ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「太陽の時代」のギガトレンド1

2010-08-23 08:50:03 | 経済
 「『太陽の時代』のギガトレンド」と題する拙稿を短期連載します。5回ほどになる予定です。内容は昨年4~5月に掲載した拙稿に大幅に加筆・修正したものであることをお断りしておきます。

●世界経済危機から「太陽の時代」へ

 2008年(平成20年)9月15日、リーマンショックが世界を襲った。瞬く間に世界は経済危機に陥った。情報通信技術を駆使して、莫大な利益を上げていたアメリカの投資銀行のうち、生き残ったものは商業銀行に転じた。金融界の混乱は実体経済にも及び、アメリカでは自動車産業のビッグスリーが経営破綻に至った。
 アメリカがグローバリズムの旗印のもとに世界に広めたのは、利益を最大化するための強欲資本主義だった。金融に関する規制緩和が明らかにしたのは、ひたすら利益を追い求める資本主義の本質である。人類は、ここで資本主義のあり方を根本的に見直し、社会に調和をもたらす新たな経済システムを創造しなければならない。
 世界経済危機は、地球環境の悪化の中で起こった出来事でもあった。経済的利益の追求が環境を破壊し、文明の根底を揺るがしている。人類は、生存と発展のために、自然との調和、また世界の平和を目指し、化石燃料をエネルギー源とする産業から脱却しなければならないときに来ている。とりわけ石油依存を脱却し、太陽光・風力・水素等のエネルギーを活用する産業への移行を、世界的な規模で加速・推進すべき段階に入っている。
 新しい流れは、「太陽の時代」へ、である。太陽光を中心としたクリーン・エネルギーを活用する方向へと、世界もまた日本も大きく動いている。この流れは、極めて大きなトレンドである。未来学者ジョン・ネイスビッツ風に言うと、メガトレンドを上回るギガトレンドである。

●島田晴雄氏は「太陽経済の時代」を告げる

 リーマンショック後の経済危機は、1929年の大恐慌以来のものと見られ、世界経済の行方は定かでなく、混沌とした状況が続いた。リーマンショックの約2ヵ月後となる08年(20年)11月26日、千葉商科大学学長の島田晴雄氏は、産経新聞の「正論」の欄に、「『太陽経済の時代』を拓こう」という意見を寄せた。
 私は、時代のトレンドにおいて、一つの道しるべとなった文書と位置づけている。その全文を引用する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成20年11月26日

【正論】「太陽経済の時代」を拓こう 千葉商科大学学長・島田晴雄
2008.11.26 03:19
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081126/plc0811260319001-n2.htm

<金融危機の後に来るもの>
 世界経済の大混乱がつづいている。アメリカ発の金融危機はまだ最悪期を脱していないが、金融面での混乱が一段落しても、投資、生産、雇用、消費の萎縮(いしゅく)が実体経済をさらに縮小させていくだろう。しかし、経済はやがて回復する。政策対応に加え、価格が十分下がれば需要が喚起されるという原理が市場には組み込まれているからだ。
 その回復に2年かかるのか、あるいは5年かかるのか、それを予知するには現在の事態はあまりに錯綜(さくそう)しており不確実性が大きい。だが、世界の実体経済が回復してくるとき、その構図は現在の世界経済とはかなり異なったものとなる可能性が高い。
 異なった絵柄を構成するすくなくとも二つの大きな要因がある。ひとつはエネルギーであり、いまひとつは新興国の台頭である。石油に象徴されるエネルギー価格は1970年代中盤の石油危機で10倍となり、省力化を軸に経済の技術構造は大きく変わった。このところそれがさらに10倍-5倍も高まり、石油に代わる新たなエネルギー源の開発が本格化している。

<エネルギーを軸に再編成>
 世界経済はやがて新たなエネルギーを軸に再編成されるだろう。新興国群は現在、世界金融危機の深刻な打撃を受けているが、膨大な若い人口が内包する活力はやがて世界経済の多極化と新たな地政学的連携構造を生み出すにちがいない。数年後の世界経済回復のモメンタムにはこれらの要素が鍵となる。
 そのモメンタムを主導する主体は何か。日本はそうした構図の中でどのような役割を果たせるのか。1970年代中盤の石油危機以降の経験がヒントになる。中東石油への依存度がもっとも高かった日本は石油危機でもっとも深刻な打撃を受けたが、しかし、数年後には世界経済をリードする役割を期待されるまでに回復した。石油危機をバネに日本の産業界は技術革新と自己規制で徹底的な省力化をすすめ、労使は世界に比類のない弾力的な賃金決定でインフレ圧力を吸収した。この経験をこれからの日本の戦略にどう生かすかが問われている。
 エネルギーはこれまでいわば19世紀の石炭、20世紀の石油と、長い間、いわゆる化石燃料に依存してきた。これらはいずれも実は太陽光で育った植物や微生物が何億年も貯蔵された結果のエネルギー源である。人類は今や、太陽のエネルギーをこの貯蔵過程を経ずにすぐに利用可能とする技術を手にしている。
 地球表面の1・5%に降り注ぐ太陽光だけで67億人を支えるエネルギーになるとされる。石油価格の高騰を受けて、世界各国は太陽エネルギーを活用する技術の開発にしのぎを削っているが、現在のところ、太陽エネルギー活用の要素技術が利用可能な形でもっとも集中して存在しているのが日本である。
 ソーラー発電、太陽電池やリチウム電池などの蓄電装置、超伝導などの効率的な伝導装置、風力発電や地熱発電、さらには潮力発電や地下水の温度格差の利用、あるいはバイオマスのエネルギー化なども、ひろい意味では太陽エネルギーの利用である。これらの要素技術は、日本には、シャープ、三洋電機(パナソニック)、三菱重工、東芝、日立などの大企業から数多くのベンチャー企業まで多くの産業集積があり、また優れた技術者、研究者がいる。

<政府主導の戦略的対応を>
 しかし要素技術だけでは、太陽エネルギーの直接利用のメリットを十分生かすことはできない。石炭が蒸気機関と鉄道網を媒介して産業革命を実現し、石油が内燃機関と道路整備でモータリゼーション社会を実現したように、太陽エネルギーが電気自動車や産業、生活全般にわたって活用される経済・社会システムを構築する必要がある。
 また日本の技術や頭脳の集積を核として世界の能力を凝集し、研究開発を加速する必要がある。そのためには政府の戦略的主導と支援、産業界の全面的参加、世論の支持が欠かせない。こうした総合戦略があってはじめて、太陽エネルギーを存分に活用した豊かな太陽経済の新時代を拓(ひら)くことができるのである。
 中国が日本の効率的なエネルギー利用技術を活用できれば莫大(ばくだい)なメリットがあることは周知だが、インドの自然資源と日本の技術の融合はさらに大きな成果を生みうる。日本がこれらアジアの新興国群と密接な協力関係を築くことができれば、世界経済の新たな回復を主導し日本はもとより世界に大きく貢献することができるはずだ。
 現在の暗い時代の先に明るい未来を拓くため、産業界、政府、メディア、学界など皆が知恵と力を出し合い「太陽経済の時代」を実現する運動を起こしてはどうか。(しまだ はるお)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この島田氏の寄稿記事は、2008年(平成20年)11月26日に発表されたものだが、その月の4日にアメリカで大統領選挙が行われ、民主党のバラク・オバマが当選した。オバマは、共和党のジョン・マケイン候補との公開討論で、「自分が大統領になったら、太陽光発電、風力発電、電気自動車、これを大々的にやる。これが21世紀のニューディール政策になる」という主旨のことを述べていた。そして翌09年(21年)1月の就任演説では、「太陽と風と大地の力を利用して、車に燃料を与え、工場を動かそう」と呼びかけた。そして、オバマ政権のもと、アメリカはグリーンニューディール政策を開始した。島田氏の寄稿記事は、当時並行して日本でも準備されていた新しい動きを伝え、国民に賛同を呼びかけるものだった。
 島田氏は、先の記事の約半年後、09年(21年)5月6日にも、産経新聞の「正論」に意見を載せた。「『太陽経済』への流れ見据えよ」という記事である。そこで、島田氏は次のように書いた。
 「日本政府は4月10日、事業規模56兆円の追加経済対策を発表したが、その中で、太陽光発電の普及促進、低燃費車の買い替え補助、省エネ家電の購入補助などを盛り込んだ。これらは環境対応と新エネルギー開発を大きく促進する効果をもつだろう」
 「日本企業はこれまでも太陽光発電、燃料電池、蓄電池、電気自動車などすぐれた要素技術を発展させてきた。しかし、人々の生活や産業社会が太陽光によって快適かつ円滑に営まれる本格的な太陽経済を実現するためには、さらなる課題がある。日本が得意な電池や超伝導技術、またICTを駆使したスマートグリッドで世界をリードする。広い領海を利用して海洋バイオの開発を進める。それらの成果を人々や社会が太陽経済として享受できるよう総合的な誘導政策を設計することが必要だ」と。
 さて、島田氏は、先の二つの寄稿記事で、新しい経済のあり方を「太陽経済」と呼んでいるが、その言葉の定義を書いていない。
 「太陽経済」は、実業家で経済評論家である山崎養世氏の造語である。山崎氏は「太陽経済とは、技術と英知によって、人類が毎年の太陽の恵みで暮らすことを可能にする新しい経済」と定義している。次に山崎氏の意見を紹介しよう。

