リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

握り飯1個のための正義

2014-01-25 20:45:00 | その他
 こんばんは、お元気ですか? わたしは元気ではありません。どうでもいいですが。
 風邪やら花粉症やら、先週はキュウリを切り損ねて左手指をざっくりやったら、追いうちで、すっころんで左指肉をつぶしてしまいました。
 まあ、わたしゃ運がいいからぴんぴん生きてますけどね、剣道選択なので受身を習ってないので手のひらではなく甲肉(竹刀ではなくカバン持ってた)。左手ナシでまあ暮らしにくいったら。
 なに別に、来週は元気でしょう、といってもいいのですが、それ自体不遜ですね。いろんな(左手ない)人いるのに偉そうで。
 ともかく。いくつになっても人生なめちゃいけませんぜ。いつだって死んじまいます。短時間で死ぬのは、避ける理由もなく、警告の意味もないですけどね。
 
 で、本日の変った題は、フジテレビ新番組、「天誅」。仕置人シリーズの現代版のような。昨日ラーメン屋で日刊スポーツを見てたら予告で載ってたんで見まして。5分みて満足したから消したら(そんな冷たい所作なしに勉強なんてできゃしませんぜ)、家人が面白いじゃない、っていうから、結局1時間。
 小野ゆり子とかいうのが殺し屋で暗い俳優してまして、0型でしょうね、ああゆう暗いのは安心して見てられる、って変ですかね。
 
 それが殺し屋なんで殺そうとするときに、「(わたしは)正義ではない。わたしは握り飯1個のためにお前を殺す」っていうの。おお、正しい。
 
 サンデルとかの米帝下のプチブルが「正義」概念を弄ぶのは我慢ならないが、この日本人はよくできています。正義とは握り飯1個のために人を殺す人民の下にある。
 微妙に違うのは、わたしも脚本家も、「握り飯1個のために人を殺すのが正義」 といっているのではないことです。
 「握り飯1個のために人を殺さざるを得ない人民を裁ける正義は、本人とその仲間以外にはない」 といっているわけです。(もちろん殺し屋番組ですから、番組の公の趣旨は、大衆の正義実現なんでしょうけどね)
 
 なんで? と思われる15歳以下の若人さん、じゃあ自分で家出して、自分だけの力で衣食住をまっとうしようとしてみてください。
 その経験は、あなたを新しい救世主にするでしょう、心が捻じ曲がる前なら。 
 この辺、サンデルなどの他人事プチブルと違って、資本主義の魔の手に抗する日本の共同性の持続力は素晴らしいと思いますね。
 
 は、いいんだけど、また微妙に話は変って、お金に困った人と関わって30数年、中に自称左翼もいますが、左翼ったってありもしない資本主義上の正当性を振りかざしたりするんですな(こうゆう派閥は昔から変りませんが)。握り飯1個の立場を忘れて生きる左翼など、資本家以下だと思いませんか?
 
   あ、これは疑いもなく悪口ですから。 
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