●奇蹟
イスラーム教では、旧約聖書のモーゼの奇蹟、新約聖書のイエスの奇蹟等を認める。これに比べ、ムハンマドには、彼が起こした奇蹟の話はない。イスラーム教の奇蹟は、基本的にはムハンマドが預言者であることを証明しようとして、神がある事象を生起させることをいう。マホメットを通じて『クルアーン』が啓示されたことが、マホメットの預言者であることを証明している。『クルアーン』が与えられたことが、奇蹟だとする。
●自然と科学
ユダヤ=キリスト教では、神が6日間で天地を創造し、土くれから人間を創造し、またすべての動植物の種を創造したとする。キリスト教では、これらに加えて、マリアは処女懐胎をし、イエスを神の子とする。また、天動説の宇宙観に立つ。ローマ・カトリック教会は、こうした教義を堅持するため、天動説が現れた時には、これを厳しく弾圧した。ジョルダーノ・ブルーノは異端尋問にかけられ、火刑に処せられ、ガリレオ・ガリレイは宗教裁判で地動説を捨てることを誓わされた。そのため、西欧社会では、中世から17世紀前半まで科学的精神の興隆は、教会の権威と衝突した。
これに比べ、イスラーム教では、基本的にユダヤ教の天地・人間・万物の創造説を継承しながら、自然の科学的研究を妨げることがなかった。たとえば、12世紀のユダヤ人哲学者マイモニデスは、偏狭なヨーロッパから移住を余儀なくされた時、イスラーム文明の中に寛容な避難所を見出した。アイユーブ朝のアッディーン帝の宮廷で名誉と影響力のある地位を得たのである。アッディーン帝とは、十字軍と戦ったイスラーム文明の英雄サラディンである。
イスラーム文明は、9世紀ころから17世紀ころまで、科学的研究において世界の最先端に立っていた。西洋文明は、十字軍によって先進的なイスラーム文明に触れ、「12世紀ルネッサンス」や14世紀以降のルネッサンスを通じて、イスラーム文明の科学を摂取した。それが、西欧近代科学の興隆の土台となった。
なぜ、同じ一神教でありながら、イスラーム教では、科学的研究が発達し得たか。イスラーム学者の黒田壽郎氏によると、イスラーム教は「一方で人間の能力を持って知り得ないものが存在する事実を容認すると同時に、可知のものをあらゆる努力を払って知ることを美徳とする」「科学的追及を奨励こそすれ、決してこれを妨害してはいない」「いわゆるサラセン帝国興隆期におけるイスラームの科学技術の発展は、その何よりの証拠」(『イスラームの心』)である。
『ハディース』には「男女を問わず知識を求めることは信者の義務である」というムハンマドの言葉を伝えている。信徒は常に自らの知識を増やし、その質を高めるために、知識の獲得に励むべきとされる。その際、自然の科学的研究は、決して宗教の妨げとはならないのが、イスラーム教なのである。
セム系一神教では、人間は神の似姿として創造され、天地や他の全ての種を支配するように命じられたと考える。そこから、西方キリスト教では、人間が自然を征服・支配するという思想が生まれた。西欧では、科学技術の発達によって、人間は宇宙のすべてを知り、自然を支配することが可能だという考えが出現した。16世紀後半のフランシス・ベーコンに始まって、ホッブス、サン・シモン、コント等が主張し、18世紀以降、こうした科学万能の思想が影響力を強めていった。
だが、イスラーム教では、人間が自然を征服・支配することは不可能であり、征服・支配の思想は、自然を創造した神への冒涜だと考える。と同時に、厳しい砂漠の自然の中で生まれた宗教ゆえ、自然を人間が容易に調和できる対象だと考えてもいない。森林の自然の影響を受けて発達した宗教とは、この点が大きく異なる。
イスラーム教では、自然と人間の間には階層性はなく、森羅万象は人間と対等の立場で存在していると考える。人間は強者として自然を支配するのではなく、自然の一部として、その中で神の意志に絶対服従して生きるべきものとされる。
●神学の発展
イスラーム教の神学の発展には、古代ギリシャの哲学が作用した。特にアリストテレスの影響が大きい。アリストテレスの哲学書は、9世紀から相次いでアラビア語に翻訳された。アリストテレス、万物は一つの目的のもとに、自らの自然・本性を実現すべく運動しているという目的論的な世界観を表した。その哲学は唯一神の信仰に基づくものではないが、論理構成は、セム系一神教に応用できる。それを行った代表的な学者が、11世紀のイブン・シーナ(アヴィケンナ)と12世紀のイブン・ルシュド(アヴェロエス)であり、彼らのギリシア哲学に関する著作が、キリスト教のスコラ哲学の形成に大きな影響を与えた。ヨーロッパではトマス・アクィナスが、13世紀に『神学大全』を著してキリスト教神学とアリストテレス哲学の総合を図った。イスラーム文明を経由して摂取されたアリストテレス哲学がキリスト教の教義の整備に利用された。