 次回に続く。

「三橋貴明氏の経済成長理論」をアップ

2010-08-22 08:51:13 | 経済
 本年6月から8月にかけて連載した「三橋貴明氏の経済成長理論」を編集して、私のサイトに掲載しました。通してお読みになりたい方は、次のページへどうぞ。

■デフレを脱却し、新しい文明へ~三橋貴明氏の経済成長理論
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13f.htm

 目次は次の通りです。

第1章 ネットから登場したエコノミスト
第2章 国家モデル論で日本を見る
第3章 日本はそれほど財政危機ではない
第4章 日本は経済成長できる
第5章 21世紀日本のグランドデザイン
結びに~日本から物心調和・共存共栄の文明を

北朝鮮が謝罪と賠償を要求

2010-08-21 08:52:58 | 時事
 日韓併合百年の菅首相談話について、13日岡田外相は、談話の趣旨は「朝鮮半島全体に及ぶと思う」とし、談話は事実上、北朝鮮に対しても謝罪を表明したものという認識を示した。案の定、北朝鮮が謝罪と賠償を求め始めた。外務大臣がこれだから、北朝鮮の要求への対応は、面倒なことになりそうだ。当然、わが国の対応具合を見て、共産中国が動き出すだろう。わが国は首相の失言、政府の失策によって、自ら危地に陥ったと言わざるを得ない。
 一国の政府が過去の行為について他国に謝罪するということは、国際的に極めて珍しく、日本以外ではほとんどない。この点について、古森義久氏が今朝の産経新聞に書いている。記事中に引用されている日本研究学者ジェーン・ヤマザキの日本の謝罪に関する見方は、客観的で的確なものである。
 以下は報道のクリップ。小森氏の記事を後半に含む。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成22年8月21日

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100820/kor1008201908007-n1.htm
北朝鮮、日本に謝罪と賠償を要求 菅首相談話で
2010.8.20 19:06

 【ソウル=水沼啓子】朝鮮中央通信によると、北朝鮮の外務省報道官は20日、日韓併合100年に際し菅直人首相が発表した談話について、韓国だけに謝罪したと非難し、北朝鮮に対しても「至急謝罪し、賠償すべきだ」と求めた。首相談話に対する北朝鮮政府の公式な言及は初めて。岡田克也外相は13日の記者会見で、談話の趣旨は「朝鮮半島全体に及ぶと思う」とし、談話は事実上、北朝鮮にも謝罪を表明したものだとの認識を示している。
 報道官は「軍国主義政権のすべての被害者に対し、無条件に差別なく反省、謝罪して当然だ」と強調。さらに「日本は戦後行ってきた反共和国、反朝鮮総連策動を誠実に反省し、対朝鮮敵視政策を直ちに撤回すべきだ」と訴えた。
 朝鮮中央通信はまた、日韓併合は「日本が敢行した前代未聞の国家テロ」とする長文の「告発状」を発表。首相談話について「村山談話や小泉談話より後退したものであり、わが国に対する国権強奪を認めず、謝罪も賠償もしようとしない強盗さながらの本性が潜んでいる」と非難した。首相談話に対する北朝鮮メディアの論評も初めて。
 北朝鮮では最近、元従軍慰安婦らが「証言集会」を開くなど、日本政府に謝罪や賠償を求める動きが活発になっている。

●産経新聞 平成22年8月13日

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100813/plc1008131816004-n1.htm
菅談話「朝鮮半島全体に及ぶ」 岡田外相明言、日朝交渉に意欲か
2010.8.13 18:15

 岡田克也外相は13日の記者会見で、菅直人首相が日韓併合100年にあわせて10日に閣議決定した菅談話について、「その趣旨は朝鮮半島全体に及ぶと思う」と述べた。菅談話は韓国を名指しした内容で、日本との国交がない北朝鮮への言及はないが、岡田氏は北朝鮮に対しても「植民地支配」への反省とおわびを事実上表明した格好だ。
 岡田氏は「(日朝間では)戦後の問題についての日韓基本条約のようなものがない。そういう状況で、一方的に談話を出すことには必ずしもならない」とも述べ、政府として北朝鮮向けに新たな談話を出す予定がないことも強調した。
 北朝鮮との間では、平成14年9月に訪朝した小泉純一郎首相(当時)が金正日総書記と連名で署名した日朝平壌宣言で、「過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛」を与え、「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を表明している。岡田氏は、停滞している日朝国交正常化交渉の進展に意欲を示しているとみられるが、同氏の今回の発言を受けて北朝鮮が今後、「植民地支配」への補償を強く求めてくることにもなりそうだ。
 また岡田氏は「植民地支配から100年というときに日本政府として何も言わないことはあり得ない選択だ」と語り、菅談話の意義を強調。民主党との十分な議論を経ずに談話を発表したことについても「議論すれば当然表に出る。政府の責任でまとめるのが普通だ」と述べた。

●産経新聞 平成22年8月21日

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100821/kor1008210743001-n1.htm
【緯度経度】ワシントン・古森義久 国家は簡単には謝らない
2010.8.21 07:41

