・自分自身で、より良き想いに入れ替えないのか?・・いつまで、この次元世界の何かに、誰かに・・期待しているのか? 期待は=期を待つ・こと、永遠に期待のままであることを示す。

なぜ、いま・・それをやらないのか?

この世的な作り物、
余計な想い、暗い・重たい想念形はもう十分ではないか?

意識の技術的に言えば・・できうる限り・・真摯な姿勢において、
そして現生の計算や成果・評価などを常に”注意深く”省きつつ、
そのときの、あなたにとって最良のイメージを想念として、
・・ただただ・・感謝とともに、素直に保持すること。


そして今在る生を・・真面目・・というのは社会規範とは全く関係なく、
内面にある直覚・直感をもとに・・と言う事であるが・・、
与えられた生を、
あるがまま、真面目に、素直に生き切ることだろう。

そう・・もう観念するべき時ということだ。(笑)

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「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 より p438

 

彼らの繊細な感受性は、もはや肉体の感覚的喜びや、幽界人の楽しみを、粗野で重苦しいものとしか感じない。彼らはどんな欲望も、即座に果たしてしまう。観念体という霊妙なベールだけで身を包んでいる彼らは、創造主と同じように、いろいろな宇宙を創り出すこともできる。


宇宙の万物は、いわば巨大な夢の敷布でつくられているので、この薄衣をまとった魂は、宏大な宇宙の実現力を身に着けているのだ。

魂は本来、姿や形をもたないものであって、身にまとう衣すなわちからだを持つことによってのみ識別できる。しかし、一つでもからだをもっているということは、また、満たされぬ欲望があることを意味している。

人間の魂は、一つか、二つか、あるいは三つのからだという容器に入れられて、無知と欲望の栓で密封されているかぎり、宇宙霊の大海のなかに溶け込むことはできない。肉体といういちばん外側の鈍重な容器が、死というハンマーによって破壊されても、幽体と観念体という二つの容器はまだ依然として残っていて、魂と、偏在の生命の海との間を隔てている。

しかし、英知によって完全な無欲の境地に達すると、これら二つの容器をも打ちくだくことができるようになる。こうして、個々の小さな人間の魂は、ついに束縛の殻から抜け出して無限なるものと一つになり、完全なる自由(解脱)を達成するのだ。」

私は先生に、神秘的な高い観念界について、もっと説明してくれるように懇願した。