それが起こったとき

 「『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。
 あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。」(ヨハネ14:28-29)

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 「わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る」。
 すなわちイエスは十字架に架かって死に、その死から復活しておいでになる。
 そして、「父のもとに行く」。
 実際、復活のイエスは弟子たちに姿を現された(ヨハネ20章)。

 このことは、「起こ」る。
 彼がイエスと同じ道程をたどって十字架に架かり復活し、そこで復活のイエスに出逢える、ということが、起こる。
 そのことを「あなたがたが信じるため」、イエスは「そのことの起こる前にあなたがたに話」された。

 イエスはそのことが起こるよう、「父のもと」で準備しておられる。
 だから私は、イエスが「父のもとに行くことを喜」んでいる。

 復活ということが、自分自身の「いのち」と何の関係もないと思っていたら、つまり、単なる生死や不老不死の類と思っていたら、それは実に勿体ない。
 そのこと、つまりイエスが予め話しておられたことは、起こる。
 それは、実際起こったときに、分かる。

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