宗教を構成する教義・儀礼・教団の三つの要素は、人間における内的な宗教体験という第4の要素を源泉とし、そこから発展したものである。宗教体験のうち神や宇宙等の究極的実在を直接的に体験することを、神秘体験という。神秘とは、通常の感覚によってとらえたり、言葉で合理的に語ったりすることのできないものをいう。
イスラーム教では信仰の形式化・慣習化に対する反動として、8世紀からスーフィズムと称されるイスラーム神秘主義が興った。9世紀から10世紀にかけて、神への愛、神との合一であるファナー、神についての神秘的知識であるマーリファという三つの要素を統合し、その境地にいたるための修行の方法が整えられた。
西方キリスト教には、ローマ・カトリック教会という強固な教団組織があり、宗教会議で定められた教義と異なる主張は異端として厳しく弾圧された。神学は公認の教義の枠内で体系化された。その一方、神秘主義は合理的な神学の体系からはみ出すものとして、西洋文明の歴史の表層ではなく、深層を流れる隠れた伝統となった。
この点、イスラーム教では、哲学の方法を取り入れた神学と、神秘体験を重視する神秘主義の間に隔壁がなく、神学が神秘主義を考慮したり、神秘主義が神学を摂取したりすることが、自由に行われた。
なかでも11~12世紀の神学者ガザーリーは、スンナ派を代表する学者として活躍し、のちイスラーム神秘主義に傾倒し、これを体系化した。ガザーリーは、「神学者の敬虔さと哲学者の厳密な方法論、そして神秘主義者のひたむきな神への情熱を一身に統一し、 イスラーム思想に完成をもたらした人」(嶋田襄平)といわれる。こうした学者が神秘主義思想を哲学的概念で理論化し、また神秘主義の教団も聖者崇拝を宗教的社会運動の範囲にとどめたので、イスラーム神秘主義はスン二派の信仰から逸脱するものとならなかった。宗教活動が形式化・慣習化したときに、本来の勢いや生命を呼び起こすものとして、神秘主義が社会的に機能し得る環境にあったといえよう。
次回に続く。
イスラーム教では、旧約聖書のモーゼの奇蹟、新約聖書のイエスの奇蹟等を認める。これに比べ、ムハンマドには、彼が起こした奇蹟の話はない。イスラーム教の奇蹟は、基本的にはムハンマドが預言者であることを証明しようとして、神がある事象を生起させることをいう。マホメットを通じて『クルアーン』が啓示されたことが、マホメットの預言者であることを証明している。『クルアーン』が与えられたことが、奇蹟だとする。
●自然と科学
ユダヤ=キリスト教では、神が6日間で天地を創造し、土くれから人間を創造し、またすべての動植物の種を創造したとする。キリスト教では、これらに加えて、マリアは処女懐胎をし、イエスを神の子とする。また、天動説の宇宙観に立つ。ローマ・カトリック教会は、こうした教義を堅持するため、天動説が現れた時には、これを厳しく弾圧した。ジョルダーノ・ブルーノは異端尋問にかけられ、火刑に処せられ、ガリレオ・ガリレイは宗教裁判で地動説を捨てることを誓わされた。そのため、西欧社会では、中世から17世紀前半まで科学的精神の興隆は、教会の権威と衝突した。
これに比べ、イスラーム教では、基本的にユダヤ教の天地・人間・万物の創造説を継承しながら、自然の科学的研究を妨げることがなかった。たとえば、12世紀のユダヤ人哲学者マイモニデスは、偏狭なヨーロッパから移住を余儀なくされた時、イスラーム文明の中に寛容な避難所を見出した。アイユーブ朝のアッディーン帝の宮廷で名誉と影響力のある地位を得たのである。アッディーン帝とは、十字軍と戦ったイスラーム文明の英雄サラディンである。
イスラーム文明は、9世紀ころから17世紀ころまで、科学的研究において世界の最先端に立っていた。西洋文明は、十字軍によって先進的なイスラーム文明に触れ、「12世紀ルネッサンス」や14世紀以降のルネッサンスを通じて、イスラーム文明の科学を摂取した。それが、西欧近代科学の興隆の土台となった。
なぜ、同じ一神教でありながら、イスラーム教では、科学的研究が発達し得たか。イスラーム学者の黒田壽郎氏によると、イスラーム教は「一方で人間の能力を持って知り得ないものが存在する事実を容認すると同時に、可知のものをあらゆる努力を払って知ることを美徳とする」「科学的追及を奨励こそすれ、決してこれを妨害してはいない」「いわゆるサラセン帝国興隆期におけるイスラームの科学技術の発展は、その何よりの証拠」(『イスラームの心』)である。
