気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あるヨギの自叙伝より(16)三つの次元体

2020-07-22 05:26:12 | あるヨギの自叙伝 抜粋解説

われわれの生まれて死ぬまでの間の、毎日の生活とはどういうことなのか、多次元的な側面から解説されている件(くだり)である。

「三界は唯心の諸現」という言葉があるが、我々はその三界の顕現体そのものであると言えよう。

いわば、肉体・マインド・魂・・、あるいはここで表現されている肉体・幽体・観念体の複合体である。別の表現では、多次元エネルギー体とも言えようか。

これらは、何か自分とは違うSF的、宗教的な話等ではなく、これがより現実的いえる話なのだ。

 

「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著 p442

・・・

「人間の三つのからだが互いに関連しあっている証拠は、いろいろな面で人間の性質の三重性となって現れている」 先生はなおも続けられた。

「地上の人間は、目を覚ましているとき、その意識は多かれ少なかれ三つのからだ(注釈1)のうえにある。すなわち、視聴臭味触の感覚に集中しているときは、彼は主としてその肉体を通じて働いているし、想像したり計画したりしているときは、主に幽体を通して働いている。また観念体は、思索や、内観、瞑想に深く沈潜しているときに活動している。

 

(注釈1)からだというと「この五感肉体」のイメージだが、からだは固型肉体を含む多次元的エネルギー体とでも言えるもので、分かりやすく、肉体・精神・魂ともいわれる。五感で感じる肉体は自己表現体(多次元的エネルギー体)の一部であり、かつその肉体は具象化の最も先端部のかたち、長くは続かない粗い粗雑な”からだ”ということになる。

 

真のわたしとは何だろうか?・・それが問題(テーマ)だ。

 

 

天才といわれる人たちの宇宙的な構想は、自己の観念体とたえず接触している者に降来するのだ。この意味で人間は、官能的人間と、知能的人間と、霊感的人間(注釈2)に分離されるだろう。

(注釈2)官能人間とは肉体・五感感覚が主体の人ということであり、知能人間とは思考・論理などが中心の人、霊感的人間とは、新たな可能性、インスピレーション・発想・あるいはより高次の在り方にも意識が広がっている人と言えよう。

 

間は一日のうち、目を覚ましている十六時間は、自己意識が肉体にある。それから眠って夢を見ている間は、自己意識は幽体にあって(注釈3)、幽界人と同じように何でも自由につくり出すことができる。

(注釈3)常識では、私達は肉体であって、寝ている時はその肉体が夢を観ているだけのことと思っているが、意識は・・その時に夢の中で肉体を感じてはいない。意識が・・夢の世界中、現実という世界を行き来しているという事も出来る。地上の人間は肉体中心と言われるのは、我々が肉体そのものである・・と信じ込んでいるということである。
私達が肉体ではなく意識であり、・・意識・気付きの焦点は・・その時どこにあるか?・・で観なければわからない。

 

また夢を見ないほど十分に睡眠が深いときは、数時間意識の座を観念体に移すことができる。このような眠りには、心身の疲労を回復させる力がある。夢を見ているときは、意識は観念体ではなく、幽体にあり、このような睡眠には十分な回復力はない」

(注釈4)肉体中心の人間から見れば、深い眠りは・・何もしていない・・単なる眠りなど、単なる無意識にしか見えないだろう。しかしながら深い眠りがあればこそ、心は完全に安らぎ、肉体組織は改善され、新たな意欲やエネルギーが生じることに気付くはずだ。ちなみにマナ・マハルシによれば、地上の人間における深い眠りは・・「真我」の粗雑な状態であるという。我々から見て・・深い眠りには実に深い意味と可能性があるとわかるだろう。
真我・・それなくして、自由な夢も辛い現実も何もありはしないということだ。

 

 


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