こんばんは。いよいよ恐怖の勉強のできない暑い夏が来ます。なんとかストレスにしないためには、本でも読んでるしかないのですが。
で、今日は、あいかわらず、前回の酒飲みの「断片」の当ブログトップページ消し。
私も人が一生懸命、よかれと思って考えたものを全否定してはいけません。
と、わかっててもやるのがお酒ですね。
ウソだ、いつもそうだ、とも言われますが。
ほんと、教師にならなくて良かった、と思います。
人は褒めて育てよ。
は、そのとおりと思いますが、こっちも必死なんでね。
で、分かっててやるのがお酒なんです、って今何いったんだよ。
火事と喧嘩は江戸の華。
こりゃウソでね。
江戸後期、酒が手に入る擬似都会、商品経済に深く染まった(地方小)都市ではどこでもそうだった。
華を作るには絶望的な肉体仕事と絶望的な将来が必要なのです。
商品経済下で(1次産業ではなく)なんとか金を手に入れてのみ生存していける、農家を追い出されたニ男、三男。
微小なカネを貯めてどうする? わずかの金を「送って」も誰も喜びはしない郷里。
十年、二十年もたって、父も兄も自分のことなど覚えていない郷里。
手伝い奉公に出て行った姉も妹もどこで死んでいるのか分からない中で、じゃあ、カネをどこに使う?
博打でスるか酒に溺れるか、そして体はやけのやんぱち、喧嘩で死ぬのはお互い様だ。
いや、暗い話を。頭(ページトップ)を変えるには暗すぎますね。
酒と喧嘩はつきもの、ま、私もそんなもんだからごめんよ、みたいな話をしようかと思ったのですが。
話題を変えて、先ほどみていた日本テレビにでていたのが山口百恵。
私はほとんど評価をしないままおやめになっていった方ですが、その後30年、身をもって示した見識。
すごいですね。世間にはいままで影しか現わさず。
ほんとに尊敬的敬意に値します。歌だって20歳になったらそこそこうまいじゃないすか。(前はヘタ)
それに引きかえ同番組に出ていた吉村真理、であったかのような何モノか。
ちょっとは考えろよ。山口百恵なんかより評価していたのに。
なんだかんだで、ひとの「旬」の話でもしようかと思いますが、これは次回に。
で、今日は、あいかわらず、前回の酒飲みの「断片」の当ブログトップページ消し。
私も人が一生懸命、よかれと思って考えたものを全否定してはいけません。
と、わかっててもやるのがお酒ですね。
ウソだ、いつもそうだ、とも言われますが。
ほんと、教師にならなくて良かった、と思います。
人は褒めて育てよ。
は、そのとおりと思いますが、こっちも必死なんでね。
で、分かっててやるのがお酒なんです、って今何いったんだよ。
火事と喧嘩は江戸の華。
こりゃウソでね。
江戸後期、酒が手に入る擬似都会、商品経済に深く染まった(地方小)都市ではどこでもそうだった。
華を作るには絶望的な肉体仕事と絶望的な将来が必要なのです。
商品経済下で(1次産業ではなく)なんとか金を手に入れてのみ生存していける、農家を追い出されたニ男、三男。
微小なカネを貯めてどうする? わずかの金を「送って」も誰も喜びはしない郷里。
十年、二十年もたって、父も兄も自分のことなど覚えていない郷里。
手伝い奉公に出て行った姉も妹もどこで死んでいるのか分からない中で、じゃあ、カネをどこに使う?
博打でスるか酒に溺れるか、そして体はやけのやんぱち、喧嘩で死ぬのはお互い様だ。
いや、暗い話を。頭(ページトップ)を変えるには暗すぎますね。
酒と喧嘩はつきもの、ま、私もそんなもんだからごめんよ、みたいな話をしようかと思ったのですが。
話題を変えて、先ほどみていた日本テレビにでていたのが山口百恵。
私はほとんど評価をしないままおやめになっていった方ですが、その後30年、身をもって示した見識。
すごいですね。世間にはいままで影しか現わさず。
ほんとに尊敬的敬意に値します。歌だって20歳になったらそこそこうまいじゃないすか。(前はヘタ)
それに引きかえ同番組に出ていた吉村真理、であったかのような何モノか。
ちょっとは考えろよ。山口百恵なんかより評価していたのに。
なんだかんだで、ひとの「旬」の話でもしようかと思いますが、これは次回に。
これはおもしろい。
ざっとみて、そうとうに真実をついてらっしゃる。すばらしい! なんといっても詩的だ!
ウチのブログ的には、だからどう?
みたいなところはありますが。
なんのなんの。
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する, 端的に言えば, 知識体系そのものの形は現象と両立し常に変化する。』
【0特性】は真理である。故に時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根據が【0∞1】, 有限の無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類事的な確定であること, である。
零的確定論では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を考え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。