リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

まだ間に合うと思う、上野千鶴子

2015-02-23 21:23:58 | 断片
 こんばんは。本日は健康診断で朝抜き。そのまえ昨夜も同じ理由で酒抜きで、まあ調子悪いったら。
 それで体や頭に力がなくて言うんですが、社会学研究者上野千鶴子氏、このまま死ぬのももったいないね。

 
 例の注作成で読んだ、「家父長制と資本制」。くだらない(間違ってないがわざわざ書くな、というほどの意味)。(当時)40歳にもなってたらもうちょっと書いて欲しいものなのだね。私的には。
 前にも書いたっけっか、わたしゃ平安女学院短期大学助教授上野千鶴子の議論しか知らないけれど、社会を、よく、ブント(共産主義者同盟)的にちゃんと把握してたさ。
 だどもその後はみてのとおりのアカデミズムの渡り歩き。
 いいんだよそれで。誰だって食ってかなきゃいけないさ。でもさ、本分をほっといちゃいけないんじゃないかね。もちろん彼女の本分はフェミニズムと自分で思い定めたんだろうけどさ、それと社会学とは違うぜよ。社会学をやろうと思い、実際やって、それで人民のお金を頂戴してきたんだからさあ、退職した現在、30年前に戻ったらどうかねえ。
 今なら間に合う。おまいさんの人生の仕事は、いくら高齢者にさしかかっているとはいえ、、まだ評論家人生とあきらめることはないんじゃないか。社会学に家計を捧げたら社会学で名をなせよ。
 それは東大社会学名誉教授に言う言葉か、って? そりゃ自分の頭を髪の毛の土台と心得ている君にはわからない言葉だし、しかし、上野名誉教授にはわかる言葉なのだよ。
 いくつだよお前、後輩にいわれたくない、って? だからいわれないようにしろよ。
 どんなセクトでも稼ぎを変えた連中は、10万人じゃきかねえ、って? それは悪いけど評価ちゅうもんさ。こいつはちがうはずの人間だった。にもかかわらず、こう。なぜなんだろうかねえ、私の洞察も実際の人生を知らない人まではカバーできないんでね。

 という、ただの残念言葉。
 であると同時に、本日は、このブログ始まって以来の(市井の方ではなく)学術者に対する最大限の賛辞でした。まあ、カテゴリー「断片」は、何度も言いますが、=「酔言」で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする