ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権347~ミラーの基本的ニーズとセンのケイパビリティ

2016-09-02 18:35:58 | 人権
●基本的ニーズとケイパビリティ

 ミラーは「人間は生物的存在であると同時に社会的存在でもある」ととらえ、「基本的ニーズと社会的ニーズの区別」を提案する。前者は「いかなる社会でも人間らしい生活の条件として理解されるべきもの」であり、後者は「特定の社会で人間らしい生活の要件として見なされるより幅広いもの」であるとし、「人権の基礎づけとして依拠することができるのは、基本的ニーズだけである」とする。基本的ニーズのリストには、食物や水、衣服や安全な場所、身体的安全、医療、教育、労働と余暇、移動や良心や表現の自由等が含まれるとする。これに対し、社会的ニーズは「シティズンシップの権利」の正当化に用いられるものだとする。シティズンシップの権利については、「人権よりも幅広い権利群であり、特定の社会の完全な構成員としての地位を保障するものであるが、その内容は社会ごとに多少とも異なるであろう」としている。先に述べたように、国民国家における「国民の権利」に近い。
 このようにして、ミラーは前項で触れた人道主義的戦略で基本的人権を正当化し、いかなる社会でも人間らしい生活の条件として理解されるべき基本的ニーズのみが人権の基礎づけとして依拠できるものだ、と主張する。
 ミラーの人権における基本的ニーズと、ロールズの正義原理における基本財は、どういう関係にあるか。これらを比較すると、前者は「食物や水、衣服や安全な場所、身体的安全、医療、教育、労働と余暇、移動や良心や表現の自由等」とされ、人間が生活・生存するために全人類に共通して必要なものとして考えられている。これに比し、後者は「権利、自由と機会、所得と富、そして自尊心の社会的基礎を含む」とされ、「各自の考える善い生き方をしようとする上で普遍的に必要となるもの」を言う。前者は人間が生きる上で最低限必要なものであり、後者は生活・生存はできているうえで善い生き方をするために必要なものである。この点で、ミラーはロールズの基本財よりもっと基本的で、全人類に共通して必要なものを具体化している。
 次に、ミラーの基本的ニーズとセンのケイパビリティ(潜在能力)は、どういう関係にあるか。センのケイパビリティは、ロールズの基本財への批判によってつくられた実質的な自由を意味する概念である。ミラーはケイパビリティについて、次のように述べている。「人間の潜在能力という観念は、人間に備わっている能力のうち重要なものとそれほどではないものに本質的な区別を付けない。潜在能力とは、過度に栄養を摂取する能力を指すかもしれないし、キャビアを食べる能力を指すかもしれない」。センはケイパビリティのリストを提示しない。だが、「貧困についての記述を見ると、センも『基本的潜在能力』とそれ以外の区別を暗黙裡に持ち込んでいる」。このミラーの見方が正しければ、センのケイパビリティには、「基本的潜在能力」とそれ以外の潜在能力があるということになる。ミラーは、センの協力者ヌスバウムについても触れている。ヌスバウムは、センと対照的に「『文化横断的な広範な合意を得られる』と主張する『核心的な人間的機能に関わる潜在能力』の長く綿密なリストを作り出している」と。だが、ミラーはヌスバウムのリストを基本的ニーズと基本的ケイパビリティの関係という観点から具体的に検討していない。
 私見を述べると、センのケイパビリティは主体の能力に関する概念であり、ミラーの基本的ニーズは主体が能力を発揮するための条件である。それゆえ、ミラーの基本的ニーズとは、個人の選択によって潜在能力を発揮するための最低限の物質的・社会的条件と考えられる。ただし、基本的ニーズだけでは、個人の選択の幅は限られている。選択の幅としての自由を拡大しようとすればするほど、そのために必要な条件は増加する。特に医療・教育・労働等はそれぞれの社会の文化や技術によって水準が異なる。条件の確保をすべて基本的人権という概念で正当化し得るかどうかは、検討課題となる。もし正当化し得なければ、その条件に関する権利は、基本的ではない非基本的な人権、または普遍的ではなく特殊的な権利ということになる。
 ミラーのいう「シティズンシップの権利」は、基本的人権の範囲を超えた特殊的な権利である。「シティズンシップの権利」は「社会的ニーズ」を必要条件とするから、その社会ごとに内容が異なる。基本的ニーズにおける医療・教育・労働等より、もっと内容が異なってくる。特定の社会において、その構成員に付与される権利を普遍的・生得的な権利という意味で人権と呼ぶのはふさわしくない。そうした権利は、エスニックな共同体においては、共同体の構成員の権利であり、ネイションにおいては、国民の権利である。
 ミラーは、人権とは全人類に共通の基本的ニーズという観念を通じて最もよく理解され正当化されると説くが、「すべてのニーズが直接的に権利を基礎づけ得るわけではない」という。それは、「人権は、人間の生活における道徳的緊急性の局面を表現しなければならないだけでなく、ある種の実現可能性の条件にも合致しなければならない」と考えるからである。これは、すべての社会のすべての人に基本的ニーズを提供するために無条件また無制限に援助することはできないという、現実主義的な考え方である。実際、基本的人権の実現は、国際社会の現状を踏まえて、政府間・国民間の合意を積み重ねながら、漸進的に実現していくしかないだろう。

 次回に続く。