ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド26~ヒンドゥー教徒の結婚・葬儀・食事

2019-11-24 10:21:45 | 心と宗教
●サードゥ

 『マヌ法典』は、家住期における義務を果たすことなく、解脱を目指す生活に入ることを戒めている。それは、神々、太古の聖仙(リシ)、祖先の霊への恩義に悖る行為だとしている。だが、しかし、学生期を終えるとすぐ、または家住期の途中で家を出て、解脱への修行に専念しようとする者もいる。そうした行者をサードゥという。
 サードゥの原義は「ある目標に到達した者」であり、「悟りに到達した行者または聖者」を意味する。だが、サードゥの実態は、悟りを求める者であって、修行途上の求道者である。生きながら解脱に到達したと認められる者は、極わずかである。
 サードゥの修行の目標は、解脱を達成することである。言い換えると、悟りに到達することである。インドでは、悟りに到達すると神通力が備わるようになるという考えがあり、優れたサードゥには神通力があると信じられてきた。一種の超能力だが、修行者の中には、その開発に熱心になり、本来の目標を見失う者が多いらしい。難行苦行によって超能力が出て来ると、それを神から授かったとして誇示し、手品師まがいの不思議な業をして見せたり、自ら憑依状態に入って個人や世界の将来を予言するなどして、人々の注目を集める者もいるという。だが、神通力すなわち超能力といっても、人によって程度や種類が異なる。また、そうした能力のあることが、解脱の証ではない。

●結婚

 結婚については、カースト制のもとで、様々な規制がある。
 再生族の男性は、同じヴァルナの女性以外とは、基本的に結婚が許されない。また、その上に、共通の祖先を持つ親族間及び血縁関係のない親族間の通婚は禁じられている。
近年は都市部を中心に、カーストの規則が徐々にゆるみ、異なるヴァルナ間の結婚が多少行われているという。だが、女性のヴァルナが男性のヴァルナより上位だと、プラティローム(逆毛)として忌み嫌われる。
 ヒンドゥー教徒の結婚の相手選びは、男女の誕生の日時から得られる占星術の結果が決め手となる。星占いの結果が悪いと、他の諸条件では似合いのカップルであっても、まず縁談は成立しないという。婚礼の日取りは、祭官が男女の誕生の日時を天文暦に照らして吉日を選び、時刻までを指示する、

◆離婚・再婚
 結婚式は神聖な儀式とされ、それによって結ばれた男女は、現世だけでなく、来世に至るまでも、永遠に夫婦であり、その関係を解消することはできないと『マヌ法典』に定められている。
 長くその慣習が守られてきたが、1955年施行のヒンドゥー教徒婚姻・離婚法によって、離婚・再婚とも法律上は可能になった。だが、離婚・再婚はその後も、極めて少ないという。特に妻は、夫の死亡後に再婚すれば、二重婚姻とみなされて、社会から白眼視されると伝えられる。

◆寡婦とサティー
 ヒンドゥー教の婚姻制度で最も悲惨だったのは、寡婦である。寡婦は不吉とされ、結婚式や祖先供養祭等の家庭の祭儀への参加が認められない。食事は一日一回で、独りで粗食を取るだけだった。実家への出戻りは許されなかった。
 夫の死後、その後を追って火葬の火に自ら身を投じる寡婦の殉死が、中世から19世紀まで続いた。殉死した妻は、サティー(貞女)として讃えられた。19世紀前半、ベンガル地方でサティー禁止令が定められ、以後、他の地方にも広がった。だが、近年まで寡婦殉死が一部では行われていたという。

●葬儀と墓

 ヒンドゥー教徒が亡くなると、遺体は通常、火葬される。これは、肉体に取り付いていた悪魔を火によって焼き払い、死者の霊を煙とともに天国に上げるためとされる。
 遺骨は砕き、遺灰は川に流す。ガンガーは、天国から流れ下る聖なる川とされ、遺灰を流す川としても最も尊ばれる。遠隔の地からこの川まで遺灰を持ち来る遺族が多いという。火葬の習俗は、仏教の東漸を通じて、日本にも伝えられた。
 インドでは、一般に墓を作らない。ブラーフマナ文献以後についてみると、インド人は人里離れた静かな場所で亡骸を荼毘に付し、骨をそこに埋葬した。しかし、日本やシナ、西洋等に見られるような墓を建てる風習はなかった。やがて遺灰を川に流すことが多くなった。この場合は当然、墓を作る必要がない。ただし、子供、苦行者、若干の宗派に限って、今日も土葬が行われているという。
 いずれにしても、遺骨を納めた場所に、遺族や子孫が墓参するという慣習は、ヒンドゥー教にはない。これは、人の魂は死後、輪廻転生すると信じられていることによる。魂が別の生命体に再生していると考えれば、墓に行って鎮魂や慰霊をする意味はない。

●菜食主義

 ヒンドゥー教徒には、肉を食べない菜食主義の人が多い。菜食主義は、生き物を傷つけない、殺さないというアヒンサーの思想によるものである。不傷害・不殺生は、ヴェーダの宗教の動物等の犠牲を供する儀礼を批判したジャイナ教や仏教の教えだが、これをヒンドゥー教が採り入れたものである。
 菜食主義における食事制限は、身分や慣習等によって程度が異なる。上位のヴァルナには、収穫の際に地中の生物を殺す恐れがあるとして根菜類を食べない人々がいる。また一般に、鶏卵は可とする者と、鶏卵も不可とする者がいる。この一方、牛乳や乳製品は良く食べられる。
聖牛崇拝によって、瘤牛は絶対に食べない。これに対し、水牛は家畜として使役され、肉は輸出品にされている。一部の宗派では、祭儀において神に犠牲として捧げられたヤギなどの肉を下げて食するという。

●暦

 インドの暦は、1年は太陽暦、各月は太陰暦に従うもので、太陽太陰暦またはインド暦という。ヒンドゥー教の祭日は、その暦に従って日取りが定められる。

 次回に続く。

 (以上で、「インド文明のダルマ~ヒンドゥー教を中心に」の第1部「ヒンドゥー教とは何か」を終了する。続いて、第2部「ヒンドゥー教の歴史」に入る。第2部の掲示は、12月中旬から行う予定である。)

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