リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

知識の進展能力

2012-04-01 21:39:30 | その他
 こんばんは。

 4月1日。また異動です。どうも遊撃要員化しているな。わたしは異動は好きですが、年齢によりだんだんめんどくさくなってきました。
 そんなこんなで昨日が最後の勤務、今日は日曜休みの端境日、行き先が決まっていない朝はあまり気持ちよくないだろうな、と思うこの頃です。

 で、異動前最後の仕事のキメ。これがなかなか難題で。昔だったら3割の力でやったよなあ、今じゃフル活動というのも淋しい。ま、でもできるだけましか、みたいな感慨を覚えて。

 私の場合、問題の多くは記憶力と体力ですが、それはおきまして、本日は知識活動の一般論を。 
 だいたい、行動原理では欧米人間もライオンも同じ、というのが私の発想ですが、日本人と欧米人間はそうは違わないでしょうから、日本人もライオンも同じ、と仮定します。
 そうすると、脳の力なんてもんは
 認知→アナロジー→アナロジ-の個人的整理の適用→行為への適用
 しかないものですよ。
 まあ、その間に「記憶」というものが介在しますんで、中高年以上だとこれが大変。大変だけど、それだけのこと。
 「アナロジー」というのはライオンと一緒ですから大した能力ではない。これを十全に活用すると社会学でいうと東大名誉教授T永氏みたいなものができて。というのは馬鹿にしているのではなく、社会学者の7割は彼を尊敬しているのだろうから例に出したまでで。
 大変なのが「アナロジ-の個人的整理の適用」。社会学者でいうとY田東大名誉教授、って京大名誉教授の間違いじゃないのかねえ、どうでもいいけど。しかも元日本社会学会会長かよ、いならぶ社会学者、バカじゃねえの。なんて話ではなくて、それなりでも成果を出したことは大変なのですよ、一歩間違えるとバカだからねえ、って、間違えてるし。詳細はどこかに書いた覚えがありますので私の気持ちでは失礼ではありません。
 
 で、上記のように、私はY田氏のことを大変褒めているわけですが、ここでの話題は、どうすれば間違えてバカといわれようと、まずその第一歩として、アナロジーの個人的整理ができるのか、ということです。
 
3 不断の思考実験による現実適用
 これがないとただのバカです。
 一方、これがあるとどこが悪いのか誰にも発見されませんので、少なくとも、プレスチージュのある地位(=東大教授等)につけばすこやかな一生を終えられます。
 
1 その手前で、まず、アナロジーを活用する習慣が必要です。
 もちろん、番号ゼロで、「アナロジーの作成」というのがありえますが、まず98%の人間は神のお導きでその能力を持っているので、それは書きません。
 ただ、ほんとうに自分の力でそれを整理していくというのは、いわゆる優等生=人の指導をもらい続ける人間にできるものではない、ということです。自分で整理を続ける習慣が備わる環境があれば(たとえば自分の力でなんとか稲を実らし続けなければならないという環境があれば)、間違えなければ、平教授連からでなく神からも尊敬される。
 
2 でこれが本体。しかし人類の知識を本当に進展させていくものは、知識を行為に接続させる意志、これです。
 知識を行為に接続しようと思えば優秀なY田氏の頭脳は、ぐうたらな隈のケチ付けを受けることもなく、20世紀後半世界社会学のチャンピオンとなれたことでしょう。
 ライオンは、前に小鹿がいるのを見て(認知し)、過去の狩の成功事例を頭に描き(アナロジー)、中には特殊に自分なりの迷いを思ったりします(雷はならないかしら? 雷が鳴ってるときは小鹿は驚くから、驚くということ自体、こういう行動をとるはずなのよね、なぜかって? あたいがそうだからよ(どうも狩といえば雌ライオンのようで))(=アナロジーの個人的整理)
 さて、次。ライオンが人間に感心されるために必要なものは、ここで雷を落としてみる意志です。
 「いいわ、雷なんてすぐには鳴らないから、どうせじっと待ってりゃいつものようにあたいの目の前を通るし。」
 別にそれで悪くはありませんが、私の場合、それでは生きてきた甲斐がない。それだけのことですが。
 
 でも若い皆様にはシンプルに理解されたほうがよいです。
 人類にとって東大名誉教授に欠けているものは、『知識を行為に接続させる意志』です。


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