 菅直人首相の日韓併合に関する談話で日本国はまた韓国に謝罪した。「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、改めて痛切な反省と心からのおわびを表明する」というのである。
 朝鮮半島を日本の領土として認めた日韓併合条約が当時の国際規範に沿った正当な取り決めとされた事実と、その条約の結果を悪と特徴づけ、ひたすら謝る菅政権の態度との間には、明らかに大きな断層がある。だがその菅政権の歴史認識のゆがみや矛盾はひとまずおいて、このように国家が他の国家や国民に謝罪を続けること自体の是非を米国からの視点で考えてみよう。
 人間集団の謝罪を専門に研究するハーバード大学のマーサ・ミノー教授は一連の論文で「国家対国家、あるいは国家対個人の謝罪という行為は1980年代以前は考えられなかった」と述べる。主権国家の政府は戦争で降伏し、非を認めて賠償を払いはしても「おわびします」とか「すみません」と心情を表明することはなかったというのだ。
 だが同教授によれば、民主主義の強化で状況が変わり、国家が自国の国民に非を謝るようにはなった。レーガン大統領や先代ブッシュ大統領が第二次大戦中の日系米人の強制収容を謝り、クリントン大統領は米国のハワイ武力制圧を謝った。だが米国が他国に謝罪した例はきわめて少ない。米国がフィリピンを武力で植民地にしたことは明白でも、謝罪はしていない。日本への原爆投下も同様だ。
他の諸国に目を転じてもイギリス政府がインドやビルマの植民地支配を公式に謝罪したという話は聞かない。フランス当局がベトナムやカンボジアの植民地統治自体を正式に謝ったという記録もない。
 米国ウェスリアン大学のアシュラブ・ラシュディ教授は「罪ある時代の謝罪と忘却」という自著で、「クリントン大統領が1998年にルワンダ大虐殺に対し米国が阻止の行動をとらなかったことを謝罪したが、その謝罪自体はその後の各地での虐殺阻止にはなんの役にも立たなかった」と書いた。謝罪の実効の不在である。同教授は「謝罪は相手の許しが前提となり、心情の世界に入るため、そもそもの原因となった行為の責任や歴史の認識を曖昧(あいまい)にしてしまう」とも論じた。
 日本の謝罪については米国オークランド大学の日本研究学者ジェーン・ヤマザキ氏が2006年に出版した自著「第二次大戦への日本の謝罪」で詳しく論考している。ヤマザキ氏は1965年の日韓国交正常化以降の日本の国家レベルでの謝罪の数々を列挙しながら「主権国家がこれほどに過去の自国の間違いや悪事を認め、外国に対して謝ることは国際的にきわめて珍しい」と述べた。そして米国はじめ他の諸国が国家としての対外謝罪を拒む理由として以下の諸点をあげた。
 「過去の行動への謝罪は国際的に自国の立場を低くし、自己卑下となる」
 「国家謝罪は現在の自国民の自国への誇りを傷つける」
 「国家謝罪はもはや自己を弁護できない自国の先祖と未来の世代の両方の評判を傷つける」
 さらにヤマザキ氏の分析は日本にとり最も深刻な点を指摘する。それは日本の国家謝罪を外交手段とみるならば、それがいままでのところ完全に失敗しているというのだ。
 「日本は首相レベルで何度も中国や韓国に謝罪を表明してきたが、歴史に関する中韓両国との関係は基本的に改善されていない。国際的にも『日本は十分に謝罪していない』とか『日本は本当には反省していない』という指摘が多い」
 これらが謝罪が成功していない例証だというのである。そしてヤマザキ氏がとくに強調するのは以下の点だった。
 「謝罪が成功するには受け手にそれを受け入れる用意が不可欠だが、韓国や中国には受け入れの意思はなく、歴史問題で日本と和解する気がないといえる」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●追記

 日韓関係史の基本的な認識につき、拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏の記事が簡潔で参考になるので、クリップしておく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100818/edc1008180303000-n1.htm
【正論】拓殖大学客員教授・藤岡信勝 日本がハングルを学校で教えた
2010.8.18 03:03

 日本の歴史教育では、小学生段階から日清戦争を扱い、日本はこの戦争に勝って清から賠償金を取り、台湾を日本の領土にしたことを教えているが、日本が日清戦争をたたかった真の目的を教えていない。
 戦争に勝った国は、講和条約の最初の条文にその国が最も欲することを書き込む。日清戦争の戦勝国である日本が日清講和条約(下関条約)の第一条に書き込んだのは、領土でも賠償金でもなく、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言だった。日本が最も求めていたのは、朝鮮国の清国からの独立だったのである。なぜか。

◆半島に自主独立国家を期待
 欧米列強の脅威にさらされていた明治の日本は、自国の安全を確保するため、朝鮮半島に自主独立の近代化された国家が成立することを強くねがった。福沢諭吉は次のように論じた。
 「いま西洋が東洋に迫るそのありさまは、火事が燃え広がるのと同じである。この火事から日本という家を守るには、日本の家だけを石造りにすればすむというものではない。近隣に粗末な木造家屋があれば、類焼はまぬかれないからである」
 日本、朝鮮、清国という、お互いに隣り合う家屋の安全のためには、隣の家の主人を半ば強制してでもわが家に等しい石造りの家をつくらせることが必要である、というのが福沢の考えであり、明治政府の考えでもあった。近代日本の置かれた立場を理解させない歴史教育は教育の名に値しない。

◆朝鮮語を「奪った」との謬論
 李朝時代の朝鮮が「粗末な木造家屋」であったことは、朝鮮の外交顧問であったアメリカ人のスティーブンスさえ、日露戦争のあとで、次のように述べていたことからわかる。
 「朝鮮の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財産を略奪している。そのうえ、人民はあまりに愚昧(ぐまい)である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされるであろう」
 朝鮮の近代化は、日韓併合後の日本統治によって初めて実現した。日韓併合100周年に当たっての菅直人首相の謝罪談話を推進した仙谷由人官房長官は8月4日、日本の「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」と発言した。あまりの無知に開いた口がふさがらない。ここでは、日本が朝鮮人から「言葉を奪った」という官房長官の妄想についてだけとりあげる。
 日本統治時代、朝鮮半島に在住した日本人は、人口の2%に過ぎない。2%の人間がどうして他の98%の人間から、土着の言葉を「奪う」ことができるのか。
 仙谷氏は、日本統治下の学校で日本語が教えられたことを、誤って朝鮮語を「奪った」と一知半解で述べたのかもしれない。それなら、この謬論(びょうろん)を粉砕する決定的な事実を対置しよう。
 韓国人が使っている文字、ハングルを学校教育に導入して教えたのは、ほかならぬ日本の朝鮮総督府なのである。
李朝時代の朝鮮では、王宮に仕える一握りの官僚や知識人が漢文で読み書きをし、他の民衆はそれができないままに放置されていた。ハングルは15世紀に発明されていたが、文字を独占していた特権階層の人々の反対で使われていなかった。それを再発見し、日本の漢字仮名まじり文に倣って、「漢字ハングル混合文」を考案したのは福沢諭吉だった。

◆先人の苦闘の歴史冒涜するな
 朝鮮総督府は小学校段階からハングルを教える教科書を用意し、日本が建てた5200校の小学校で教えた。日本は朝鮮人から言葉を奪うどころか、朝鮮人が母国語の読み書きができるように文字を整備したのである。
 併合当時、韓国の平均寿命は24歳だったが、日本統治の間に2倍以上に延び、人口の絶対数も倍増した。反当たりの米の収穫量が3倍になり、餓死が根絶された。はげ山に6億本の樹木が栽培され、100キロだった鉄道が6000キロに延びた。北朝鮮が自慢げに国章に描いている水豊ダムは、日本が昭和19年に完成させた、当時世界最大級の水力発電所だった。
 これらのめざましい発展は、統治期間に政府を通じて日本国民が負担した、現在価値に換算して60兆円を超える膨大な資金投下によってもたらされた。本国から多額の資金を持ち出して近代化に努めたこのような植民地政策は世界に例がない。日本の朝鮮統治はアジアの近代化に貢献した誇るべき業績なのである。
 日韓併合100年の首相謝罪談話は、このような歴史的事実を無視した虚偽と妄想の上に成り立っている。それは、わが国の先人の苦闘の歴史を冒涜(ぼうとく)するものであると同時に、日本統治下で近代化に努力した朝鮮の人々の奮闘をも侮辱するものであることを忘れてはならない。(ふじおか のぶかつ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


