リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

参考文献外の論文

2015-02-21 15:54:07 | 断片
 こんにちは。すでに掃き出し窓から陽が入らなくなろうとしてひたすら春をまちわびる今日この頃、さっき買い物に行ったらポケットにいれていた千円札がどこかへ消え、なんだかとっても悲しい、、、

 さて、この前言いましたように次回の本の「注」の本を探しているところ、こんなことばっかりやってると学術社交界ゴシップみたいなことで興味をつないだりして、どうも精神生活が貧しい。
 でもそういうわけで、本日も意味のない論文ゴシップ。

 まずは、ユーゴ問題の把握の必要で、岩田昌征関連で借りた、「ゆらぎの中の社会科学」なる論文集合の中の『社会主義認識の方法的反省』(1993)。
 岩田センセの結論、「社会主義は幻想だった。しかも個的なそれではなく共同的な」そうな。
 まったく。60歳まで社会主義論でさんざん書き散らかしていい気なものさ。
 中西洋も似たようなもの。二人ともなんか感じ似てるよね。いえ皆さんご存知の状況かもしれないけど、わたしはユーゴ関係調べたの初めてだったので。こんな(岩田っていう)人、何いおうが関係ないし。 中西ってみんな知らないか。友愛主義。その10年前は「世界革命史を!」なんていってたけどね。(社会政策学会年報、第16集)
 それで岩田センセの続き、彼曰く、私の理論は昔から間違っていないんだと。これじゃ同じ論文集の馬場宏二の酔っ払いのような駄文とどっちがいいのかわからねえ。社会主義に好意的に書いてきたが昔は将来どう変わるかわからなかったから(趣旨)、ってさ。いいわけになるのかねえ、、、それよりも単純に僕の理論が間違ってた、っていうべきじゃないのかねえ、今自分で言った「社会主義は幻想だ」というのは自分だけの幻想にすぎないんじゃないのか、なんて疑わないのが不思議だよね。他人にめいわくだよ。なんつったか、ナルシストというのか傲慢というのか、西部や鷲田その他と同様の精神構造なんだろうね、、、本山美彦氏のような生き方があるだろうが。
 (なお、ご存知のように私は計画経済が社会主義だなどとおもっていません)

 で、びっくりの驚きなのが、その本には富永健一の社会科学思想小論が載ってて、その参考文献に麗麗しく挙がっていたのが、宇野弘蔵「経済原論」。えーっ、富永、絶対読んでねえって。知らねえんだもん。いったい読みもしない本を参考文献にしていいのか。まったく信用ならねえ思想史家。はじめの10ページ見たったって、そんなんで社会科学史なんて書いていいのか。だいたい宇野の3段階論が主題なら参考図書は「経済学方法論」とかじゃないのか。
 人のことはいえない? ぼかあ過去はそんな手抜きはしてないぜ。
 ただ勇気づけられたので、次回は、しよ。理論の富永お墨付き。

 というわけで、ほんとに箸にも棒にもかからない意味不明な本が、島田幸典「議会制の歴史社会学」。タダの政治学者に真似できるほど社会学は評論でも歴史学でもない。

 で、この2冊で1万円ですよ。ほんと、図書館様々。こんなものにカネを出していたらどんなにくやしいかと思うと、、、そもそも出せないけど。

 というわけで電車賃の損をまた埋め草にさせていただきました。


(p.s. 上記中西洋の件で、稲上毅が昔理論家だったころの季刊社会保障研究(10巻-2)で「松下恵一の批判が痛烈である」当該箇所を見ろというのを見つけた。借りて見たが1冊丸々見ても見当たらない。ほんのひとこと、市民主義者の価値観吐露のさわりに関連箇所が、まあなくもなかったが、痛烈も何もただの価値観の相違だ。
 私も参考文献にページ数をつけるのはいい加減な参照=論文作りを促進するようでいやなのだが、こういう趣味的な評価の際にはぜひつけるべきだ。)
コメント
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