ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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救国の経済学10~丹羽春喜氏

2011-05-29 06:22:24 | 経済
●新自由主義「最大のカリスマ的指導者」ハイエク

 丹羽氏は、新自由主義・新古典派経済学の反ケインズ主義を厳しく批判している。これから、丹羽氏による理論的な批判を見ていきたいと思う。まず新自由主義の提唱者とされるフリードリッヒ・ハイエクに関する丹羽氏の見解を確認する。併せて、この機会に私のハイエクに関する見解を述べたい。
 ハイエクはケインズと並び称される20世紀最大級の経済学者である。また一部のエコノミストによって、ハイエクはケインズの最大の批判者とも見られている。丹羽氏は、ハイエクについて『政府貨幣特権を発動せよ。』で次のように書いている。
 ハイエクは「新自由主義学派の最大のカリスマ的指導者」である、と丹羽氏はいう。ハイエクは、新古典派経済学の一派をなすオーストリア学派に属するミーゼスの弟子だった。ハイエクは「ミーゼスとともに、早くも1920年代後半の時期から、市場メカニズムを十分活用しえない社会主義の命令経済体制では、合理的な経済計算が不可能になることによって経済の効率や作動が決定的に損なわれるにちがいないとして、早晩、そのような体制は崩壊するにいたるであろうと、鋭い批判的な予測を行った。(論文集『集産主義計画経済の理論』、原書公刊は1935年)」「これに触発されて、未曾有の大論争『社会主義経済論争』が戦後まで繰り広げられたのであるが、結局、学会の通説としてもハイエクやミーゼスの分析が正しいとされ、そして、まさに、そのような所論のとおりに、ソ連・東欧共産圏の社会主義的な命令経済体制は、その不効率と機能不全を露呈し、滅びてしまったのである」。
 社会主義経済論争については、私は拙稿「極度の合理主義としての共産主義の崩壊」において、その概要を紹介している。
 ケインズは、大恐慌後の1930~40年代に、不況と失業を解決するために理論を発展させ、政策を提案し、その実現のために活動した。ケインズは、イギリス伝統の個人を尊重する個人主義的自由主義を説き、自由を守るために中央管理により、一定の規制を行うことを提唱した。それが有効需要の理論に基く総需要管理政策である。この政策がイギリスの国策に取り入れられ、またアメリカのニューディール政策に理論的根拠を与えた。英米はケインズ的な政策によって経済的危機を脱し、共産主義革命の波及を防ぎ、またナチス・ドイツとの戦争に勝利することができた。いわば左右の全体主義から自由を守ることに、ケインズは重大な貢献をした。私はこのように評価する。だが、ハイエクはそうではない。

●『隷従への道』でのケインズへの態度

 ハイエクは、1938年から書いた論文をまとめ、第2次大戦最中の1944年に刊行した。それが、名著『隷従への道』(東京創元社)である。当時戦時経済を行なっていたイギリスで、ハイエクは戦後を見越して警告した。経済の計画化と社会主義は同義であり、計画化はソ連やナチスのような全体主義に帰結する、と。本書でハイエクは社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムは同根の集産主義であると批判した。集産主義とは、collectivismの訳語で、すべての企業や農場等を政府が所有する政治体制をいう。この表れが全体主義である。ハイエクは集産主義に反対し、自由を擁護した。そして、「真の個人主義」つまり個人主義的な自由主義を唱導した。
 『隷従への道』は、巻頭に「あらゆる党派の社会主義者たちに」と書かれており、主に社会主義を批判する本である。ここでいう社会主義は、わが国の常識における社会主義の概念よりずっと広く、個人の自由より社会の利益を重視する立場である。『隷従への道』は、こういう広義の社会主義を批判する本である。それと同時に、本書はケインズ主義を間接的に批判している本である。ただし、私の見る限り、本書にはケインズの名前が出てこない。直接ケインズの引用もない。ハイエクは、1920年代にケインズと利子論をめぐって激しく論争したが、ケインズが『一般理論』を刊行した時、同書を「攻撃する仕事」をしなかった。『隷従への道』は、自由を守る点ではケインズの取り組みと重なる点があるのに、ケインズの名を挙げて評価したり批判したりはしていないのである。
 丹羽氏はこの点について、次のように書いている。本書で「社会主義の欠陥を鋭く突いたハイエクは、いわば『返す刀』で、西側自由世界陣営の『福祉国家』システムをも痛烈に批判した」。『隷従への道』は「福祉国家批判論の皮切り」とも言うべき書だった。「この本は、その一つの特徴が、ケインズ的なマクロ的有効需要政策をまったく無視してしまっているということであるが、そればかりでなく、福祉国家政策の弊害を防止するための諸種の政策的努力についても、あたかも、その可能性がありえないと決め付けているかのごとき黙殺的な態度で終始している」(『政府貨幣特権を発動せよ。』)
 「黙殺的な態度」、これこそハイエクが『隷従への道』において、ケインズに対して取った態度である。その一方、ケインズは、ハイエクの『隷従への道』を読んで、ハイエクの主張に賛同し、公刊に感謝の手紙を書いている。もちろん経済理論においては両者には相容れないものがある。ケインズの手紙も、自由を擁護するハイエクの思想について、賛意を表したものである。
 丹羽氏もまたハイエクの自由の思想に共感し、それを支持している。丹羽氏が強く反論するのは、新古典派経済学のフリードマン、マンデル、ルーカス等であり、ハイエクを彼らと一緒くたには見ていない。新自由主義・市場原理主義を批判する論者には、ハイエクをフリードマンと同様の主張をした学者として批判している人がいるが、ハイエクをどの程度読んで考察しているか疑わしい。またそういう論者の場合、ルーカスの名前すら出てこない。丹羽氏は、この点、学者としての水準が違う。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「極度の合理主義としての共産主義の崩壊」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07.htm
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