トッドの移民論と日本17

2010-08-21 08:42:20 | 国際関係
●トッドと精神分析学・社会心理学

 家族は、単に経済的な生産と消費の単位ではない。生命の再生産、文化の継承・発展、人格の形成と相互的な自己実現の場所でもある。子どもは、親から生命と遺伝を受け、胎内と誕生の体験を経て、親に生み育てられる。そして、家族の中で成長する過程で、心が発達する。私はそのように認識する者だが、トッドは、家族制度に特有の親子関係・兄弟関係が、子どもの無意識の内容の一部を形成し、自由と権威、平等と不平等の価値観を「先験的な形而上学的確信」として継承するという説を提示している。
 トッドは、社会学者エミール・デュルケームが集合意識と呼んだもの、すなわち個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式に着目する。そして、集団の心性(mentalite)を、意識と無意識に分けて分析する。その分析方法は、単に客観的な制度を理解するものではなく、主観的な心理を理解しようとするものであり、人類学的な精神分析と言えるだろう。医学における精神分析は、個人の治療だけでなく社会現象の分析へと応用されてきた。そこで、トッドと精神分析学・社会心理学との関係について一言しておきたい。
 精神分析学の社会への応用においては、マルクスとフロイトの統合が重要である。マルクスは、経済的な社会分析を主とし、人間の心理には、深い関心を持たなかった。フロイトが意識の下に潜在する独自の領域として無意識に注目し、19世紀末から20世紀初めにかけて、無意識の心理学を展開すると、マルクスとフロイトの統合が試みられた。
 なかでもエーリッヒ・フロムは、経済的下部構造(土台)が上部構造(社会的意識形態)を規定するというマルクスの図式を、精神分析で補完し、また精神分析をマルクス主義で補完しようとした。その結果、「経済的下部構造⇒イデオロギー」という図式を、「社会経済状況⇒性本能(あるいはリビドー)⇒イデオロギー(あるいは社会心理現象)」という図式としてとらえ直した。
 こうしてフロイトを社会に応用したフロムは、経済的下部構造から上部構造への作用において、家族の役割に注目した。ドイツに特徴的な権威主義的性格の研究を行い、その性格の形成には家族が大きな役割を演じていることを明らかにした。トッドをフロムに接合すると、権威主義的性格とは、直系家族の権威と不平等の価値観をもとして形成された性格である。特に19世紀半ばから20世紀前半のドイツでは、極端に父権が強大化し、家庭で厳格な教育が行われた。そこに生まれた独自の性格が、権威主義的性格だったと言える。それゆえ、私は、トッドの人類学的な精神分析は、マルクスとフロイトの統合によるフロムの研究を、最新の人類学の知見をもって更新したものととらえることができると思う。

●家族型と二つの資本主義

 社会の下部構造における人類学的システムは、家族制度を基礎とする。そして、各国民の心性の無意識の内容に作用する。また人類学的システムは、近代社会の経済や政治の分析にも有効である。そして、国民の心性や経済、政治の人類学的分析は、本稿の主題である移民問題に対して、総合的かつ根本的な検討を可能にするのである。
 まず経済についてだが、資本主義の主要な型には、アングロ・サクソン型とドイツ・日本型がある。トッドは、その違いは絶対核家族と直系家族の違いによることを明らかにする。家族型の違いが、価値観や制度・機構の違いに現れたものである。アングロ・サクソンは個人主義的資本主義であり、ドイツ・日本は直系家族型資本主義と対比される。トッドの直系家族型資本主義は、一部の経済学者によって、統合的資本主義と言われるものである。私は、社会の原理を個人におくか集団におくかを明確にするため、集団主義的資本主義と呼ぶ。トッドは、経済については、『移民の運命』に続く『経済幻想』(藤原書店、原書1998年、邦訳99年刊)に書いている。ここでは、本稿の主題から離れるので、簡単にとどめる。
 なお、共同体家族が支配的なロシア・中国では、共産主義が発達した。共同体家族は権威と平等を価値とする。共同体家族社会では、権威のもとでの平等を求める。そのため、政治的・経済的な統制が行われる。これを統制主義という。共産主義は、私見では資本主義とまったく異なる原理に基づくものではなく、統制主義的資本主義に過ぎない。集団主義的資本主義の集団的統合を、政府による統制へと徹底したものである。

 次回に続く。

三橋貴明氏の経済成長理論26

2010-08-20 09:50:17 | 経済
 本連載の最終回。

●経済成長で少子化問題は解決に向う

 方策の第三は、少子化対策である。
 三橋氏は、『日本のグランドデザイン』で少子化問題について触れる。
 「不況感が蔓延し、将来に希望が持てない環境下で結婚したり、子供を増やす人は少ない」「日本経済が順調に成長していき、労働者の給与水準が高まっていけば、少子化問題は解決の方向に向かうだろう。実際、福岡のある地域において、派遣社員の正社員化を一気に進めたところ、何とベビーブームが発生したのである。正社員になり、将来的な安心感を手に入れた若者が、子供を増やし始めたわけだ」と事例を挙げる。そして、次のように言う。「経済成長こそが、究極の少子化対策なのである」「究極の少子化対策は経済成長である」と。
 「年金問題はもちろん、少子化問題さえも、日本が経済成長することで解決に向かうわけである。まさしく『成長こそが、すべての解』というわけだ」と三橋氏は述べる。
 三橋氏の言うように、少子化対策には経済成長が必要である。雇用の安定と所得の増加なくして、結婚も子育てもしにくい。ただし、少子化問題の解決は、経済成長だけでは不十分である。少子化の直接原因とは何か。未婚率の上昇と既婚者の出生力の低下である。結婚しない人が増え、結婚しても子どもを生む数が少ないことである。脱少子化の対策は、これら二大原因を削減するものでなければならない。その立案・実行のためには、単に雇用と所得の向上だけではなく、根本的なところから日本人は、考え方、生き方を改めなければならない。
 私の見るところ、少子化の進行は、敗戦による民族の劣化、自虐的歴史観による呪縛、男性の権威と役割の低下、知識の高度化による女性の高学歴化、個人主義ともの中心・お金中心の価値観の結合、フェミニズムの浸透と性の快楽化、これら6つが基盤条件となっている。それゆえ、私は、日本が脱少子化するためには、生命・家族・民族に対する基本的な考え方の復興が必要だと考える。
 人間は生命活動を営み、家庭を築き、子孫を生み育て、世代交代をしつつ発展している。その事実を踏まえ、日本人は個人主義から集団主義、自己中心から共同性、次世代中心から世代継承へという思想の転換が必要である。日本人の精神、そして日本という国のあり方を根本的に改めないと、脱少子化はなし得ない。私はこのように考えるので、少子化対策は、単に経済成長だけでは不十分であると思う。むしろ日本人の精神、そして日本という国のあり方を根本的に改めることこそが、日本の経済を成長させ、また脱少子化をも実現する原動力となると考える。経済的・物質的なものが先ではなく、精神が先である。経済の成長、ひいては文明の発達をもたらしてきたものは、日本においても世界においても、人間の精神の開発・向上である。

関連掲示
・拙稿「脱少子化と日本再建は一体の課題」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion02f.htm

