リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

数十年前数件

2019-03-23 15:56:56 | 断片
 こんにちは、東京地方ここんとこあったかでしたが、本日は一転寒、雨まで降ってきてます。皆様のお近くは桜咲きました? わたしはまだ一輪も見ていない。花を見たのは蝋梅が最後かね、沈丁花とか辛夷(コブシ)とか木蓮とか、花の木は近くにそこそこあるのですが。
 そんなこと言っててもしょうがないので、いまベランダから外を覗くと、桜がちょぼちょぼとゴミのように白く咲いている。雨空じゃあしょうがない。
 
 さて、そろそろまともなテーマを取り上げたいと思う今日この頃、来週くらいはなんとか。
 本日はこんなのから。
 夕食時ヒマだったんでTBSの癒し系森田さんの夜の天気予報を見ようとしたら、その前にCMあり。「電車の時間なんて 気づかなければよかった」小田急のCM、知ってる? いいと思わない? デートの二人が最終電車で反対方向に分かれ、向かいのホームの端に立ってさよならをするCM。
 胸熱だね。まあ、こういうのは青春の真っ只中だと、「ちぇ。(いい気になりやがって)」とか思うのかもしれないけど。まあ、それも青春。若いっていいね。べつにうらやましくはないけど。通り過ぎた何か。

 次。「A380「空飛ぶウミガメ」到着 ハワイ線にANA投入」(朝日)。旅客機に海亀のイラスト。なかなかかわいいじゃん。塗装なんて塗り絵に過ぎないからどうだってよさそうだけど、あんがいそうでもありません。
 40数年前初めて飛行機なるものに乗った福岡行きボーイングDC8。落ちそうでひとりぼっちで心細かったけど、翼に描かれた日の丸が力強かった。それしか覚えてない。どうやって飛行手続きをしたのかな。

 次。1968年2月掲載のサザエさんで、女性に「ブスのオールドミス」と言った男が糾弾されている漫画を取り上げて、大塚某という評論家(58歳)が、女性の経済力が強くなった結果だ、と評していました。おやおやびっくり、と力も無く呟いてしまう。
 そりゃ当時の児童にはわからないだろうが、それは戦前から引き続いた女性解放闘争が、日本共産党のくびきから脱して雌叫びを上げた、新左翼闘争の歴史だよ。
 そこで今どんな情報記録が残ってるのかと検索してみましたが、確かに何も残ってはいない。これじゃあ評論家にわかんなくてもしょうがないけどね。ほんとたかだか50年の歴史も分からないのに、100年、200年前が分かるはずもない。せめて社会学者なら、70年にウーマンリブ運動が発生するなら、それ以前に飽和して雨粒が落ちる雲のような全体状況があったはずだ、くらいまでは想像できるだろうけどね。説明前段の日本共産党の内部事情など、もうかけらも残っていないでしょう。 
 まあ50年と言えば、世間も何もかも変わるよね。この間やりとりをした税理士事務所の前が私の出身小学校で、まったく面影も無い。裏の駄菓子屋がタバコストアだけになって残ってるくらい。で、司法書士事務所が私の出身高校の駅よりの手前で、高校とか見に行ってもそれこそ何一つ記憶が戻らない。よく廃校になる生徒の思いとかニュースになりますけど、思いがあるうちが幸せというものでは? ただ不思議なことに私の出身大学も跡形しかなく消えたところですが、こちらは前の道を通るだけで面影を感ずる。毎日通ったわけでもないのに数年今に近いせいかねえ。

 さて、どうでもいい話ばかり。
 本日は新雅史の商店街小著がとっかかり(「あたらし」さんじゃなく「あらた」さんだと)。立ち読みで、「「マルクス主義・産業化論」という社会変動の二大理論は、都市の零細小売商の増加という現象をその理論の内部で説明することができなかった」なんて書いてあるから、おやどんな反論があるんだね、と思って借りてきちゃったら、純粋に商店街理論でした。なので、本の本文は私には関係ありません。いいたいのはさきの一行。
 どんな主義者も、資本主義初期都市には農村離脱者が「零細人」として住み着き、あるいは日雇い、あるいは零細業に従事したことは事実として知っていると思うのだが。今でも後進国ではそうだし、先進国では、農業生産物は輸入でまかなえてしまうし、工業では過剰生産に苦しんでるので、第一次でも第二次産業でも処理できない人間を、仕方が無いので「第三の職種」で、しばらく時間つぶしをしてもらっている。そんな説明にたいそうな理論が必要なものではないと思うのだが。
 まあ、本論にも一言言うと、著者は商店街を1930年代以降に弱い零細小売業同士として組織化されたもの、とおくわけだけれど、50年前までの順調な戦後小売業は、決して零細と呼ばれる必要も無かったはずだと思うんだけどねえ。その理由を二大変動理論は明らかにしていない、というならそうだね、聞いたことないから。でも、小売業者たちが零細でなかったのは商店街の一員だったからとも思えないんだよね。 
 そもそも、大規模店舗さえなければ、商店というのは十分価格決定機構を持つんじゃないかねえ。「いやなら買うな」だね。実際、十分な資力のある消費者相手ではそうだったから、近世的商店が存在したんだろうし。ところで、農村からの落ちこぼれ業者は、十分な資力のある消費者を相手にできる歴史時期が来るまでは、産業予備軍の域を出はしなかった、というわけで。
 さて、大正期に入り相当の資力のある消費者が出現してきた。それを相手にする業者の群雄割拠の中で、商店街構想ができた。商店街とは単に対大規模業者の問題なのである、と書くならそれで済む。そうだよ、そういってんじゃないか、というならあっちこっち飛ばずに書いて欲しいし、それは社会変動理論の問題ではなく、経営戦略論だな。

 というわけで、もともとの興味は、わたしはサラリーマンの子なので商業のことが必ずしもわからず、次回作品でどこまで触ろうか考慮しているところでの出来事。それでも小売業者の同級生はたくさんいたから、上記の点では、若い酒屋のお子さんである著者より自分のほうが正しいと思うけどねえ。

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