リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

再度、羽入

2013-05-25 21:20:12 | その他
 こんばんは。東京地方あいかわらず、時間を大事にしたい陽気の日々
 今日は「ストレスとか」って題にしようかと思ったところですが。いや、そんなのないんですが、調子が悪い。
 夕方から夜明けまで背中が痛いので検索すると、仕事適応障害の新型ウツとかでてきて、そうか、よしよしいまどきの病気だな、、、って私の場合ありえない。相変わらずよく寝てるんでこれ以上休養のしようもないし、単純に姿勢が悪いんだろうとは思いますが、もともと「世間つまらないぞ」の意思表示で下向いて歩く習慣が、よりつまらないのでより悪化する。
 おめえのヨタヨタがそんな意思表示だってはじめて知ったよ、って、過去気づいた人ゼロでしょうね、わたしいつも明るいし。って、なんのための「意思表示」か。
 
 で、(憂さ晴らしニュースコメント)
 「三浦さん下山、BCまではヘリ移動」
   そりゃ、彼の富士山登山は成功ならず、ってことだね。頂上踏めば成功だ、なんてありえない。
   
 「北警戒中に淫行 自衛官」
   「だから売春婦が必要だ、っていったろ」橋下。そのまんまだね。こいつはそういうことを主張してんだって気づかないのかねえ。

 なんてね、ただのグチ、いつも隈のホームページご覧の方には、「お前、書くとこ間違えてんじゃねえの」、みたいな応答のところでしょうか。
 前々回か、書きましたように、ここに来る方は私の友だちと心得てますんで(というか、面倒だからそうするぞ、という宣言で)、「こんなことがあったよ、同情でしょ」 みたいなニュアンスで書きつづけているところであります。(いや、実際は単に疲れてるだけ、(という注釈が友達用か))
 
 ま、ともかく、ストレスといえば、執筆仕事が思うに任せず、って、頭の原因じゃなくて、やる気ね。
 つまらないので、景気づけに、羽入辰郎著作を思い出して、これは面白いはず、と思って図書館から借りた本が、やけに知ってる内容のことばかり、もしやと思えば4年前に借りてここにも感想を書いた本。自分に呆れた。
 もっとも景気づけにはなりました。いいひとですよ、まともで。ちょっとパラノイアですが。
 じつは、私の本を面白くしようか、という書き様のモデル本の勉強という意図もあったところ、たしかに面白おかしいんですが、こんなにだらだら書いたら、私のアイデア満載の本の場合だと百科事典になってしまうよ。

 いやさ役に立たないブログだねえ。
 そしたらさ、役に立たせようと、羽入の『学問とは何か』、これはわれわれ的には最後の同時代的名作ということでお奨めしちゃおう。昔の回の評とおなじく、買うこたあないけど。
   学問をする人間は、必ずこの本のポリシーをたどって欲しい。
 
 もちろん、社会科学研究者は中身を無視していいよ。4年前も言ったように、折原浩は論外として、大塚久雄はこんな批判には動ずるはずもなく、動ずる理由もない。同様に、社会科学研究者一般も動ずる必要もない。動じなければいけないのはウェーバー学者のみ。
 しかし、羽入の本は、社会科学の本ではないが倫理学の著であって、倫理は全人民に妥当する。
 要は、社会科学を出世の手段とは別に勉強したい人は、みなさん図書館で借りて、最終章だけ読んでくださいませ、ということです。
 
 と同じく、社会科学を考える方は、大塚久雄については間違っているけれども勉強してください。彼は必ず確信犯であり、確信犯にはそれなりの理由があるのです。たかだかの(ウェーバーという)2流学者の著作の解釈が間違ってるう、ってそんなことで決着ができるのは子どもだけですよ。われわれに問題なのは、社会科学研究者に必要なのは、現実の説明とこれから適用される命題について間違っているかどうかです。(まるでウェーバーより大塚のほうが偉いようだ、って、実はそういっているのですが、これは忘れて結構です、こいつは(も?)政治家だからね)(相変わらず、これだけじゃわからないね。ウェーバーは文字に現れたことを頭で考えただけだから2流。大塚は人が生きている現実の日本社会を構想したから1流)。
 羽入氏なら1回生まれ変われば分かると思いますが。
     折原(その他、彼の門下)は100回生まれ変わったってわかりゃあしねえ。

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