●結びに~日本から物心調和・共存共栄の文明を

 三橋貴明氏の経済成長理論について、骨子を整理し、内容の検討を行ってきた。三橋氏は『日本のグランドデザイン』のエピローグに言う。
 「まさしく、現代の日本を悩ますのは『心の持ち方』の問題である。自国が成長できないと勝手に決めつけ、祖国のあら探しばかりに精を出し、他国を無意味に賞賛する一部の人たちのために、日本国民が理想を失ってしまった。――それこそが問題なのだ。(略)
 日本の問題は、人々が理想を取り戻し、再び夢や希望を持ち始めれば、容易に解決する類のものに過ぎない。筆者が『国家のグランドデザイン』の構想を抱いたのも、まさに多くの日本人に理想や夢、そして希望を取り戻して欲しかったからに他ならない」と。
 ここで「心の持ち方」という問題が出される。これは精神の問題である。自国の蔑視や外国の賞賛によって、理想を失った日本人が、理想を取り戻し、再び夢や希望を持つこと。そのように、心の持ち方を変えれば、日本は新しい文明を創出できるというわけである。ただし、三橋氏が描く日本の将来像は、経済的・技術的な社会像である。文明の物質面、ないし物質=エネルギー系の側面の発達を、主に説いている。そして、その発達のために、心に理想を持ち、夢と希望を持とう、と呼びかけるものである。
 この点に関し、私は、二つ検討すべき事柄があると思う。一つは、なぜ日本人は自国の蔑視や外国の賞賛によって、理想を失ったのかということである。これは単に自国の財政危機の強調と外国の国家経済の賞賛という経済の分野で起こっていることではない。大東亜戦争の敗戦後の日本人が自信を失い、自国への誇りを失い、愛国心や公共心を失っていること。そこに根本的な原因がある。日本人は、昭和27年4月28日に独立を回復した後も、東京裁判史観に呪縛され、現行憲法を放置してきた。そのため、焼け跡から復興し、高度経済成長を成し遂げ、世界有数の文化を世界に発信するほどになっても、なお自国の蔑視や外国の賞賛に心が傾き、国民が独自の理想を立てて、元気を発揮し得ないでいるのである。だから、日本人の「心の持ち方」を正すには、将来の日本の理想像を示すだけでは足りない。日本人が先祖から受け継いできた精神的伝統を自覚し、日本文明の美点を理解・体得する必要がある。そして、日本の国のあり方を自らの力で改革しなければならない。
 もう一つの検討点は、もはや日本人は、経済的・技術的な発展ばかりを追い求めるのではなく、精神的な充実や向上を求める方向に変化しているということである。単にものの豊かさ、便利さ、快適さを求めるのではなく、相互の自己実現・自己超越を可能にするような社会の建設が目標とされねばならない。かつてわが国は、親子・夫婦・祖孫がともに精神的に成長するサイナジックな社会を築いていた。近代化=合理化の進行の中で、そうした共同体が崩壊し、人々はむき出しの個人となり、物質的金銭的なものを追い求めるように変わった。しかし、人間には、より高次の欲求が内在しており、精神的心霊的な向上を求めるエネルギーが活動を求めている。それゆえ、国家のグランドデザインは、単に物質的な面の発展だけでなく、物質的発展を基礎として精神的な向上をめざすものでなければならない。物心調和・共存共栄の日本文明を創造することが、日本の理念でなければならない。
 また、人類全体で考えても、21世紀の人類は、文明の物質面の発達を追及する段階から、より高次の段階へと向いつつあると私は考える。今日の文明は、物質面に偏って発展した偏物質文明であり、そのための矛盾が様々な面に現れている。いま必要なのは、物資面の発達の半面で遅滞してきた精神面の発達である。物質文明を真に人類にとって有益なものとする精神面の発達である。それゆえ、物質文明を基礎とした物心調和の文明こそが、目指すべきビジョンだと考える。
 この動きは、西洋からアジアへというトレンドと重なり合う。 アジアから新しい精神文化が現れる。特に日本が最も期待される。またその精神文化は、自然と調和し、太陽光・風力・水素等の自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」と協調するものとなるだろう。こうした動きが拡大していって、初めて世界の平和と人類の繁栄を実現し得ると私は考える。(了)

関連掲示
・拙稿「日本再建のための12の課題」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinionaa.htm
・拙稿「世界経済危機後の課題」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13.htm
 目次の07へ

参考資料
・三橋貴明著『崩壊する世界 繁栄する日本』(扶桑社)『民主党政権で日本経済が危ない! 本当の理由』(アスコム)『ジパング再来』(講談社)『日本を変える5つの約束』(彩図社)『日本のグランドデザイン』(講談社)
・山家悠紀夫著『偽りの危機 本物の危機』(東洋経済新報社)『構造改革という幻想』(岩波書店)
・菊池英博著『増税が日本を破壊する』『実感なき景気回復にひそむ金融恐慌の罠』『消費税は0%にできる』(ダイヤモンド社)
・中谷巌著『資本主義はなぜ自壊したか』(集英社インターナショナル)
・東谷暁著『日本経済の突破口』(PHP研究所)
・細野真宏著『最新の経済と政治のニュースが世界一わかる本!』(文藝春秋)
・山崎養世著『日本復活の最終シナリオ 「太陽経済」を主導せよ!』(朝日新聞出版)
・村沢義久著『日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命』(文春新書)

三橋貴明氏の経済成長理論25

2010-08-19 10:16:15 | 経済
●生産人口を維持し増加させる

 方策の第二は、生産人口の維持・増加である。
 財やサービスの生産は、人間の労働による。人間の活動は、生命を維持・繁栄させるという目的が根底にある。単に自分が生きて生活するだけでなく、子供を生み育てるという生命活動が、世代から世代へと継承されなければならない。わが国では、少子高齢化とそれによる人口減少が進んでいる。若年層の減少と老年層の増加は、労働人口の減少をもたらす。新技術の活用や労働生産性の向上には、GDPを増加させる大きな可能性があるが、生産労働に従事する人口が顕著に減れば、一国の生産力は低下する。
 それでは現在の日本で、どうやって働く人間の数を維持・増加するか。三橋氏は、「女性と高齢者こそが日本の供給不足を解消する鍵」だとして、『日本のグランドデザイン』で次のように述べる。
 「人口別に女性の労働力比率を見た場合、日本では20代後半から30代にかけ、一時的に低下する(いわゆるM字カーブを描く)。もちろん結婚や出産が理由で、一時的に労働市場を離れる女性が少なくないためだ」「このM字の中心部分の凹みを押し上げることで、今後の日本の供給能力を大いに高めることができる」。そのためには、女性が働きやすい環境をつくる必要がある。「保育所の増設や、安価な『託児サービス』の供給能力を高める投資を実施する」「高齢者の方々に託児サービスなどについてご支援いただくことで、M字カーブの凹みを解消し、全体的な供給能力を高める」。これらの政策を行うべきだと三橋氏は説く。
 高齢者の活用については、「高齢者の一部が労働市場に再参入しただけで、日本の供給能力は一気に回復する」と言う。「年金を含め、労働に対するフィー(註 報酬)を拡大することで、高齢者のインセンティブ(註 刺激・動機)を高めると同時に、巨大な消費市場を構築する必要があるのだ」「これこそが、日本の高齢化社会へのソリューション(解決策)であり、供給不足への最終的な解なのだ」と三橋氏は述べる。そして「女性と高齢者こそが日本の供給不足を解消する鍵」だとする。
 私は上記の趣旨は了解するものの、生産人口の維持・増加は、まず男性や青年・中年を主たる対象とするものでなければならないと考える。労働こそ経済全体の基礎とする観点から言うと、経済政策の中心は雇用の創出と安定に置かれねばならない。デフレ下のわが国は失業率が上がり、新卒者の就職難、非正規社員の増加、中年失業者の再就職難等が深刻化している。ニートが70万人に上り、自殺者が12年連続3万人以上も出ている。小泉構造改革によって誤った政策が行われた結果、地方の疲弊がひどい。公共投資の削減、地方交付税交付金・国庫支出金の削減等が行われた結果である。
 それゆえ、労働者の大半を占める男性や青年・中年を対象とした雇用の創出が、まず目指されなければならない。それができてこそ、女性や高齢者の力も生かされる。デフレ脱却のための公共投資の拡大、新技術の活用は、こうした雇用創出を伴うものでなければならない。
 三橋氏は著書で移民問題について触れていないが、生産人口の減少に対し、外国人移民労働者の大量受け入れで対応すべきという意見がある。日本人が多数失業し、若者が貧困化している状態で、労働力を補うために外国人を入れるのは、おかしな考えである。私企業の利益追求のために、安価な労働力として無制限に外国人労働者を入れると、日本人社会の共同性が崩壊するとともに、増加する外国人移民がもたらす社会的・文化的な問題がその崩壊を助長することになる。
 民主党は、永住外国人への地方参政権の付与、重国籍の許容、中央集権国家から地域主権国家へ等、国家と国民のあり方を根底から変える危険な政策を実現しようとしている。これに対抗するためにも、まず日本人のための雇用を生み出し、家庭の生計を安定させ、社会の共同性を回復することが重要である。
 いま日本人は、日本人とは何か、国家とは、国民とはどうあるべきかを真剣に考えねばならない。そして、まず憲法を改正して国家の主権を確立し、国民の責任と義務を強化する必要がある。そして、日本国民とはどういう国民であり、日本国民になれるのはどういう条件を備えた人間であるかを明確にしなければならない。三橋氏にはこの点についての検討が見られないが、日本人が日本という国をどのような国としたいのか、将来、どのような国でありたいのか、そのために今どのような政策を行うべきかを考える際、最重要の課題であると私は考える。
  
