気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あるヨギの自叙伝より(5)半霊・半物質

2020-07-01 09:56:11 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

いつの時代であっても、聖者・覚者たちの言葉を真剣に吟味することは、千金の価値があると考えられるため、このような紹介と抜粋、勝手ながらの注釈を行っている。

昨今、世界に氾濫する欲望やフェイク・嘘のニュースや宣伝などを真剣に追いかけている場合ではないこともその理由ではある。

さらに言えば・・実のところ、地球がこれからどのように変わるのかという宇宙的な法則や具体的方向性の話でもある。

日月神事示では、「半霊半物質」の世界になると予言されているが、そのより具体的な説明と考えてよいだろう。

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「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 p432

地上界は戦争と殺戮で、海も陸も空も暗黒に閉ざされているが、幽界は、調和と平等の幸福を楽しんでいる。幽界の生き物は、自分の姿を意のままに解体したり、つくり替えたりすることができる(注釈1)

幽界の生き物はすべて、いかなる形態をも自由にとることができ、また容易に語り合うことができる。彼らを拘束する比重な自然法則というものはない。つまり、どんな木にも、思いどおりの果実や花をつけさせることができ(注釈2)、また実際、花や果実に限らず何でも生(な)らせることができる。カルマによる一定の制約はあるが、どんな生き物にも自分の姿形を自由に選ぶ権利がある。誘拐の万物は、活力にあふれる神の創造の光で出来ているのだ。

(注釈1)姿かたちの作り替え

この世界でも、衣装や化粧そのた装身具などによって、見た目の姿形を変えることができるがそれには限度があり、さらにまた肉体そのものを変化させることは極めて限られている。しかしながら、物質主体ではなく、高次の想いや想念が主体の世界であれば、かなり容易に姿かたちも作り替えられるはずである。自己自身が設計者・創造者である世界ならば、逆に当たり前といえよう。既に、わたし達は偶然生まれて死んだら終わりの肉体人間ではなく、創造者であることを知っているはずである。

(注釈2)植物の数々の品種改良をしたルーサー・バーバンク(1849〜1926 アメリカ)は、遺伝子組換えがない時代に、様々な交配をしながら、愛の思念や語りかけによって、一般に突然変異とされる新しい品種を創り出したと言われている。

ここには、女から生まれる者は居ない。 幽界に生まれる者は、宇宙意思の力を借りて、精妙な幽質の波動を凝縮し、自分の性質に応じた幽体をつくる(注釈3)  地上で死んだ人間は、同じような精神的および霊的傾向をもつ幽界の家族のもとへ招き寄せられて、そこに生まれる(注釈4)のだ。

(注釈3)身体創造
3次元的世界(地球レベル)では男女の肉体交合(性行為)によって母親の胎内で赤子の肉体が発生・生育するわけだが、幽界(高次世界)では、宇宙意思(意識)による波動凝縮・形成によって自らのその世界での身体(幽体)をつくる。いづれにしても肉体も宇宙の微細素子・素粒子レベルで造られているわけだが、幽界(高次世界)では自由度が高く、魂の意思・意図が直接身体形成に関与すると理解できる。

(注釈4)生まれる先
魂は、どっかに偶然飛ばされて生まれる・・わけではなく、同じような精神的・霊的傾向をもつ”家族のもとに”引き寄せられて生まれる。波動共鳴・類は友を呼ぶという親和の法則。そして幽界で生まれるとは、無意識の赤ん坊から時間かけて意識が目覚めるのではなく、注釈3)のように直接、その精神的・霊的ファミリーの元へ出現するということになる。

繰り返しになるが、わたしたちの本質・主体は・・肉体でなく魂・意識であるからだ。

 

幽体は、温度その他の自然条件の影響を受けることはない。人体の幽体構造の根幹は、千枚の花びらをもつ光の蓮の花にたとえられる幽体の脳と、スシュムナと呼ばれる幽体脊髄に並ぶ六つの目覚めた中枢(注釈5)。幽体の心臓は、幽体の脳から光と宇宙エネルギーを導入し、それを幽体の神経や細胞(ライフトロン)の力や聖なるマントラの振動(注釈6によって自分の姿形に変化を加えることができる。

 

(注釈5)1つの脳と6つの中枢
3次元レベル認識では、十分に認識されていないエネルギーセンター(チャクラ)が中心となっている身体構造。スピリチュアルでいう光のボディー・ライトボディなどの具体的構造のことであると考えられる。

(注釈6)神経や細胞(ライフトロン)の力や聖なるマントラ
その世界の物理的(エネルギー)力と、マントラ(思念波動の集中行為)によって、自分の姿形を直接変化させるということだ。実は地球3次元レベルでも同様であり、例えば成型手術や身体鍛錬、こころの訓練や維持によって身体を多少とも作り替えているのである。

 

幽界人がまとっている幽体は、ほとんどの場合、前世において肉体の内側にまとっていた原型と同じ姿をしている。幽界人の顔つきやからだつきは。前世の地上における青年時代のそれとよく似ている。もっとも、ときにはわたしのように、年をとってからの姿を好んでとる者もいるがね」先生は若さそのもののように、愉快そうに笑われた。

 

「五つの限られた感覚のみで認識される三次元空間の物質界と違って、幽界は、総合的な第六感すなわち直覚によって認識される(注釈7)世界だ」先生はつづけられた。「幽界人はみな、直覚だけで見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、さわったりしている。彼らは三つの目を持っており、そのうち二つは半ば閉じている。第三の目は、ひたいの中央に垂直方向についていて、開いており、これが最も主要な目だ。幽界人は、目、耳、鼻、舌、皮膚の外面的な感覚器官をみなもっているが、からだのいかなる部分から入ってくる感覚情報も、すべて直覚によって経験している。彼らは、耳や鼻や皮膚で見ることができるし、また、目や舌で聞いたり、耳や皮膚で味わったりすることもできる(注釈8)

(注釈7)直覚認識 

五感がバラバラに機能しているわけではなく統合されているということ。言葉や行為の外側表現によらず、想いや真相を直接内面で知ることであって、直感認識・テレパシー等が主流となる認識形態。そうした場合、見た目の良さや、心地よい言葉に騙されることはないため、詐欺や搾取や争い事などが、逆に難しい世界である。

(注釈8)五感が統合・調和されている
例えば手の指先(皮膚)で、本の文字を視覚的に読んだりする人の実例が
存在する。これは指先の細胞が、受けた信号を、なんらかの形で脳の視覚中枢に伝達するものと考えられる。もちろんこういう超能力的現象の話は一般には都市伝説とされている。