『ハディース』には「男女を問わず知識を求めることは信者の義務である」というムハンマドの言葉を伝えている。信徒は常に自らの知識を増やし、その質を高めるために、知識の獲得に励むべきとされる。その際、自然の科学的研究は、決して宗教の妨げとはならないのが、イスラーム教なのである。
セム系一神教では、人間は神の似姿として創造され、天地や他の全ての種を支配するように命じられたと考える。そこから、西方キリスト教では、人間が自然を征服・支配するという思想が生まれた。西欧では、科学技術の発達によって、人間は宇宙のすべてを知り、自然を支配することが可能だという考えが出現した。16世紀後半のフランシス・ベーコンに始まって、ホッブス、サン・シモン、コント等が主張し、18世紀以降、こうした科学万能の思想が影響力を強めていった。
だが、イスラーム教では、人間が自然を征服・支配することは不可能であり、征服・支配の思想は、自然を創造した神への冒涜だと考える。と同時に、厳しい砂漠の自然の中で生まれた宗教ゆえ、自然を人間が容易に調和できる対象だと考えてもいない。森林の自然の影響を受けて発達した宗教とは、この点が大きく異なる。
イスラーム教では、自然と人間の間には階層性はなく、森羅万象は人間と対等の立場で存在していると考える。人間は強者として自然を支配するのではなく、自然の一部として、その中で神の意志に絶対服従して生きるべきものとされる。
●神学の発展
イスラーム教の神学の発展には、古代ギリシャの哲学が作用した。特にアリストテレスの影響が大きい。アリストテレスの哲学書は、9世紀から相次いでアラビア語に翻訳された。アリストテレス、万物は一つの目的のもとに、自らの自然・本性を実現すべく運動しているという目的論的な世界観を表した。その哲学は唯一神の信仰に基づくものではないが、論理構成は、セム系一神教に応用できる。それを行った代表的な学者が、11世紀のイブン・シーナ(アヴィケンナ)と12世紀のイブン・ルシュド(アヴェロエス)であり、彼らのギリシア哲学に関する著作が、キリスト教のスコラ哲学の形成に大きな影響を与えた。ヨーロッパではトマス・アクィナスが、13世紀に『神学大全』を著してキリスト教神学とアリストテレス哲学の総合を図った。イスラーム文明を経由して摂取されたアリストテレス哲学がキリスト教の教義の整備に利用された。
宗教を構成する教義・儀礼・教団の三つの要素は、人間における内的な宗教体験という第4の要素を源泉とし、そこから発展したものである。宗教体験のうち神や宇宙等の究極的実在を直接的に体験することを、神秘体験という。神秘とは、通常の感覚によってとらえたり、言葉で合理的に語ったりすることのできないものをいう。
イスラーム教では信仰の形式化・慣習化に対する反動として、8世紀からスーフィズムと称されるイスラーム神秘主義が興った。9世紀から10世紀にかけて、神への愛、神との合一であるファナー、神についての神秘的知識であるマーリファという三つの要素を統合し、その境地にいたるための修行の方法が整えられた。
西方キリスト教には、ローマ・カトリック教会という強固な教団組織があり、宗教会議で定められた教義と異なる主張は異端として厳しく弾圧された。神学は公認の教義の枠内で体系化された。その一方、神秘主義は合理的な神学の体系からはみ出すものとして、西洋文明の歴史の表層ではなく、深層を流れる隠れた伝統となった。
この点、イスラーム教では、哲学の方法を取り入れた神学と、神秘体験を重視する神秘主義の間に隔壁がなく、神学が神秘主義を考慮したり、神秘主義が神学を摂取したりすることが、自由に行われた。
なかでも11~12世紀の神学者ガザーリーは、スンナ派を代表する学者として活躍し、のちイスラーム神秘主義に傾倒し、これを体系化した。ガザーリーは、「神学者の敬虔さと哲学者の厳密な方法論、そして神秘主義者のひたむきな神への情熱を一身に統一し、 イスラーム思想に完成をもたらした人」(嶋田襄平)といわれる。こうした学者が神秘主義思想を哲学的概念で理論化し、また神秘主義の教団も聖者崇拝を宗教的社会運動の範囲にとどめたので、イスラーム神秘主義はスン二派の信仰から逸脱するものとならなかった。宗教活動が形式化・慣習化したときに、本来の勢いや生命を呼び起こすものとして、神秘主義が社会的に機能し得る環境にあったといえよう。
次回に続く。
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