 次回が最終回。

三橋貴明氏の経済成長理論24

2010-08-18 10:34:44 | 経済
●少子高齢化する日本がとるべき対策とは

 先に、三橋氏は、わが国は将来、供給不足つまりインフレになる可能性が高いと見ていることを書いた。世界的な人口増加と食糧・資源・エネルギーの需要拡大の中で、わが国では少子高齢化が進む。「国内の生産人口が停滞するなか、世界的には食糧や資源・エネルギーに対する需要が拡大していく」「近未来における日本経済の課題は、現在とは打って変わり、『供給不足(=需要過剰)』の解消になる可能性が高い」。そこで、三橋氏は、「将来の供給不足を解消するための投資支出により現在の需要不足を補う」という戦略を打ち出しているのであった。
 さて、これまで概説では触れなかったが、三橋氏は、『日本のグランドデザイン』で少子高齢化の問題についても対策を書いている。その点について補足し、検討したい。わが国における高齢化は、先進国で最速であり、これに少子化が加わり、人口の減少が起こっている。こうした人口変動を経験した社会は、人類史上前例がない。今後、仮に特殊合計週勝率が最低を記録した1.26が続くと仮定した場合、日本の人口は2050年には1億人を割り、2100年には5000万人を割る。
 日本人は、人類がかつて直面したことのない変化を体験しつつある。それゆえ、経済の中長期予測には、過去の経済現象に基づく経済学的な予測だけでなく、新たな社会現象を踏まえた学際的な予測が必要である。政策もまた前例のない人口変動に対応する政策を立案しなければならない。三橋氏の経済成長理論はこの点、社会学・人口学・人類学等の研究を広く取り入れたものとはなっていない。

 三橋氏の理論に話を進めると、三橋氏は近未来の日本はインフレになる可能性が高い見て、「将来的な供給不足への備えを今のうちにしておかなければ、われわれ、もしくはわれわれの子孫が、悲惨なインフレーションに見舞われてしまう可能性がある」。また「それ以前に、現在の高齢者が頼みにする年金制度が、崩壊する危険性すらある」と言う。
 供給不足的インフレによって、わが国は「高齢者の年金を現役世代が負担できる云々以前に、物やサービスが不足する状況になりかねない」と言うのである。「お金は国家が紙幣を刷れば供給できるだろうが、そのお金で購入する物やサービスがない。もしくは、価格が高騰して、買えない」。「まさにこの状況こそが『年金制度の崩壊』なのである」と三橋氏は言う。
 こうしたインフレを回避するには、中長期的な展望をもって、供給を拡大する必要がある。現在の供給過剰・需要不足のデフレへの対策とは、正反対の方策が必要になっていくわけである。この方策として、三橋氏は三点挙げている。生産性の向上、生産人口の維持・増加、少子化対策である。
 なお、三橋氏は主題的に書いていないが、わが国の現在のデフレは年金問題と関係がある。デフレの要因の一つは、個人消費が伸びないことである。将来への不安が、消費を控えさせる。特に年金制度への信頼が崩れたことが大きい。国民の多くは現行の年金制度への正しい理解のないままに、将来への不安を膨らませている。この点は、カリスマ講師の細野真宏氏が『最新の経済と政治のニュースが世界一わかる本!』(文藝春秋)等に、分かりやすく書いている。「年金に対する不安が解消されないと、将来不安が収まらず、日本経済の足を引っ張り続ける」と細野氏は言う。国民が年金制度を正しく理解する必要がある。また100年という長期的観点から現行の制度を改善する必要もある。三橋氏の主張のように、経済成長こそ解という一点張りでは、足りない。「将来の供給不足を解消するための投資支出により現在の需要不足を補う」という戦略のもと、デフレを脱却し経済成長を進めるには、年金制度に関する国民の不安を解消しなければならない。

●生産性の向上を図る

 三橋氏は、世界的な人口増加の中で少子高齢化する日本において、中長期的な展望をもって供給を拡大する方策を挙げる。その話に移る。方策の第一は、生産性の向上である。
 三橋氏は、『日本のグランドデザイン』で次のように言う。
 「国家経済を究極的なレベルまでブレイクダウン(註 細分化)すると、それは当然ながら国民一人一人の『生産力』あるいは『生産性の高さ』に行き着く。特に、供給不足に陥ったインフレ期において、生産性向上はまさに劇的な威力を発揮する」
 「生産性をミクロレベルで定義すると、一般的には『労働者一人当たりの付加価値』となる。国家経済という面から生産性を定義した場合は、『国民一人当たりの付加価値』すなわち『国民一人当たりのGDP』となる」と。
 実は、三橋氏は本書にこれしか書いていない。どうして少子高齢化・人口減少の日本で、生産性の向上が必要なのかについては、よく書いていない。これは経済理論の根本に関わる重要なことなので私見を述べる。私も生産性の向上がこれからの日本で大いに必要だと考えるので、その観点からの見方である」
 三橋氏は経済成長理論において、主に支出面からGDPを説明している。しかし、一般にマクロ経済学では、GDPを生産面・分配面・支出面の三つの側面から理解する。そして「国内総生産=国民総所得=国内総支出」という三面等価の原則が成り立つとする。支出面からGDPを見るとは、需要の側からGDPを見ることである。生産面からGDPを見るとは、供給側から見ることである。生産面=供給側から見れば、GDPとはその国が一定期間内に国内で産み出した付加価値の総額である。そして国内総生産の内容を理解するには、労働・資本・土地等の生産要素を通じて、GDPを分析することが必要になる。
 これらの生産要素のうち、最も重要なのは、人間の労働である。生産とは、人間が自然に働きかけて、人間にとって有用な財・サービスを作り出すことである。そして、それによって付加価値を産み出す活動が、労働である。労働なくして、価値は創造されない。他の生産要素である資本・土地等は生産手段であり、労働の対象と手段である。労働こそ、経済全体の基礎となるものである。
 労働における生産性とは、生産過程に投入された生産要素が生産物の産出に貢献する程度である。生産手段を用いて付加価値を生み出す際の効率の程度である。生産性の向上とは、労働者が一人当たりどれだけ多くの付加価値を生み出すことができるか、という課題である。生産性を上げるには、労働者の意欲と創意、技術の開発と活用、資金の投入等の方法がある。
 三橋氏は、生産性の向上のために何をすべきかについて、主題的に書いていないが、主張の全体から、公共投資の拡大と新技術の活用を重視していると理解される。公共投資の拡大と新技術の活用がなぜ必要か。少子高齢化のために生産人口が減少するので、それを補うだけの設備投資や技術開発をして生産性を向上しないと、国内総生産が縮小するからである。逆に、生産性の向上ができれば、生産人口が減ってもGDPを維持ないし拡大することができる。日本の将来を見越して生産性の向上を図る必要があり、それにはいま大規模な公共投資を行って、インフラの整備、新技術の研究・開発をしなければならない。こういうことであろうと私は理解している。

