コーティング

 「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」(ローマ13:13-14)

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 かなり前、柿の種にチョコレートがコーティングされたものを食べたことがある。
 妙なものを作るもんだ、そう思った。

 「主イエス・キリストを着なさい」。
 パウロにこのように書かれて、はいそうですかと着ることなどできない。
 だが「いのち」とはまさしく、キリストを着ているようなものだと思う。
 その人がキリストになるわけではない。中身はそのまんまだ。
 ただ、その中身に、キリストがコーティングされる。
 柿の種がピーナッツに全き変質を遂げるのではない。
 柿の種にチョコレートがコーティングされる、これと同じだ。

 アダムの肉が、コーティングされる。
 それが妙なものか、妙(たえ)なるものか、どうだろうか。

 検索ソフトで「着る」と調べ調べた結果をもとに聖書を開くと、偶然にもこの箇所は、アウグスティヌスがとどめを打たれた箇所だった。
 アウグスティヌスは、この箇所を読み、そしてコーティングされた。

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