リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

自分が変らず存在する

2014-01-18 21:29:04 | その他
 こんばんは。もうすぐ春ですね。うそですが。こんな寒さの中では、人間だれもが横になって寝られる社会が早く来て欲しいものだ、屋根の下で布団はなくとも横になって寝られることが自由以前の前提だ、リベラル以左はみながそう思って欲しいものだ、と思います。
 
 さて、冬で、いくら新政がヒオチのごまかし製造だからったって、冬です、日本酒を呑まずに過ごすわけにもいきません、前段落からすればブルジョワな話ですが。最後の手段は、一の蔵無鑑査。本醸造でいまいちですが、熱燗には本醸造がよし。
 しかし、一の蔵も味濃くなったよなあ、、、こんなのも流行ってもんなんだろうねえ、味濃いのばっかで。15年前はどっちかっていうとパンチのきかないブランドだったもの。
 わたしゃ、自分の舌に自信があるんだ。

 そんな味の変化、15年ぶりに食べた宮崎は地鶏焼肉。くっせえ。
 燻製かよ、燻製だけど。ひでえ。
 今まで他人に奨めてたのがすっかり裏切られた。ほんと、食い物は他人に奨めるもんじゃないねえ、奨めるときは「保証期間3ヶ月」とかいわないとねえ。
 いぶりがっこは変わんないんだろうねえ、、、「旨み麹漬け」だったりして、、、

 さて、本日はミュージックフェア。先週の若き中島みゆきに続きまして、若き佐田まさし。
 で、人間って、絶対、歳で人が変っていくんだなって。
 40年前、2人とも、命を背負って歌っていて。
 わたしどもも命を背負って生きていたさね。
 
 今はわたしなんか命ではなく人生は背負っているけどね。お二方もそんな誠実さに翳りはないけれども、
 しかし違う。わたしなんかも他人から見れば違うだろうしね。
 
 そんな青春、今の中年以下の人たちの中にはどう見ても発見できない、それだからいいとか悪いとかは言わないけれど、心の中では、自分にそんな過去があったことは矜持でもあり、かたや、生き長らえていることの負い目でもあるんだよね。
 生の喜びと原罪われにあり、てなもんでしょうか。
 
 それでも、心底は変っていない。お二方も変っていないと思うし。
 心底、って、他人との交わりのことじゃないんだよね。どうしたって他人との対応は変っていく。だから、歌だって変る、歌って他人とお話しようとするんだからね。
 しかし、他人がいなくなったときの自分は変っていない。40年前に悲鳴を歌ったときと、本人たちは変っていない。
 
 中島みゆき、佐田まさし。お二方とも、何十万人のファンはいても、そんな本生(ほんなま)の「自分」に話し掛けてくれる人間は何人もいないんだよね。
 変らないのは自分にとっての自分だけ。人と交わる変らない原点が青春であるのなら、青春のお友達は大切に。
 
    若い方への、将来語りでした。 
 
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