 次回に続く。

三橋貴明氏の経済成長理論23

2010-08-17 10:22:08 | 経済
●電力文明より「太陽の時代」へ

 一通り三橋氏のグランドデザイン、ビジョン、戦略を概説したところで、検討を行いたい。
 三橋氏は、日本がめざすべき将来像を「電力文明」と呼ぶ。日本は石油文明から電力文明に移行せよ、日本から新しい文明を創出して世界に展開せよ、という主旨である。三橋氏は、この移行を「文明フェーズの移行」と言う。「文明の発達段階の移行」の意味だろう。
 20世紀の初頭、レーニンは「社会主義とは電化である」と言った。現代社会は、既に電力文明である。さまざまなエネルギーを電力に変えることによって、財やサービスを生産・分配・消費している。この中であえて、「電力文明」を将来像として打ち出す必要があるのだろうか。
三橋氏が「電力そのものに依存した文明」の主要要素として挙げるのは、鉄道と電気自動車である。リニア新幹線と高速鉄道による鉄道網が、日本列島に張り巡らされる。石油自動車は電気自動車に換わり、ITS(高度交通システム)のもと、低炭素で安全かつ高速の移動が可能となる。
 三橋氏は、電力文明を「電力の源となる資源・エネルギーの種類を問わず、電力そのものに依存した文明」だと言う。そして、電力の源となる資源・エネルギーは、太陽電池パネル、原子力、メタンハイドレート等、多種多様であることが良いとする。そうであれば、三橋氏の言わんとする眼目は、電力の源を石油中心から多様化すべし、という点にある。ただし、氏は、石油依存から脱石油へと言うのでもなく、化石燃料から太陽光・風力・潮力・地熱・水素等のクリーン・エネルギーへと言うのでもない。私としては、よく主旨がつかめない点である。
 三橋氏の「電力文明」は、高度に都市化が進んだ文明でもある。「電力文明」を「次世代の都市型文明」と呼んでいる。石油文明・電力文明という対比は、資源・エネルギーについて言うものだが、「都市」は社会ないし地域を指す言葉である。その反対語は、農村または村落である。電化は、農村・村落でも可能である。必ずしも「電化=都市化」ではない。わが国の農村部は広く電化されており、都市の周辺に電化された田園地帯が広がっている。アジア・アフリカの発展途上国では、電力を得ることで、動力や照明だけでなく、携帯電話やインターネットが同時に利用可能になる。三橋氏は、都市化の進行をよしとし、東京を理想の都市のように描く。都市志向、東京志向が強い。だが、多くの日本人は、クリーン・エネルギーを利用することで、都市と農村の調和、文明と自然の調和をめざす方向に、夢や希望を感じるのではないだろうか。
 19世紀は石炭の時代、20世紀は石油の時代だった。20世紀の後半から21世紀の初頭にかけては、石油、天然ガス等の資源の争奪が世界的に繰り広げられた。21世紀には、食糧と水がこの争奪の対象に加わってきている。こうした資源の問題が改善に向かわないと、世界は安定に向かえない。この改善のために、石油中心の経済から、太陽エネルギーを中心とした経済への移行が始まっている。自然と調和し、太陽光・風力・地熱・潮力等の自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」が、いまや起こりつつある。いわば石油の時代から「太陽の時代」への転換である。 この変化は、人類の文明に大きな変化を生み出す出来事である。
 たとえば、山崎養世氏は、著書『日本復活の最終シナリオ 「太陽経済」を主導せよ!』(朝日新聞出版)で「石油経済」から「太陽経済」へという提案をしている。また村沢義久氏は著書『日本経済の勝ち方 太陽エネルギー革命』(文春新書)で、太陽光発電と電気の新技術による「太陽エネルギー革命」を提唱している。
 太陽の時代、「昼の時代」が近づいている。「光は東方より」。「日の丸」を国旗とする日本から、新しい人類の文明が生まれようとしている。日本人は、そのような展望をもって日本の将来像を描き、新文明を創造する計画を立案すべきだろう。三橋氏には、ビジョンの練り直しを期待したい。

関連掲示
・拙稿「世界経済危機と文明の転換3」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20090428
・拙稿「昭和の日、太陽の時代へ」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20090429
・拙稿「太陽の時代へのギガトレンド」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20090506

8・15戦没者追悼集会の報告

2010-08-16 10:00:21 | 靖国問題
 8月15日、私は靖国神社に参拝した。また「戦没者追中央国民集会」に参加した。
 終戦の日を前に、菅首相は8月10日、歴史を歪め韓国に植民地支配を謝罪する首相談話を発表した。仙谷官房長官は、全閣僚に15日の靖国神社への参拝を自粛するよう呼びかけたという。閣僚は誰一人、靖国神社に参拝しなかった。政府に記録が残っている昭和60年以降、初めてのことである。わが国の政府がかつてないほど左傾化していることを、如実に示す事実である。
 こうした中で今年の「戦没者追悼中央国民集会」が行われた。第24回を迎えたこの集会は、いつも靖国神社の参道に特設されるテントで行われる。会場の外に人が溢れるほどの盛況だった。参加者は2100名と発表された。
 開会の辞に続いて、国歌を斉唱し、本殿に向かって全員で拝礼。その後、昭和天皇による「終戦の詔書」を当時の録音により拝聴した。以下、概要をお伝えする。

●主催者代表挨拶
 メモをもとに、大意を記す。

三好達氏(日本会議会長)
 「国に尊いいのちを捧げた英霊への追悼・慰霊・顕彰は、国として行うべきこと。ところが、現内閣の閣僚は総理を始め、ただの一人も参拝に来ない。なんということか。怒りを込めて抗議しようではないか。
 民主党は外国人参政権、選択的夫婦別姓を進めようとしている。断固阻止しなければならない。そればかりでなく、菅首相は日韓併合百年の談話を発表した。日韓併合はわが国の過ちとし、痛切な反省を述べたが、日韓併合は韓国の閣議、皇帝の前で行う御前会議で、合法的に決定された。談話は北朝鮮がわが国に対する理不尽な要求をする格好の材料を与えた。菅首相と閣僚はどこの国の閣僚で、どこの国の国益を図って行動しているのか。どんなに糾弾しても糾弾し足りない」
 
中條高徳氏(英霊にこたえる会会長)
 「民族が滅びるには三原則がある。夢を失った民族は消えていく。すべての価値を物ととらえ、心の価値を失った民族は滅びる。自国の歴史を失った民族は滅びる。この三つをたどらないために、英霊はこの国を守ってくれた。それなのに、国を担う総理大臣が、A級戦犯が祀られているとして靖国神社に参らないと言う。
 A級戦犯は絶対にない。東京裁判でA級戦犯とされたが、戦後国会で戦犯ではないと決している。重光葵は外務大臣となり、国連で演説をした。現在の政府こそが法を犯す犯罪人である。それを許している国民が甘すぎる。口をつぐまず、事実を広めて下さい」

