ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教29~イエスの母マリア

2018-04-02 09:54:08 | 心と宗教
●イエスの母マリア

 キリスト教の信仰の対象は、イエス・キリストだが、イエスに次いで重要な存在であるのが、イエスの母マリアである。
 福音書は、イエスの母マリアについて記している。『ルカによる福音書』は、次のように書いている。天使はマリアの問いに答えて言った。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ書1章35節)と。ここには、三位一体説における第3の位格である聖霊の働きが書かれ、マリアは聖霊によって身ごもり、神の子イエスを産んだとされている。
 初期のキリスト教会では、マリアを崇敬することはなかった。しかし、次第にマリアを「聖母」として崇敬する傾向が出てきて、431年のエフェソス公会議において、マリアは「神の母(テオトコス)」であることが宣言された。これによって、ローマ・カトリック教会では、マリア崇敬が公式に教義の一つとなった。マリア崇敬は、ローマ帝国において絶大な信仰を集めていたエジプトの大地母神イシスを、キリスト教が取り込んだものだと考えられる。
 その後、マリアはイエスとほとんど同等に扱われ、マリアによっても救われる、恵みを与えられるとする傾向が現れた。しかし、現在は、救うのはイエスのみであり、マリアはイエスへの取り次ぎを願う対象であるとする。
 今日、ローマ・カトリック教会では、マリアに次のような四つの特質を認めている。

(1)無原罪懐胎:マリアはその母のアンナの胎内(註 イエスの祖母)に宿ったときから原罪を免れていたとする。1854年に無原罪の御宿り(註 イエスの受胎)が教義とされた。
(2)無罪性及び童貞性:イエスを産む前も、産んだ後も処女であるとする。
(3)被昇天: マリアは無原罪ゆえ、その身体は原罪の結果である死の腐敗を免れている。したがって、マリアの身体は霊魂とともに被昇天した。イエスは自らの力で死に打ち勝って昇天した。マリアは神によって昇天させられたとする。マリアの被昇天は、1950年11月1日、教皇ピウス12世によって宣言された。(註 英語ではイエスの昇天はthe Ascension、マリアの被昇天はthe Assumptionと区別する)
(4)聖寵の仲介者: マリアは「神の母」であると同時に全信徒の霊的な母であり、天国においてすべての信徒のためにキリストへのとりなしを果たしているとされる。

 ローマ・カトリック教会では、マリアへの崇敬は、礼拝の対象としての崇敬でないとし、イエスや聖人と区別して「特別崇敬」という。ラテン・アメリカでは、先住民の女神信仰とマリア崇敬の重合を容認したことで、カトリックは深く浸透し得た。
 ルターはマリア崇敬の弊害を戒めたが、マリア崇敬を根本的に否定してはいない。カルヴァンは、あらゆるマリア崇敬を偶像崇拝として排斥している。聖書にはマリア崇敬はないというのがその理由である。
 東方正教会では、マリア崇敬を肯定しているが、「無原罪懐胎」と「被昇天」は否定している。日本の正教会では、マリアを聖母ではなく、生神女(しょうじんじょ)と呼ぶ。「神を産んだ女」の意味である。東方正教会の教義では、人間が生の根源である生ける神から離れたことによって、「死が現世をおおうようになった。人間は、もはや神へと高まることはできない。そのため、神は自ら人間のもとに降りてこられ、人間になられたとする。オリヴィエ・クレマンによると、ここで、一人の女性が人間全体を代表して、神の受肉を受け入れた。それがイエスの母となったマリアである。東方正教会の考え方では、神の構想は穢れを知らぬマリアの同意と信仰があってこそ、はじめて実現した。マリアは罪のけがれなく生まれてきたわけではなく、すべての人と同じように、アダムの子孫には避けられない死の宿命を担っていた、と東方正教会では考えている。
 キリスト教は、男性原理の宗教である。唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体だとするが、天の神は父であって、母は存在しない。古代の多くの民族では、天空父神と大地母神、つまり天の父と地の母が一対になっているが、キリスト教は後者を否定した形である。
 キリスト教において、子なる神は男の子であり、またひとり子である。イエスは、男性一人でキリスト教を始めた。ここには女性原理、母なるものが欠けている。男性的・父性的なものと女性的・母性的なものが、アンバランスである。そこで、信仰における女性原理、母なるものを求める心理が働くようになった。こうした動きは、仏教にも見られる。釈迦は仏教を一人で始めた。男性原理だけである。そこで、後から観世音菩薩を女性、慈母ととらえる心理が現れたと考えられる。
 シナの思想では、物事にはすべて陰陽があると考える。宇宙の理法・法則・本体である道が働くときには、陰と陽の両面を現す。『易経』繋辞伝には、「易有太極、是生両儀」、「一陰一陽之謂道」とある。太極とは、天地創造、混沌としている元気のことで、至高、至極、絶対、唯一の意味である。太極が両極である陰陽を生み、一陰一陽、これを道という。『太極図説』には「無極而太極、太極動而生陽、動極而静、静而生陰」とあり、無極から太極となり、太極が動き陽を生じ、動き極まり静となり、静より陰を生じるとしている。朱子学では、道を太極ととらえ、万物に内在する個別の理を統べる大いなる理とする。本体である道または太極が、現象として現れるときは、必ず陰陽の両極または両性を表わすととらえられる。
 人間には、男女両性がある。深層心理学者のカール・グスタフ・ユングは、心の深層から現れる元型的イメージの中に、アニムスとアニマがあるとした。それらの調和的・相補的な向上が心の成長・向上につながっている。
 アニムスは女性の無意識人格の男性的な側面、アニマは男性の無意識人格の女性的な側面を意味する。男性性(陽性)と女性性(陰性)の両面を象徴するイメージと考えられる。ユングは、アニマには四つの発達段階があるとし、肉体的な段階、ロマンティックな段階、霊的な段階、叡知的な段階とする。 聖母マリアは霊的な段階のイメージであり、母の愛を持ちながら処女の清らかさを併せ持つ。その上の叡智的な段階には、観世音菩薩などの中性的なイメージが挙げられる。
 ユングは、男性原理が支配するキリスト教の欠陥を認識し、マリア崇敬によって、「三位一体」が「四位一体」に修正されたと理解した。陰陽のバランスをとろうという深層心理の働きと理解される。
 こうしたシナ思想やユング心理学から見るとき、キリスト教でマリア崇敬が現れて、公式に認められ、さらにマリアの位置づけが高められてきたのは、ものの道理と人間の心理にかなっている。最初から、男女一対の指導者によって始められた宗教があるとすれば、ものの道理と人間の心理にかなった宗教ということができる。

 次回に続く。
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