●各界からの提言
 さかもと未明氏(漫画家)、笹幸恵氏(ジャーナリスト)、関岡英之氏(ノンフィクション作家)の3名が提言をした。それぞれ真摯で感銘深い訴えだった。Youtube等に動画が掲示されることと思う。ぜひ視聴をお勧めする。

●司会者よりの報告、黙祷
 集会に参加した国会議員・地方議員を紹介。国会議員は、参議院議員の衛藤晟一氏、有村治子氏の2人だった。地方議員は10名ほど参加していた。
 正午の時報に合わせて、戦没者に黙祷を捧げる。
 続いて、日本武道館での政府主催式典の実況放送にて、今上陛下のお言葉を拝聴。深い祈りの言葉である。

●声明文朗読
 声明文が朗読され、満場の拍手をもって採択された。次に掲載する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
声明

 世界の多くの国では、その国の文化・伝統・慣習に従った方式によって戦没者を慰霊・顕彰して感謝の誠を捧げているが、これが他国の介入を許さない国家の根源にかかわることがらであることはいうまでもない。
 わが国において戦没者慰霊・顕彰の中心的施設は靖国神社であり、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」である八月十五日に、首相が政府及び国民を代表して靖国神社に参拝し、英霊に対し、深甚なる追悼と感謝の意を表すことは、至極当然のことである。
 しかるに、昨年秋の総選挙の結果、政権に就いた民主党では、鳩山由紀夫前首相、菅直人現首相はともに自らの靖国神社参拝を拒否するのみか閣僚にまで参拝を自粛させている有様である。菅首相に至っては、八月十五日に靖国神社に参拝しないばかりでなく、直前ともいうべき八月十日に、韓国併合百年に当たることを理由に、これを謝罪する「首相談話」を発表した。
 そもそも明治四十三年の日韓併合条約は、当時の国際法から見て合法的に締結されており、その前提のもとに昭和四十年に日韓基本条約を結んだことは疑うべくもない。
 周知のように平成七年に出された村山首相談話は、わが国が「国策を誤り」、「侵略」「植民地支配」を行ったことに「反省」と「お詫び」を表明し、その後の日本外交を呪縛し続け、日本政府に国家賠償を求める訴訟や、外国からの日本批判に拍車をかける結果をもたらした。こうした轍を菅首相は繰り返そうというのか。
 まさしく英霊への追悼・感謝の日であるべき八月十五日を、外国への謝罪の日に変えようとしていると断ぜざるを得ない。
 申すまでもなく、我々が今日享受している平和と繁栄は、明治維新以来の幾多の祖国存亡の危機に際会して、尊い一命を捧げられた英霊の尊い犠牲によって築かれたものである。菅首相の言動が、この方々の思いを根底から踏みにじることになることは明々白々である。
 我々はかかる状況を招いた菅首相に強く抗議する。そしてこのような愚挙を再び許さず、本来継続して行われるべき首相の靖国神社参拝を今後とも粘り強く要望し続ける。首相の靖国神社参拝の定着こそ、近い将来の天皇陛下の靖国神社御親拝への道であると確信するからである。
 我々は、この実践活動を続けて行くことの延長線上に、憲法改正の実現という戦後体制の克服の道が開かれると考え、さらなる国民運動を力強く展開することをここにあらためて誓う。
 右、声明する。

 平成二十二年八月十五日
  第二十四回戦没者追悼中央国民集会
  英霊にこたえる会
  日本会議

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

●「海ゆかば」斉唱、閉会
 参加者全員で「海ゆかば」を斉唱し、閉会。

 以上が概要である。
 今年は参拝者が多いと感じたが、昨年を1万人上回る16万6千人が参拝したという。若い世代や家族づれが目に付き、外国人も多かった。
 靖国神社には、日本人を結ぶ心の絆がある。まだ参拝したことのない人は、一度足を運んでみてほしい。
 日本とはどういう国か。日本人とは何か。自分は何者か。境内で拝礼し、遊就館をゆっくり回るならば、他の場所では気づくことのできないものを、感じ取ることができるだろう。

関連掲示
・拙稿「慰霊と靖国~日本人を結ぶ絆」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08f.htm

トッドの移民論と日本16

2010-08-14 08:39:25 | 国際関係
●トッドとマルクス、ウェーバー

 ここでエマヌエル・トッドとカール・マルクス、マックス・ウェーバーの関係について、私見を述べたい。
 マルクスは、『経済学批判』で唯物史観の公式といわれるものを提示した。それによると、「生産諸関係の総体が社会の経済構造、実在的な土台をなし、これのうえに法制的・政治的な上層建築がそびえたち、またその土台に一定の社会的意識形態が照応する」とされる。この「社会的意識形態」には、法、政治、哲学、宗教、道徳等が含まれる。歴史的・社会的に制約される観念形態であり、イデオロギーとも言う。
 仮にマルクスに従って生産諸関係の総体が、イデオロギーを規定する要因であるとしても、理論的には、上部構造が土台を反作用的に規定する可能性も考えられる。精神と物質の相互作用である。しかし、マルクス、エンゲルスの信奉者たちは、物質的土台が社会的意識形態を決定するという硬直した解釈に陥った。唯物論による経済決定論である。
 これに対し、ウェーバーは、経済に対する精神、特に宗教の影響を重視した。ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、近代資本主義の成立には、プロテスタンティズムの倫理が重要な役割を果たしたことを主張した。いわば上部構造と土台の相互作用を、歴史的に論証したわけである。ウェーバーは、近代ヨーロッパのみならず、世界の代表的な諸宗教における宗教と経済の関係を研究し、宗教的な価値観によって、経済活動が大きく影響を受けることを明らかにした。
 トッドは、経済的な生産関係を社会の土台とするマルクスの見方に対して、社会の下部構造は、家族制度に基づく人類学的システムであることを主張する。トッドの理論は、経済学に人類学的な基礎を与えるものである。マルクスのいう生産関係は、抽象的な個人の関係などではない。個人は、親子・夫婦・兄弟・祖孫等の生命のつながりによる家族関係の中に存在する。人間が誕生し、成長・生活する現実の社会は、多数の家族の集合である。家族には、四つの型がある。その型を分けるのは、親子の居住、土地の所有と相続のあり方である。経済学は、こうした人類学的な研究を摂取すべきである。
 また、社会の土台としての家族で作られる価値観は、上部構造に作用する。家族における自由と権威、平等と不平等、普遍主義と差異主義という価値観が、法・政治・哲学・宗教・道徳などの基本的な考え方に影響する。例えば、アトム的個人による契約国家、血統の意識で結ばれた家族国家、国籍法における血統主義と出生地主義等は、その事例である。
 ウェーバーは宗教的な価値観によって、経済活動が大きく影響を受けることを明らかにしたが、トッドによれば、宗教的価値観には家族的価値観が反映している場合がある。そうした家族的価値観に拠って形成された宗教的価値観が経済活動に影響する可能性がある。例えば、プロテスタンティズムは、父親の権威が強く、兄弟が不平等である直系家族の価値観を反映している。そのプロテスタンティズムの倫理が近代資本主義の成立において重要な役割を果たした。それゆえ、マルクスの意味での上部構造と経済的土台の相互作用を把握するには、家族制度を考察に入れる必要がある。
 私は、トッドが切り開いた地平は、ヨーロッパの歴史・文化・経済・社会・思想を分析する上で、マルクス、ウェーバー以来の画期的なものだと考える。さらに、マルクス、ウェーバーの業績がそうであるように、トッドの業績は、今日世界を覆っている西洋発の現代文明を理解するためにも大いに有効なものだと思う。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm